第13話
キキは暗闇の中、小さな小指の爪の先ほどの大きさしかない石を拾い上げザカートの方へ向かって投げた。力が強かったのか、それともてんで違う方向へと投げてしまったからなのか、かつんと壁にあたるような音がした。キキは長くため息を吐いた。彼を封印する役割が自分にあるのは重々承知だが、肝心のやり方がわからない。『キキ』は知っているんだろうか。それとも、モクレンが? どちらにしろ思い出すのを待っている暇はないのだが。
そんなことを考えていると突然、キキの胸元が熱くなった。キキは慌てて、首に下げている紐を服の中から引っ張り出した。スイセンに貰った首飾りが、触れてはいられないほど熱くなっている。
「キキ、キキ、聞こえる? 僕、スイセン」
「えっ……」
キキは首飾りから聞こえてきた声に、思わずザカートを振り返る。彼の眠りようから聞こえはしないと思うが、なんとなく彼から遠ざかって距離をとる。
「スイセン様?」
「大丈夫? 彼になにもされていないね?」
確認するように言われて、キキは頷く。
「さっき帰ってきたところだから…… 今は寝てる」
まるで死んでいるみたいに、と言おうとしてやめた。スイセンはそう、と口にして続ける。
「おそらく彼が君になにかすることはないよ、大丈夫」
安心してと言ってくるスイセンに、キキはでもと口を開く。
「ザカートはすごくつらそうにしてる。…… 私は何もできない。陛下なんて呼ばれてるのに、母様みたいに、上手にできない」
「キキ……」
「キキが入ってきて、やっとわかった。封印なんて、皆が口で言うほど簡単じゃないこと。やったらザカートとはもう二度と会えないこと。それでも、ザカートのために、やらなきゃいけないこと……」
自分には荷が重い。ザカートのことも、モクレンのことも、この世界のことも。ザカートがキキにそうしてくれたようには、
「私、ザカートのこと救えない……」
途方に暮れたように口に出すと、スイセンは少しの沈黙の後、キキ、と呼んだ。
「君はちゃんと、確かにこのセヴ=レファーラの王だよ。これは励ましなんかじゃない、逃れようのない事実だ。君はここからは目を背けることはできない。いいかい。セヴの王っていうのは、資質だの才能だの、そんなちっぽけなもので語られるものじゃないんだ。血筋でもない」
諭すような、流麗な川の流れを思わせる声でスイセンは話し続ける。
「この世界の王は君だ。すべて君を中心に回っていると言っていい。大地も空も風も、すべてが君の望んだ通りになる」
「―― どう…… あ」
スイセンの言葉に首を傾げかけて、キキは気づく。ここへ初めて来た時、風が濡れた服を乾かし、見たこともない生き物に追われる最中に大地が形を変えた。あれは、キキが願ったから? ―― であるなら、ここも……。
考えているとふいにぐいと上から手をつかみあげられる。
「大事な友達、か?」
見上げるとザカートがキキの腕をつかんだままそこにぶら下がる首飾りを見つめていた。目を吊り上げて怒り出すかと思えば、しばらくの間じっとどこか寂しそうな目で見ている。
「お前は、今も……」
なにか言いかけたザカートの体がぐらりと傾ぐ。あわてて受け止めるキキの首元で、ザカートがぼそぼそとなにか呟いた。
「行くな…… 頼むから…… 行かない、で……」
途端、頭が締めつけられるように痛んだ。キキはザカートを受け止めた姿勢のままずるずると地面に座り込んだ。
モクレンはぼんやりと空を見上げていた。近くの建物からは、女性のけたたましい叫び声や甲高い笑い声が聞こえてくる。
『どうした?』
ふいに、建物の裏口が開いた。モクレンが我に返ったように振り返ると、ザカートが出てくるところだった。こんな時間に出てくるのはめずらしい。
『…… 少し、気になることがあって。…… あなたは?』
仕事中でしょうと聞けば、ザカートはため息交じりの笑みを浮かべる。
『ここしばらくほとんど寝てないんだ。客がひっきりなしに来てて…… 少しくらい休まないと心も体もだめになる』
『大変なこと』
モクレンは他人事のように言って、彼と同じように壁に寄りかかった。
『じゃあ辞めたらいいのに。そんなところ』
『できるわけない』
モクレンの言葉にザカートはすぐさま言い返す。
『女将さんには世話になってるし、姐さんたちだって別に悪い人たちじゃない。…… 可哀想なひとたちなんだ。俺と一緒で、どこにも行くところがない。ああいうことでしか生きていけないんだ』
『だからって、あなたを傷つけていい理由にはならない』
ザカートの言葉に、モクレンはきっぱりと返した。
『それは義理とか恩義とかって言葉であなたを便利に使ってるだけ。言わば搾取だわ』
それを聞いた途端、ザカートは目を見開き立ち上がった。
『…… どういう意味だ』
『そのままの意味よ。あなたはあなたの心を人質にして人生を搾取されてるのよ』
『俺の家族を馬鹿にするな!』
『馬鹿にされてるのはあなたよ』
人気のない路地裏で、ふたりはしばらく言い合いをした。モクレンの口から出た言葉に、ついにザカートが叫ぶ。
『お前に俺たちの何がわかる!』
瞬間、モクレンの表情がくもる。それを見てザカートが我に返るがもう遅い。
『…… そうね。産んでくれた人も育ててくれた人もいない私たちにはわからない話よね』
『―― モクレン!』
身を宙へひるがえしたモクレンへ、ザカートが手を伸ばすが触れることはできない。
『今日はもう帰るわ。さよなら』
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