第44話 妖艶
「失礼致しやす」
部屋の外で銀さんの声がした。
「どうぞ」
朧太夫は内容を聞かずに入ってと指示をする。銀さんがスッと襖を開くと、次々に女性達が部屋へと入って来た。
その人達の手にはお膳が一つずつあり、美しい色の椀が並ぶ。
「ありがとう銀」
「いえ、後の物は頃合いを見てまたお運びいたしやす。それでは」
「あい、ありがとう」
それぞれの前に大きめなお膳が置かれその度一礼し、するすると襖の向こう側へ消えていく。
最後の一人、銀さんは一言そう言って部屋を後にした。
「たぁんと食べてくんなまし」
「すんごい御馳走じゃのう」
「これは……」
「ふふ、遠慮しないでね」
見るも鮮やかな採色豊かつ、繊細な飾りが施される食べ物達に皆目が輝く。
今更だが、桃次郎ははっとした。現世で生きる者が黄泉の国の釜で煮炊きしたモノを口にすると──を思い出したのだ。
いや、ここに来るまでに既に口にした気はするが……。
(あれ、僕これを食べてしまうと本当に生き返れ……いや戻れないんじゃないか……?)
そんな思いを知ってか知らずか、桃太郎じいちゃんはこちらをみてハンっという顔である。
「桃次郎、ここのもんは口にしても何も問題ありゃせんじょ。って言うかさっきモリモリ口にしたじゃろがい。なーにを今更ビビり散らしとるんじゃ」
「いや……だってさ、今更気になっちゃって」
「世間一般で言われとるあの世は、いろんな風に伝わっとるからのう。ま、でもそんなもん本当かどうかわからんじゃろ? その時代に生きた人間から直に聞いた訳でもあるまいに」
「ぐ、そりゃ……そうだけど」
「じろちゃん、ここはちょっと
「え、ええ。そうですね、想像とだいぶ違うといいますか……」
「ここは時代を経る毎に、色んなものが増えていくの。昔は色々と厳しい決まりもありんしたけど、今や立派な
「人も、物も全部変わっていくよのう」
「ええ、そんとおり」
「な、なるほど……」
「さ、冷めてしまいんす。いただきんしょう」
「はい」
目の前に並ぶのは、鯛と似た魚の丸ごと塩焼きにミョウガ、野菜の漬物、煮しめ、
刻んだ昆布と豆が混ぜられたご飯、見た目にも可愛らしい小さな花麩に豆腐とわかめの汁ものなどなど。
「……うっま」
「流石じゃのう、どれも美味」
「まこと美味しい」
三人共見事に顔が綻ぶ。大袈裟でなく一口目から旨い。
フルコースが提供されるような格式高い店には入った事が無いが、そんな店ではきっとこういう一流と呼べるものが提供されるのだろう。
話ながらも食べ進めていくと、空いた頃をドンピシャで狙って銀さん率いる数名がまた料理を運んで来るのだが、それらの品は一品ずつがまるで正月のおせち料理か婚礼のような華やかさである事に驚く。
職人技が光る飾り切りは随所に当たり前に散りばめられており、見るも楽しいとはこの事を言うのだろうと桃次郎はただ、ただ美しさに圧倒されるばかり。
後に、これが酒を楽しむ会席料理の類だと進む内に理解する事になる。
現世であるような和食のフルコースとは順番やラインナップが違うモノが多かったようだが、それでもかなりの量だ。
あまりにも美味い料理の数々に酒が進む、進む。
酒の種類もかなり多く、日本酒の甘口辛口、吟醸・純米・本醸酒の飲み比べは面白かった。酒に詳しくない桃次郎には少々小難しい物が多かったが……。
中でも、興味を惹かれたのは
「まぁじろちゃん、見る目があるのねぇ。職人達が喜びんす」
「あ、えっと……これパッと目につきますし、天晴なんて凄い名前ですね。僕はお酒全然詳しくないので飲み比べって面白いです。これは甘みが強めで僕にも飲みやすいです」
「ワシこっちのがええわいにゃ、はーんまいのぉ」
「桃ちゃんのは焼酎ね、氷もっと持ってきんしょうか」
「そうじゃなぁ、もちっと氷あるといいのぅ」
「はぁい、銀」
「へい」
「氷と、最後に甘いのお願い」
「すぐに」
短いやり取りの中で銀は全て承知したと下がる。
本当に直ぐ戻って来て、幾つかの一口甘味をそれぞれの目の前に出し、サッと戻っていった。
飲み比べていた物の中では、糖度の高い甘口が桃次郎には飲みやすく、芋焼酎は少し苦手だった。芋焼酎も幾つか飲み比べたが、中には独特の臭みが無くスッキリ甘くのみやすいものもあったので新たなる発見である。
これだけの量水変わりに飲んでいるが、なぜかほろ酔い程度でそこから先へはいかないのが不思議だ。
届いたばかりの甘い物を口にしつつ、朧の方をちらりと見る。
ほろ酔いのままであるし、良い頃合いかもしれない。素面では絶対に聞けそうにない事を聞いてしまおうか。事実は小説よりと言うのだし、折角だしな……
あんまり褒められた事柄の質問とは言えないが、桃次郎は勇気を出して尋ねる事とした。
「えっと、やっぱりここはその、なんていうか……あなたも、う、売られ……?」
決して不埒心と言う訳ではなく、純粋に華街=身売りでなんぼの厳しい世界であると言う事が頭から疑問として消えなかったのだ。
それを見透かしているかのように、聞いた桃太郎は盛大に吹き出しゲラゲラと笑う。
「ぶふぉ、桃次郎よ。ここは夢の国じゃぞい、昔の身売り時代とは違うんじゃ。
朧ちゃんだって花形さんの一人なんじゃよ。いやーん、桃次郎のえっちィ~!
ま、正確にはここの区域は正式にオ・ト・ナのムフフな聖域であるからの。そう言った事も出来ん事もないのだがのー?」
くねりくねりと体を曲げて、何故か自身の肩を抱く桃太郎は意地悪な笑みを浮かべながら桃次郎をなじる。
対して朧、優しく微笑んだかと思うと一瞬で妖艶にその表情を変化させたかと思うとゆったりと桃次郎に近づき――──
「――!」
桃次郎の心臓は一瞬で逸る。
朧の細く滑らかな指がそっと頬に触れ、優しくすうっと一撫でしたかと思うと甘い吐息を漏らしながら
「うふふ、わっちはそれでも構わないけど」
と、ふっくらと艶のある唇で微笑を浮かべた。
「……ッ」
これはタマラナイ。
桃次郎は顔から湯気が立つほど一気に赤面し、耳まで茹蛸のようである。
朧はその様子を愉し気に見つつ「でも、」と続けてから桃次郎から少し離れると、気品よく座り直し、ふさふさとして毛並みの良い尻尾を膝の上に回し優しく撫でつけながら、はたはたと大慌てで顔を扇いでいる桃次郎に視線を戻した。
「じろちゃん、心に決まったヒトがおりんしょう? そん子を大事にしてあげるのも立派な甲斐性よ。それに、わっちに浮気目していると後がこわぁいかもね」
と可愛く目くばせされた桃次郎は、朧が何やら含ませた語尾が気にはなったものの、意中の相手、愛理の事を指摘され照れくさそうに頭を掻いた。
華やかかつ豪華な食事を楽しみ、お酒も嗜みつつ昔話にも(と言っても専ら桃太郎の自慢話であったが)花が咲き、身振り手振りと大振りに演じて見せていると、
朧が「桃ちゃん、次の予定がありんしょう?」と悪戯に笑みを作る。
「朧ちゃんには敵わんにゃぁ……」
わっちわちとしていた動きゆるゆると止めてボリボリと頭を掻く仕草で誤魔化すが、朧には通用しない。
「もういかねばの」
「はいはい、わかっていんす。でも、次に来るときはわっちと一日遊ばないと……」
「おう、そうじゃな! いや、もちのロンじゃとも!!」
ダハハと古風な笑い方をして朧に次を約束すると、いそいそ帰り支度をし荷物も纏める。その様子に「ホントに、しようのない人なんだから」と半ば呆れたようにため息をつくがその顔はどこか嬉しそうなのを、桃次郎は見逃さなかった。
(こんなじいちゃんでも、どこかに気に入られる要素があるんだなぁ)と横目で見ていた桃次郎は思う。
すっかり荷をまとめ上げ、部屋から出ると大勢が見送りの姿勢で待機していた。
靴を履き直して外へ出ると、突然の衝撃が桃次郎を襲う。
「わぶッ」
(やっぱりじいちゃんはすごい人なのかも)そんな感慨交じりに桃太郎を見つめていると突然、朧が桃次郎を抱きしめた。
柔らかい胸に顔が沈み、鼻腔を擽る香白粉の甘い香りが相まって思わず顔が溶ける。
「あら、刺激が強すぎちゃったかしら。じろちゃんもいつか、また遊びに来てね」
と囁き体を離し、バイバーイと幼い子供のように明るく手を振って送り出した。
――くらくらする、ぼんやりとした頭で分岐道へと戻って来た二人。
桃太郎に至っては、頬っぺたに朧から赤い口紅をクッキリとつけてもらい上機嫌である。
「次は……このしとに会いにいくじょ!!」
「えぇーまだ行くの!? って言うか次も女の人のとこ!? もういいってば……」
意気揚々と今度は左のネオン街を指針として指差す桃太郎に桃次郎はぶー垂れる。
朧一人にさえ、骨抜きにされかけて発汗し、色んな所がゾワゾワしたりとたまらない思いをしたばかりであるから、次にそんな女性が現れてしまうと心臓がもたないと思わざるを得ないのだ。
「なんじゃ、やっぱりお子ちゃまか……大人の楽しみ方を知らんとはなー。
まぁ無理にとは言わんけどぉ」
チラリと嫌味ったらしい視線を投げかけて来る桃太郎に「いや、でも、だってさぁ」と言い訳三段階で狼狽える。
「いいもん、ワシ一人じゃってめっちゃ楽しんじゃうもんね~ちっこい縮っ玉桃次郎はそこいらでふらふらしとれ~! じゃあのー!!」
「え!? ちょッまッ」
すたこらさっさと擬音が付きそうな勢いでネオン街へと駆け出していく桃じじい。何か凄い屈辱的な発言をされたようだが、ここで離れたら自分一人ではどうしようもない。思わず後を追いかけ、桃次郎もネオン街へと駆け出していくのであった。
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