小説の無い世界
ぬまちゃん
第1話 夜の街
「そっちへ逃げたぞーッ、追え、追え。撃ってもかまわん!」
背後から追いかける者達の声が聞こえてくる。
「撃て、撃て」
反対側の通路からも声が聞こえる、と同時にワタシに向けたであろう銃声が二発
バス、バス
ヒュん、ヒュん
間一髪、二発の弾はワタシの頬と黒く染めた腰までかかる髪の毛をかすめていった。ワタシの右手には、小説ビューワー用のアプリと多量の小説が入ったスマホが握られている。先週お洒落なショップで買ったばかりの、お気に入りのジーンズの裾が汚れるのも気にせずに、狭くジメジメした通路を全速力で駆け抜けるワタシ。
今日の取引情報が、どこからか漏れていたのに違いない。これだけ大勢の狩猟官チェイサーが出て来るのは珍しい。
それに人数だけではなくて、的確な場所に彼らが配置されているのだ。これは最初からどの場所で取引が行われるかが分かっているからこそ出来る人員配置だ。これでは逃げ通すのは至難の業だ。
幸いワタシは、この町の裏道やけもの道まで知り尽くしているので、多分逃げ切れると思うけど……今回の取引に初めて参加して、この町の地理に詳しくない『よみせん』の人達は確実に捕縛されているはずだ。
今回の摘発でかなりの仲間が捕縛されるのだろう。そして大好きで貴重な小説を無理やり取り上げられて、独房の中でアニメ三昧の洗脳を受けてしまうのだ。考えただけでも身の毛がよだつ。
ワタシが12歳の年に、全メディア小説禁止法が施行された。それと同時に『小説』を摘発するための国の組織『小説禁止委員会』が発足して全国の小説を一斉に駆逐し始めた。
最初は、書籍だけだったが、そのうち電子媒体での小説も対象になってしまう。当然Web版の小説もネットから直ぐに削除された。
小説を読みたくてウズウズしている『よみせん』と呼ばれるグループは、直ぐに社会の闇に紛れた。そして小説を描きたくてウズウズしている『さくしゃ』のグループに密かに連絡を取る事に成功した。
巨大な複数のネット小説投稿サイトが壊滅に追い込まれたため、小説を描きたくてウズウズしているグループが闇の組織を立ち上げていたのだ。
こうして、書き手から読み手に、自作小説を渡す場所が『闇の書店アンダーワールド』として生まれるのに時間はかからなかった。
今日のアンダーワールドの集会は、事前に委員会にリークされていたに違いない。それともスパイが紛れ込んでいたのか?
大丈夫かワタシ? 一応顔を隠して参加したのだが背格好はバレバレだ。もしもスパイが入り込んでいたなら、今逃げ果せてもいずれは追跡の手が来るやもしれない。
でも今は逃げる事に集中しないとダメだ。チェイサーは町の要所要所に配置されているから、ワタシも持てる知識を総動員するんだ。
あの角を曲がったら、確か子供か女性しか抜けられない穴が壁に開いていた筈だ。
ハァ、ハァ。息が切れる。
最近は読書三昧をしていて体力が落ちている様だ。何とか角を曲がって、壁の穴を探す。
バシャ、バシャ、バシャ。
チェイサーはもう直ぐそこまで来ている。どこだ! 壁の穴は。
──あった! あそこだ。
ワタシはグレーのシャツが汚れるのも気にせずに穴に向かって飛び込んだ。
穴の向こうは薄暗いビルの一室になっている。このビルは随分前から無人になっていてワタシも時々読書する時に使っている場所なんだ。見つかった時に外に逃げられるんだ、と思って密かにキープしてたけど。今日は道から逃げ込むために役にたった。
バシャ、バシャ、
バシャ、、バシャ、、
「オイ、いないぞ!」
「確かにこの角を曲がったのを見たぞ」
チェイサーの照明が辺りを照らしている様だ。穴からわずかに光が漏れる。
この穴は、明かりを当てたぐらいでは見分けが付かない筈だ。ワタシだって昼間の明るい光の中でやっと見つけた穴だもの。
彼らが諦めて別の場所に移動するのをジット待つ。
フー、フー、フー、
音がしない様にユックリと呼吸を続ける。
ドクン、ドクン、ドクン、
自分の心臓の音がこんなに大きいなんて、今の今まで気がつかなかった。いっそ心臓も止めてしまおうかと思った。
「クッソー、おかしいなあ!」
「もっとよく探せ、何処かに隠れる場所があるんじゃないか?」
どうしよう、なかなか離れてくれない。仲間を呼ばれたら最悪だわ。そう思ってイヤーな気持ちになっていると……
ブー、ブー、
「こちら南通りだ。『よみせん』グループ三人を追跡中。大至急応援を求む!」
チェイサーが持っている無線機から応援を求める声が聞こえる。
「オイ、南通りならこの向こうだぞ。俺たちもそちらの応援に行こう。ここで無駄な時間をとっている暇は無い」
一人のチェイサーが相方(バディ)に話しかける。
「うん、そうだな。どうせまた『エス』からタレコミ情報が入るだろうからな。隠れちまった奴を探してる暇があったら今いる奴らを捉えに行こうぜ」
バシャ、、
バシャ、バシャ、
良かった。どうやら南通りの方に向かってしまった様だ。この隙にワタシは逃げられるだろう。
しばらく様子を伺ってから、道路に戻る。小説の入っているスマホは危険だからさっきのビルの部屋の秘密の場所に隠す。
小説の入っていないダミースマホを持って、何食わぬ顔をして道を歩き始める。
明かりの灯った大通りに出る。大通りにあるコンビニで適当に買い物をして、さも買い物帰りのふりをするために買い物袋を持って駅に向かう。
良し、これで駅から電車に乗ってしまえば、もうチェイサーとはオサラバだ。
* * *
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