第42話 演目 狐の嫁入り

《桶山村から男が一人、名を玄と言う。満月輝く宵の闇、散歩がてらに歩いてた》

《小河に佇む女が一人、名を小夜と言う。満月照らすその姿、それに一目で恋をした》


 子狐達が、噺を始めると矛の二人がシャラランと静かに短く鈴を鳴らす。

すると、部屋の空間はまるで──


「うわ……ぁ」


 あっという間に様変わりした部屋に思わず感嘆の声を漏らす桃次郎。

それに「ほう、見事」と桃太郎も続き首を巡らせると、天井のあるはずの個所を越えて、遥か上空には満月が輝き周囲には草が生い茂る。さやかに流れる風は穏やかにそっと小河を撫でてゆく。


 確かに室内に居るにも関わらず、空間はどこまでも広がる外空間へと形を変え様変わり。まるで本当に外に居るかのような感覚に陥る。何と、噺の情景ままに空間が変化したのだ。小川の流れる音までしっかりと聞こえてくるし、側には流れる水があるかのようなひんやりとした感覚まである。

 現世で言う物体への投影プロジェクションマッピングとは比にならないくらい質感さえリアリティのあるそれら全てに驚きながらも、進んでいく話の続きを見守る事にしようと男の方に視線を戻す。


『これ、そこなお嬢さん。こんな夜更けに何用か』


 玄の掛けた声にしっとりと振り向くそれはそれは美しい女、小夜。真珠の如き黒髪がゆったりと背へ下ろされ月と水面の光でチラチラと煌めく。

艶めくのは漆黒の髪だけではない、妖艶とも思える程に形よくふっくりとして艶やかな上唇と下唇がゆっくりと開かれる。


『……今宵は満月が綺麗でしょう……ただ、それだけで御座います』

『月か……』


 玄は彼女の見上げる方をチラと見上げるが、また直ぐに視線を戻した。


を見上げて輝く月も確かに美しい。だが、このひとは更に美しい。今この時を離れたならばもう二度と出会えないだろう……そのような気がしてならない。何としても……と、玄は初めて会うた小夜に心奪われ、申します》


『名を尋ねても……?』

『小夜、と申します』


《しずしずと応える小夜、そこはかとなく憂い気な表情は更に玄を虜に致し候》


『俺は、玄と言う。小夜さんまた、会えるでしょうか』

『ええ、きっと』

『では、明日の夜に来たらば小夜さんに』

『いいえ、……一月後、また丁度満月の頃、わたくしは再びここへ参ります』

『相分かった、一月後。必ず俺はあなたに会いに来ます』


 玄はふわふわと夢見心地で、暫く立ち尽くした後に家路についた。

彼女を送っていくと申し出たが、それはなりませんと断られてしまったからだ。


『私は一人でここへ来て、一人でまた帰るのです。ですから、玄様は私に構わずお帰りになってください』


 そう言われれば、無理強いなど出来ようもない。


 ──それから待ちに待った一月後、満月は闇夜に美しく輝き昇ったので、玄は早い内から仕事をさっさと仕舞いにして逸る心を静めつつ出会いの場所へとやってきた。

 すると、彼女は既に居てぼんやりと空を見上げていたのだ。

 

『やはり、とても美しい』


 その姿を一目見るや否や、心臓の音がうるさいくらいに玄の体で鼓動を速くしたが、それを悟られまいとコホンと一つ、小さく咳払いをしてから『小夜さん』と話しかけたのだった。


『玄様は、約束をきちんと守ってくださるのですね』と称えた微笑みが、これまた玄の心臓を貫く。


《──それから毎月の満月を楽しみにする玄。会える時間はほんの四半刻程だったが、そうして幾たびの時を重ね経て、ただ、ひと時の夢見頃をかみしめる》

《雨降り止まぬ時でさえ、一本の番傘佇む二人――》


 景色はそれから幾度となく逢瀬を重ねる二人を情景毎にぼんやりと浮かび上がらせた。小雨振るような夜も、白い吐息を吐きながら冷たい手を擦り合わせ見えぬ頬をほんのりと赤らめつつ、一面銀色に輝いていた夜も。

いつしか二人はそっと互いに寄り添うように身を寄せ佇んでいた。



《二人を包むは宵の闇、玄は何とか日の昇る頃にと誘い出すが小夜は決してハイとは言わなんだ》

《ただ、行かれぬのですと答える小夜に、事情があるのだろうと言い聞かせそれ以上は無理強いをする事もなく、ただただ会える僅かな一時ひとときを楽しむが良しとした》

《玄の積る想いは日に日に増して、小さな炎からくゆる煙が出るが如く》


『あぁ、何とかして小夜さんを嫁に迎えたい。この想いをどう伝えれば良いのだろうか。しかし、日の昇る頃には出られないと言うものを一体どうしたら良いと言うのか』


《玄は頭を抱え、小さな炎を少しずつ少しずつ大きくしていた》

《くゆる煙は量を増し、炎はばちばちと燃え滾るような熱を帯びていく》



《かくして、両の手の指では最早数え切れぬ程の逢瀬を重ねていくと、ある時玄はついに決意した》


『俺は、今日、小夜さんに夫婦になってくれと言うのだ』


《揺るがぬ決意はしっかと炎の柱として玄の心臓に灯った。いざ、ゆかん。今宵も待っていてくれるであろう小夜の元へと》


──


 小夜は重く憂い気に口を開く。

『日のもとに出られぬのは、闇に生きる妖として生きているから。人と契りを交わすなら、私は能力の全てを無くし、人里へ下り生きていかねばなりません。

私と本当に夫婦になると言うのなら、私は夜の内に人里へ下り、挨拶周りを終えたらば一夜の交わりを経て正式に人となるでしょう。そして、今生では二度と家族とは会う事を許されませぬ』


 小夜は全て話終えると、俯いてほたほたと玉の雫を転がした。

驚きに目を丸め見開く玄は呆けそうになる自身の心臓をドンと一つ強く打った。

その行動に驚き、玄を見つめ直す小夜。

己で打った衝撃にぐぅ、と短く苦鳴を漏らすも、顔を上げた玄は心配そうに見つめる小夜を真っすぐと見つめ返した。


『小夜さん、俺は……それでもあなたと夫婦になりたい。俺がご家族に挨拶に行く事は叶わないのでしょう。人間の間の婚姻ならば、妻の両親へそんな無礼な事を働くつもりは全くないが……仕来りが違うのならば俺は、お山のふもとであなたを待つ』

『あぁ、そうまでして玄様……どうして私なのでしょう。しかし、私もどうかしている。逢瀬を重ねる度に思う想いが強くなる。あなたと同じ、人間だったのならばどんなにか……離れる家族が心配でなりません』

『二度と家族に会えぬというのは……』

『妖の者が住まう地は、目隠しが施されているのです。妖力を全て失い、ただの人となってしまえば私はもう二度と家族を探す事も、その地へ足を踏み入れる事も出来ないのです』

『小夜さん、もしも、あなたの決心がつく時が来るのならそれまで俺は待ちましょう。どんなに時を経ても構いはしない。俺はきっとあなたに寂しい思いをさせないと誓おう』

『玄様……っ』



《二人はきつく抱きしめあった。この後の二人の行く末がどんなものとなろうとも、離れる事はしないのだと確かめ合うかのように》


 一度、コォンと木を打ち鳴らす音がして、大きな場面転換を迎えた。

何も見えない程の真っ暗な闇が訪れ、シャラランと鈴の音がしとやかに響く。


《狐火揺らめく行列に、白無垢姿の華一輪。これから住み慣れた妖山を離れ人里へ下ろう》


 真っ暗闇の中に、徐々に白く立ち込める霧。その中にぼんやりと複数の影が浮かぶ。ずらりと並ぶ列の横には、青白い炎が揺らめき何とも言えず幻想的だ。

りぃんりぃんと虫が鳴く声も静かに響く。

 長く続く山の道、ゆっくりゆっくりと歩みは進む。

 

 山の麓には、玄が正装をして小夜の到着を待っている。住む所から、村のある人里へ降りて今度は玄と一緒に挨拶へ回らなければならないのだ。


『おとう、おかあ……私はきっと人里で上手に生きてみせましょう。だから、心配しないでどうか長生きしてくださいませ』


《小夜は人知れずそんな思いを胸に抱き、はらはら散りゆく雫を零しながら最後のお山を進みゆく》

《しとしとと、悲し嬉しの涙が降れば》

《別れと門出の交差点》

《白無垢包んだ狐の姿を霧と雨とが包み隠し行く》

《はてさてどなたが言ったのか、晴々しいお天道様が微笑むと、何処からともなく雨が降る。これが狐の嫁入りの、譚と致して終演にござい》



 鼓、笛、矛全ての音が調和する空間はとても居心地良く、うっとりとする程美しい演舞を一座は魅せる。

 本当に狐の仕業か、摩訶不思議な現象と共に噺の世界に引き込まれた一同は頭を下げるその皆々に惜しみない拍手を送るのであった。


 素晴らしい演劇の次は、体を使った楽舞が行われ番傘で様々なモノを回したり、一人がサルに化けてそれを操る、狐の猿回しと言う可笑しな演目まであった。

どれも目を見張る程素晴らしく、又、腹を抱えて笑うような時間があっという間に過ぎて行く。



 そうして花幻一味は全ての演目を終えて、盛大に飛んだおひねりを一つ残らず回収し『それでは、引き続き夢のひと時をお過ごしくださいませ』と一同で頭を垂れて部屋を後にする。







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