第2話 踏み絵

 駅前にはテントが張られていた。テントの横には大型の警備車両が何台も止まっていた。車両の横には『小説禁止委員会』のロゴが大きくプリントされている。


「え? どうしてこんな場所に『検問所』があるの」


 ワタシは驚きのあまり、思わず小さく声を上げた。

 テントの前には長い列が出来ていて全員に検査をしている様だ。良かった、ダミーのスマホを持って来ていて。


「コイツ、スマホなんか持ってないと言い張ってますよ!」


 列の前の方で大きな声がする。


「そんなバカなはずがない。このご時世スマホがなければ日常生活も出来ない筈だ。体をひん剥いても良いから徹底的に調べろ!」


 そう言われて列の中から連れ出されて、スマホを持っていないと言い張っていた学生風の男性はテント横のレントゲン車両に引きずられていった。

 御丁寧に男性用と女性用、それぞれ用意されている様だ。『よみせん』には女性も多いから人道上(?)の配慮かな。女性チェイサーも確かにチラホラといるみたいだ。男性チェイサーが手が出せない部分にスマホを隠すのは女性の『よみせん』の常套手段だからだろう。

 どちらにしてもあそこで身体中検査されれば、どこに隠してても見つかるだろう。当然隠してたスマホには多量のWeb小説がダウンロードされているだろうから、直ぐに護送車行きだ。


 ワタシはその為に、わざわざダミーのスマホを持って来たのだ。


「あ、おまえ、このスマホには『小説スキャンアプリ』がインストールされてないぞ。直ぐにインストールしてやる!」


 別の場所では、小説を自動的にスキャンして『小説禁止委員会』に報告するスキャンアプリをインストールしていないスマホを持っている人が槍玉に挙げられていた。

 きっと彼は、スマホの隠しホルダーにWeb小説を保管しているのだろう。スキャンアプリをインストールすると、どこに隠しホルダーを作っても完璧に検知されてしまうのだ。だから、隠しホルダーを持っている『よみせん』達はスキャンアプリを決してインストールしない。


「やめてくれ、お願いだからインストールするのは勘弁してくれ!」


 泣き叫んでいる彼は、先ほどの彼とは別の取り調べ車両に、チェイサー達に両腕をガッチリと羽交い締めされて連れて行かれた。


 もちろんワタシのダミースマホにはスキャンアプリはインストール済みで、完全に問題無いハズだ。


 列の順番が回って来たので、ワタシはおもむろにダミースマホを取り出してチェイサーに見せる。当然スキャンアプリもインストールされている。


「良し、通れ」


 チェイサーはワタシのスマホのスキャンアプリを確認したらテントの中に入る様に促す。

 あとはテントの中の関門を抜ければ駅に行ける!


 * * *


「次、おまえ。靴を脱いでこの小説を踏んでいけ!」


 やはりそうか。

 『踏み絵』だ。


 最も初歩的で心理的なダメージが大きい方法だ。大昔、キリスト教禁止令に逆らって潜伏している隠れキリスト信者達を選別する為に使用された卑劣な方法だそうだ。

 テントの中には有名なWeb小説が印刷されて敷き詰められていた。全て『超』が付くほどの名作揃いだ。『よみせん』だったら夢の様な光景だ。


 え! 一番手前にあるのは、第20回Web小説大賞金賞の小説じゃあないのっ。しかも有名絵師の挿絵付きでカラー印刷だ。


「キャア、夢なら覚めないで」


 思わずワタシは心の中で叫んだ。


 ワタシの二つ前に並んでいた若いサラリーマン風の青年が、突然泣き出してテントから逃げようとする。


「だ、だめだ。こんな名作達を僕は踏めないよ!」


 彼の目には大粒の涙が溢れていた。

 チェイサー達は容赦なく彼をテントから引き摺り出して行った。あのまま護送車両に連れて行かれるのだろう。


 ワタシも、頭がクラクラして来た。目も涙で滲んでいるのがわかる。


「どうした! そこの女。次はお前だぞ。おまえもこの小説が踏めないのか? なんだ、おまえも泣いているのか?」


 どうしよう、チェイサーが疑いの目でワタシを見ているのが分かる。ここで捕まったら、これからも色々な小説を読むことが出来ない。ワタシの人生が終わってしまう。

 目の前にあるのは、小説では無くて、単なる印刷物にしか過ぎないのだ。ワタシは目の前の印刷物を踏み付けるけど、それは大好きな小説を冒涜している訳ではないの……そう自分に言い聞かせる。


 ギュッ、ギュッ、ギュッ、


 一生懸命平静を装い、ギリギリと歯を食いしばって、爪が手に食い込むくらいギュッと握りしめながら、ワタシはユックリと『印刷物』の上を渡り始めた。


 ギュッ、ギュッ、ギュッ、


 ワタシの心はグチャグチャだった。もう目の前がよく見えない。心臓はバクバクして死にそうだった。でも、足は確実に一歩一歩動いていた。


 ギュッ、ギュッ、ギュッ、


 もう腰がガクガクしているのが分かる。このまま『印刷物』の上にへたり込んでも、ここまで頑張って良くやったワタシ、と褒めてあげたいぐらいだ。


 ギュッ、ギュッ、ギュッ。


 ……


 フゥーッ。


 兎にも角にも、ワタシは渡りきったのだ。さっきのサラリーマンの様に拒否レバ、心がここまで痛む事はなかったかもしれない。でも、ワタシはまだ止まるわけにはいかないもの。

 この世の中に、まだワタシの知らない名作がきっとあるはずなんだ。ワタシはその為にも心を鬼にして前に進むんだ。


「おい女、なんで泣いているんだ? おまえも『よみせん』なんじゃないのか?」


 疑り深いチェイサーがワタシを疑いの目で睨む。


「うるさいわね! 彼にフラれて泣いてんのよ。渡りきったんだから、もう良いんでしょ!」


 今のグチャグチャな心をチェイサーにぶつける。


「おお、まあな。渡りきったんだから問題無い。駅に向かって良いぞ。お疲れ様……だな」


 チェイサーは、なんとなく腑に落ちない様だったが、ワタシの迫力に負けて駅に向かうのを許してくれた。

 もう変装で使用したアイシャドーも口紅も涙と鼻水でグチャグチャに違いない。家に帰って鏡を見るのが怖い。


 目の前には改札口のゴールが見える。


 * * *


 電車に乗って、やっと安堵する。

 扉の窓ガラスに映る自分の顔が、何歳も老けている様に見えた。知り合いが見ても絶対に気が付かないくらいだ。


 変装のつもりで濃い目に塗ったアイシャドーが涙でグシャグシャだ。まるでパンダのようで、自分でも可笑しくってフット笑顔になる。


 どうやらやっと落ち着いて来たみたいだ。


 気が付くとジーンズの中のパンツも濡れている。え? 緊張のあまりお漏らししちゃったのかな……。


 手をそっとパンツの中に入れて臭いを嗅ぐ。違った、オシッコではなかった。どうやら踏み絵をした事でワタシの『サド』スイッチが開花してしまったらしい。

 これが愛する相手を凌辱する時の気持ちなんだ。そんな気持ちが目覚めてしまったのだ。それで踏み絵をしている間に、つい興奮してパンツを濡らしてしまったのだろう。


 ヤバイ、どうしよう、心が壊れかけているのかな。結局、無傷で逃げ切れた訳ではなかったのだ。これからワタシはどうしたら良いのだろう。

 これからも沢山のWeb小説を読みたいがために、頑張って、自分の心を騙して踏み絵に耐えたのに。でも、さっきの踏み絵で自分のWeb小説に対する気持ちが歪んでしまった。だからもう、素直な気持ちでWeb小説を楽しむのが出来なくなってしまう。


 ワタシは今後のことを考えて途方に暮れた。


 窓ガラスの向こうの街の灯りは、ワタシの気持ちとは関わり無く、電車の動きに呼応する様にビュンビュンと流れて行った。


(了)

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小説の無い世界 ぬまちゃん @numachan

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