第6話
扉の左右では、壁にかけられた炎がゆらゆらと揺れている。その割には、あたたかみというものをまるで感じない。ぼんやり火を見ていると扉が開いてザカートが顔をのぞかせた。
「見られる程度には繋がった。また途切れるかもしれないけど」
三人連なって部屋に入ると、広間にアステリオの姿はなかった。部屋の壁の左右についているどちらかの扉の向こうにいるのかもしれない。中央には、平たく大きな皿が台の上に置いてある。
「あれで見るの?」
尋ねれば、リンクスがええ、と頷く。遠目には、ただ水が張ってあるだけのように見える。近づいて皿に触れた、その時だった。ぞわりと指先から何かが入り込んで、背筋まで一気に駆け抜けていった。寒気に似ているが、少し違う。どうとも表現しがたい妙な感覚だった。
「あっ……!」
水に浮かび上がる映像が一転、下界の様子を鮮明に映し出す。顔を上げると、先にザカートとリンクスが顔を見合わせ頷き合っていた。それからリンクスの方がキキを安心させるようににこりと微笑む。
「陛下の器に反応したんですね。本来魔力があふれているはずのところに何も入っていないので、強く反応したのかも」
「それって……」
「特に悪影響はないと思いますが…… 陛下、ご気分は?」
大丈夫、と答えると、リンクスは「なら平気です」と頷く。
水に視線を戻すと、知らない土地が映っている。河の近くだ。雨で河から水があふれて、周りには人ひとりいない。街に水があふれるのも時間の問題だろう。街の様子が見られないかと思うと、映像がキキが住んでいた街に切り替わる。まだ災害と呼ぶような惨事にはなっていないが、いつそうなってもおかしくはない。中には早くも高台に避難している者もいるようだった。キキは義母たちの姿を探した。近くには見当たらない。…… もし、出かけたんだとしたら、河や海の近くに、または運悪く通りがかった瞬間に波にさらわれでもしていたら……。
「―― っ……」
突然、視界に火花が散った。頭が揺さぶられるような感覚に、キキは立っていられなくなる。
「陛下!」
大きな声で呼ばれて、はっと目が覚めたような感覚になる。そうして初めて、自分がその場にしゃがみこんでいたことに気づく。
「どうした」
めまいか? と意外にもザカートの方が心配そうな顔で駆け寄ってくる。
「や、ちょっと……」
「部屋で休んだ方がいい」
「だ、大丈夫、座ってれば良くなるから」
背中と膝裏に手を入れられそうな気配に、キキは慌てて立ち上がる。リンクスがくすりと笑みをこぼしながら「お茶を淹れますね」と言った。
ここに来て二度も意識を失ったが、もしかして二度ともザカートがベッドまで運んでくれたのだろうか。勝手にリンクスが運んでくれたと思っていたけれど、確かに最初に意識を失ったのはザカートの前でだったし……。
どういうわけか途端に恥ずかしくなるキキの後ろを、ザカートが無言のままついてきてキキが腰を下ろしたソファの隣の席に座る。心配ならもう少し心配そうな顔をすればいいものを、いつも通り無表情か、ともすれば人によっては睨まれているとすら感じそうな顔なのでなんだか監視でもされているような気分になる。
「ザックいたー!」
部屋の扉が押し開けられると同時に、例の小さな存在が顔を出す。ザカートのそばまで駆け寄ってきた『それ』はソファの後ろからひょこりと頭をのぞかせる。
「ザックー、あそぼー」
「き…… いや、どうした? ケイロンは?」
キキと言いかけたザカートは口の中で誤魔化しながらソファの裏に回ると小さなそれを抱き上げた。
(気を遣わせてる)
連れてこられたのは確かに一方的だったが、それは多分彼らのせいではなくて、むしろ彼らはキキがここで過ごしやすいようにあちこちで気を配ってくれている。現にアステリオだって、先ほどケイロンと呼ばれていた彼だって―― まあ、目の前で倒れられたら無理もないだろうが―― 自分の前に姿を現さないようにしてくれているし。…… おとなしく統合してほしいだけかもしれないが。
「どうぞ、陛下」
「あ、ありがとう……」
リンクスが紅茶と一緒に焼き菓子を持ってきてくれたので、キキはそちらに集中することにする。抱えるのが疲れたのか、ザカートが『それ』をキキの斜め向かいの一人掛けソファに下ろしているのを横目にしながら、キキは紅茶を口に運んでいると、ふいに部屋の壁に取り付けられた電話が鳴る。他の二人にも紅茶を出し終えたリンクスがすばやく受話器を取る。
「―― はい、リンクスで…… ああ、はい。姫様なら広間に……」
内容からして、ケイロンからだろうか。
視界の端で幼子とザカートの声が聞こえるのがどうにも耳障りで、キキは席を立ちさっきまでのぞいていた皿の方へ向かった。まだ下界の様子が映っている。安定しないと聞いた割には先ほどからずっと映像は安定して乱れる様子がない。
「まだ座っていた方がいい」
キキが再び義母たちを探していると、横からザカートがやってきて言った。
「ん、でも……」
「ザックー」
ザカートの手を、あの小さな存在が下から引っ張った。
「…… 遊んであげたら」
キキは皿から目を離さないまま言った。ザカートがほんの少し迷った末、下の方へ手を伸ばす。しかしふいに後ろから反対側の腕をつかまれて動けなくなる。
「―― え」
キキはうつむいたまま、ザカートの腕を握りしめている。突然のことに動揺したザカートが、下の方に視線を送った瞬間にも、もう一度強く握りしめてくる。
「…… き……」
「ザック、あそぼー、あそぼー」
小さな『それ』がザカートの手を引くと、キキの手は離れた。そしてそのままふいとザカートに背を向けて部屋の扉に手をかける。
「陛下、待って」
リンクスが慌てて声を上げるが一瞬間に合わず、キキは扉の向こうへ姿を消した。
「―― 探してくる」
すぐさまその身をひるがえしたザカートを、リンクスは「待てよザック」とたしなめるようにして止めさせる。いつのまにか電話を終えていたらしいリンクスは小さなキキを抱き上げると一人掛けのソファに下ろした。
「別に城中に危険が潜んでいるわけでもないんだから、君も一旦落ち着いて。運が良ければすぐ部屋にたどり着ける」
「運が悪かったらまたどっかの暇な天使に捕まるかもしれない」
「シオン様は今頃人間界でてんやわんやだよ」
リンクスは小さなキキにホットミルクを出しながら言った。
「ひとりにしてさしあげた方がいい時もある。どちらにせよ、彼女には早く『キキ』を受け入れてもらう必要があるんだから」
ザカートは唇を噛みしめながら「ひとりにしない方がいい時だってある」と口にした。
「統合のことは別にして。―― 探してくる。ここは寒いから」
言うと、ザカートは広間を後にした。
―― やらかした。
キキは城の廊下に立ち尽くし、内心頭を抱えた。たった一人で広間を出たら、そこは案の定知らない場所だった。壁の感じから城内であることだけはわかるが、それだけだ。広間の前に灯っていた燭台の火はここにはなく、辺りが薄暗いせいで周りが見づらい。
「…… 私やっぱりここのお城に嫌われてる……」
「果たしてそうか?」
突然どこかから聞こえてきた声に、キキは体をびくりと跳ねさせた。辺りをきょろきょろと見回すが、人の姿はない。まさか、まさかと思うが、ここに住んでいる幽霊? と、キキが想像して背筋を震わせたその時、壁にかけられた燭台の火がひとつ、ぼっと灯った。続けて、その先にある火も、そのまた先にある火もと順に灯っていく。まるで、こちらへ来いと導くように。
キキはおそるおそる歩き出した。
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