第3話お昼ご飯

「おはよー。」


 昨日は唯ちゃんが帰ってから、羞恥心から逃避するためだとか、今後唯ちゃんをあまり煩わせないようにだとかで夜更かしして、勉強してしまった。こんなに勉強したのは夏休みの最終日以来だ。

 そんなかんやでかなりの眠気に襲われたまま、お母さんとお父さんに挨拶をする。


「お、おはよう。」


「おはよう!なんだか眠そうだなぁ、夜更かしでもしたか?」


 お母さんは私の上位互換クラスの陰キャなため、相変わらず髪が目をほとんど隠していて、娘の私にすらどもっている。

 逆にお父さんは陽キャの化身のようなひとで、笑顔で挨拶をかえしてきて、さらに眠そうなのをからかってきた。


「別に、勉強してただけー。」


 この真反対な二人は大学生時代の出会いで、お母さんがお父さんの猛烈なアピールに流されて、そのまま結婚してしまったらしい。自分の母ながら、大丈夫なのだろうか。お父さんが誠実な人じゃなかったら、だいぶやばかったと思う。

 というか。


「てゆうか、お母さん!なんで昨日隠れてたの!?」


 そう。この母は、人が来るから高価なお菓子を用意してて、と連絡していたのに結局ずっと隠れていて、唯ちゃんが帰ってから姿を現したのだった。昨日はいろんなことがあってそれどころじゃなかったが、何かお茶菓子があれば私でももうちょっと間が持ったはずだと考えると、怒りが冷めやらない。


「だって、い、いきなりだし、無理だよぉ。」


 無理だよぉなんて自分の母から聞きたくないものだ。確かにお母さんは若作りで不自然さはないけど、それでも自分の母親だと思うとなんとなくいやだ。


「はは。高級なお菓子なら俺が用意しておくよ。芽依にも家に呼ぶような友達ができてうれしいなぁ。」


 お父さんはお母さんを甘やかして、呑気なことを言っている。


「もう。」


 最後に一言文句を言って、さっさと朝ごはんを食べ始めた。


 それにしても友達か、たしかに家にお誘いするというのは友達の条件を満たすのかもしれない。でも、唯ちゃんとは昨日初めて話したし、ほとんど話すことも出来なかった。そう考えると唯ちゃんとは友達と呼べるほど関係性は進んでない気がした。

 よし、今日はお昼ご飯をいっしょにたべよう。金曜日だから、食堂で特別メニューのデザートが提供されているはずだ。いつもはお弁当の唯ちゃんもデザートなら食べてくれるだろう。

 そして心の中だけでなく、現実にも唯ちゃんと呼べるようになるのだ。今日も懲りずに勇気を与えてくれる、心の中の勇者様といっしょに奮起する。


「ごちそうさま!じゃ、いってくる~。」


「気をつけろよ~。」


 お父さんの声を背に家でた。昨日はダメだったけど、今日はうまくできるような気がした。



……

 や、やっぱり無理だ。苦手なコミュニケーション英語の授業がおわって、もう心はズタボロだ。人前で文章、それも英語のものを読むなんて絶対にできない。ゴミみたいな発音を何が楽しくて、教室に響かせなければならないのだろう。

 もう昼休みになってしまったけど、唯ちゃんに話しかけに行く勇気すら残っていなかった。それでも今さっき醜態をさらした教室を早く出て行きたくて、いつもより雑に教科書を引き出しにしまって、足早に教室を出て食堂にむかった。


 食堂の券売機に並んでいる間に、何とか心を落ち着かせようとする。教室より賑やかではあるけれど、教室と違って、みんながみんなおしゃべりに夢中で私に意識が向くようなことはほとんどない。

 自分がこの食堂の中では空気のようで、他の人にとってどうでもいいような存在になっていることにどこか安心感を覚えた。いつもはそのことに少しのさみしさを感じることもあるけれど、ついさっき散々と注目を集めてしまった後だと、安心感の方が強いのだ。私の醜態も、今も感じている羞恥心だって、ほとんどの人にはどうでもいいことで、クラスのみんなだってそんなことはいずれ忘れてしまうものだと思えるから。


 そろそろ順番だ。今日は何をたべようかな。いやなことがあったし、日替わりランチとかじゃなく、好きなものを食べたい。

 あ、カツ丼とかにしようかな。負け犬の私だが、カツ丼は結構好きだ。

 前にいた集団がはけて、券売機の前に立つ。えーと、カツ、カツ……。


「カレーが食べたいな。」


「えっ?」


 カツ……、カレー?


「あ!」


 後ろから、というか耳元で聞こえてきた声に流されて、カツ丼の下に位置するカツカレーのボタンを勢いで押してしまった。ああ、私のカツ丼……。

 ていうか、い、今の声は……。


「ん?」


 後ろを振り返ると、相変わらず無表情で、しかもかわいらしく小首をかしげた唯ちゃんの顔がすぐ目の前にあった。


「え、うぁっ。」


 驚いて、券売機に倒れこんでしまう。なんで唯ちゃんがここに?というか顔きれい……。いやいや、唯ちゃんはいつもお弁当なはずで、限定メニューを食べに来た?それも違うだろう、カレーが食べたいって言ってたし。いやでも唯ちゃんが食堂にいくなんて、同じクラスになってからどころか、これまで私が食堂に通い続けた2年間すら見たことがない。

 そ、そうだ。そんなことより早くここをどかないと……。


「どれにしよう。」


「え……、え?」


「決めた。」


 唯ちゃんは私が券売機に倒れこんだ状態のまま、メニューを見定め、さらにお金を入れ始めてしまった。私の頭の少し上で、チャリチャリと小銭を入れる音がする。食堂が、揚げ物だとかカレーだとかの匂いに包まれている中、私だけが唯ちゃんの放つフローラルな甘酸っぱい香りに包まれていた。良いにおいと、唯ちゃんの存在をすぐそばに感じて頭がくらくらする。

 視界は唯ちゃん一色に染まって、背中にカタンと軽い紙が落ちる音とジャラジャラとお釣りが出てくる音を感じた。

 そこから逃げ出せないでいると、


「いこう。」


 と、いつの間にか握られていた手を引かれて、唯ちゃんの後ろを歩く。心臓の音がやけにうるさくて、食堂の喧騒はどこか遠くに感じた。

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