第4話スピーチとカツ丼

「……。」


 目が覚めると、小さく暖かな光がわたしを照らしていた。眠気を感じながら、ベッドのサイドテーブルに置かれたリモコンを操作して明かりを全灯にする。強い光が目に入って、眠気が少し晴れた。締め切ったカーテンからはまだ朝日は差し込んでいなくて、壁にかかった時計を見ると短針がちょうど3時を示していた。


「あさごはんは……、今日はいいや。」


 いつもはお弁当を作るついでに朝ごはんも簡単に作ってしまうけど、今日のわたしには作戦遂行の任務がある。

 昨日、帰ってきてから千桜さんとなかよくなるために、少し考えて、思いついたのだ。仲良くなるためには、やっぱり一緒にご飯をたべるのが良い。千桜さんは食堂でお昼ご飯を食べていると聞いたことがあって、わたしも食堂で一緒に食べようと考えたのだった。

 お弁当も朝ごはんも作らなくていいと考えるとなんだかまた眠くなって、毛布で体をくるめてから、また目をつぶった。




……

 二度寝でずいぶんと眠ってしまって、学校に着くのが結構ぎりぎりになってしまった。朝のホームルームが始まる5分前にやっと教室に入る。教室の一番前の窓際の自分の席に向かう途中、教室の真ん中より窓際に少し寄った席に座った千桜さんと目が合って、でもすぐにそらされてしまった。

 それが少し悲しくて、気持ちを紛らわすように窓の外を見てぼーっとしているといつの間にかホームルームは終わってしまって、窓の外にはにぎやかにグラウンドに向かう後輩たちが見える。部活にも所属していないこともあって誰も知らないけど、楽しそうな声を聴いて、わたしも楽しい気持ちになれた気がした。


 一限目の世界史はそんな楽しい気持ちを吹き飛ばすような先生の寒いギャグで、教室中がしん、としたまま終わってしまって、2限目の数学も、まぁいつも通り過ぎていった。

 3限目のコミュニケーション英語の時間が来てしまって、千桜さんが先生に当てられてしまわないか心配になる。穴埋め問題を答えるくらいなら大丈夫そうだったけど、スピーチはずいぶんと苦手みたいだ。


 授業が始まって、心配が祟ったのか今日はスピーチをやるらしい。別に全員がスピーチをしなければならないというわけではないけれど、千桜さんはどうにも当てられやすい。

 高校1年生の時からわたしのコミュニケーション英語を担当していた先生は、苦手な人ほど経験を積んでほしいと考えるタイプの先生であることを知っていた。あからさまにスピーチが苦手な千桜さんは、そういった意味でよく指名される。


「今日は……、千桜さん。スピーチをお願いします。」


 今日もそれは例外ではないらしく、スピーチの原稿を考える時間が終わると早々に千桜さんの名前が呼ばれた。


「は……、はい。えっと……。」

「……、……。」


 千桜さんのスピーチは結構近いわたしの席からもよく聞こえなかった。先生は以前のように、もっと大きい声で、とか、もう一度言ってもらえますか、だとかを言うこともなく、千桜さんの近くに立ってうんうんとうなずきながら聞いていた。


「はい。ありがとうございます。では次は……、」


 千桜さんのスピーチが終わると先生はすぐに次の人を指名して、今度はスピーチが聞こえ始める。以前千桜さんが泣いてしまった時には、先生は意地悪だなんて思ったけど、そうでもないらしい。


 それでも千桜さんの小さい体がさらに縮こまってうつむいているのがみえた。前よりはひどくないけれど、その姿に胸がきゅうっと苦しくなって、わたしの何とかして慰めてあげたいという気持ちを刺激する。


 そのまま授業が終わると、千桜さんは素早く教室から出て行ってしまった。わたしは教科書を机に置きっぱなしにして、追いかける。階段をおりたところでようやく追いついたけれど、なんて声をかけたらいいのかわからなくて、静かに後ろをついていくという状態になってしまった。


 千桜さんの後ろについていくままに食堂に着いて、何かの行列に並ぶことになった。先頭から出て行く人が小さな紙を食堂の人に渡しているのを見て、私の学校の食堂は券売機制だったんだと気づく。

 授業が終わったばかりだけど、体育の授業とかは早めに終わってしまうからかすでに食堂は賑わいを見せていて、近くで食べられていたカレーの匂いがただ寄ってきた。


 さっきまで気を張っていたのが、美味しそうな匂いと朝から何も食べていないという空腹のせいで、


「カレーが食べたいな。」


 なんてつい呟いてしまった。

 目の前では千桜さんが券売機でメニューを選んでいる最中だったが、突然あ、と驚いて振り返り、券売機に後ろに倒れこんでしまう。なんで驚いたのかがわからなくて、首をかしげるけれど、その理由を考える前に少し乱れた髪からのぞくその目が赤くなっているのに気付いた。千桜さんのそんな表情をなぜだか他の人に見てほしくなくて、千桜さんを自分の体で隠したままメニューを選ぶ。


 メニューは千桜さんがほとんど隠してしまっていてあまり見えなかったけど、一つ良い物があった。カツ丼だ。元気づけるという意味で結構使われているという印象があって、そのままお金を入れてそのボタンを押す。


「あ……、あう。」


 なんて呟いている千桜さんからは、石鹸の暖かい香りがして、少し落ち着く。お釣りと食券を片手で両方取って、もう片方の手で千桜さんの手をとった。久しぶりに感じた人のぬくもりに安心感と少しの羞恥心をおぼえて、それを隠すように、


「いこう。」


 と手を引いて、人気ひとけのない端っこのテーブルまで千桜さんを連れて行った。


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