第39話 策略

――そして、全ての女中、銀が揃って「どうぞごゆっくり」と言って部屋を後にしてから既に三十分と言う時刻が流れようとしていた。


「んー……まだかな」


「まぁそう急くな、急かす男は嫌われるぞい」


「なんだよそれ」


「ふーうむ。わからんか? これはどうやら策略じゃよ」


「は?」


 少々痺れの切れて来た桃次郎は、桃太郎の意図が見えない発言にイラっと感情を滲ませ返事をしてしまう。


 それこそ、最初は退屈しないで済みそうなと思う程に見所のある部屋であったので茶と菓子を食べ終えた後は早速と探索へと繰り出した。

 部屋の美しい装飾を眺めたり、珍しい小物や天井を泳ぐ金魚達を眺めうっとりする事に忙しくしたものだが、体感ものの十分か二十分そこそこで探索し尽してしまう。

その後も、何とか暇を潰そうと外を見られる障子を開けると二階から眺める景色はまた壮観なモノがあり、木枠へ上半身を預け頬杖をつき下を行き交う花形さんや来園者の流れを見る。

 ――結局は、同じ景色を五分程で見飽きてしまって桃太郎の傍へ戻って胡座をかいて座るのであった。


「お主も忙しない奴じゃのう……ちーっとはじっとしとられんのか」


 早々に茶菓子を食べ終えたかと思えば立ち上がりアチコチを見て回ったり、部屋の中を所狭しと歩き回っては歓声を上げたりしていた桃次郎が、次第にため息をつきながら感心を無くしていく様を茶をゆっくりと時間を掛けて啜りながら桃太郎は見ていたのである。


「いや、だってもう結構経ってると思うんだけど」


「桃次郎よ、女子とは身支度に時間の掛かる生き物なのじゃ。それなりの相手に会う時は殊更に力を入れたいと思うのが女心と言う物であるぞ」


「いや、そうかもしんないけど……って言うか買い被り過ぎじゃ?」


 納得がいかないと言った風に口をとがらせる桃次郎に、桃太郎は例え話を聞かせる事にする。


「のう、桃次郎。例えばじゃが、二人を同時に愛する女性が居たとして」


「いや、浮気じゃん。ダメでしょ、いくら可愛くても。愛理さんなんて言ったらぶっ飛ばす」


「フン、まぁ、聞け。どちらも同じくらいに好いてしまっている状態で同じ日にでえとをする事になったとしよう。この女性は二人に同じ格好をして現れると思うか?」


 何その糞程どうでもいい質問……と思ったが、一応自分がその人だったらと暫し考えを巡らせると、普段自分も愛理さんに会う時は気合を入れていた事を思い出す。


(この状態が二人かぁ……もし、僕だったら相手が好んでくれるような服装に多少時間割いても着替えていくだろうか。持ち物も気にしたりしておかしくないか鏡で見るかな)

 

「まぁ、解らなくも……ないか……」


「じゃろ? 朧は、一度は違う輩の元へ向かう花魁道中の途中じゃった。

それが、ワシらが現れてワシらとひと時を楽しみたいと思ってくれたわけじゃ、光栄にものぅ。そしたらば、衣装もそれなりに変更が必要となるのだ。お主が生きとる時代と、花魁達が生きた時代とでは着る物も化粧も違うで更に時間を要するんじゃよ」


 確かに、洋服一枚や二枚でサラッと着られる自分達と違い、かなりの装飾に身を包んでいたように思える。化粧も一度落として施し直すのだろうか。あの髪を結うのは簡単ではないだろう。──確かに、時間が掛かってしまう事は仕方のない事なのかもしれない。


「それにじゃ、女子を待つのも男の甲斐性であるにょだよ」


「そ、そっか。そういうもんか……うん、まぁわかったよ」


「因みに、こうしてまだかまだかと気を揉ませるのも彼女らの手法の一つじゃ。

空腹の際は、飯が出て来るのが待ち遠しくなるものじゃろ?」


「ひえ、女の人って……おっかないな」


 桃次郎は納得と頷きつつ、大人の女性っていうのは怖い生き物なんだろうかとよそ事のように考える。

 そんな話をしてからは座布団に座り足を投げ出してリラックスする姿勢でひと息つきながら上を見上げた。

糞の一つも沈んでいない事を疑問に思いながらも、美しい装飾のある水槽天井をひらりふわりと泳ぐ金魚達にため息を漏らしつつ大人しく待つ事とした。


 それから暫くして、桃太郎じいちゃんと他愛ない話を繰り広げていると廊下から何やら声が聞こえてきた。


「お待たせしんした。なぁに? さては、二人でわっちの悪口でも言っていたんでありんしょう」


 スーッと静かに襖を開くのは蓮と香。その後ろからやぁね、と言いながら着替えや化粧、髪の結い方すらがらりと様変わりした朧太夫が静かに入って来る。

本来、禿は襖を開ける等の雑用はしない筈だが二人は『姉さまのお役に立ちたい』と常日頃からちょっとしたお手伝いを競って行っているとの事だ。

朧太夫とは、余程、蓮と香に気に入られている。二人のみならず、曙楼の皆にと一言加えておこう。


「いやいや、ちっとも待っとらんぞ。こうして楽しく話をしておっただけじゃ。それにしても、またとんでもなく雅になったもんじゃなぁ。可憐に咲く天界の花達すら朧太夫の前では気恥ずかしくて俯いてしまうだろうにゃ」


(うお、さり気なく褒めてるし!……じじい、やるな……)


「まぁ、桃ちゃんったら上手ね。煽ててもなぁんにも出やしないわよ」


 そうも言いながら華やかに笑う朧はとても美しい。桃次郎は『浮気、駄目絶対』と言っている癖に見惚れて口が開かない。


「すまんのう、こやつは気の利いた一言もかけられなんだ」


「や、あの、その。き、綺麗です……とても」


 気恥ずかしさに、とても目を見て褒める事は出来ず、ごにょごにょと俯きつつやっとの事でお世辞の一つも捻り出すが、正座の姿勢ですぐ股の間に両手を突っ込みモジモジと体をよじる桃次郎に情けないのぅと言わんばかりに桃太郎は横でため息を一つ吐く。


「ふふ、ここは楽しむとこよ。カチカチになりんしたら面白うありんせんでしょ。力を抜きなんし」


 腰を下ろすとじっと桃次郎の瞳を見つめ優しく微笑む朧は、ふいにその体温がじんわりと伝わる程に頬を近づけ、香白粉の香りで包み込むように甘く囁く。


「わっちの秘密……今宵だけ特別よ。見せてあげる」


 そう言うと、朧太夫は若干体を離し桃次郎をじぃと見つめたまま、上掛けに手を掛けスルリと畳みの上へ落とす。

 滑るように極めて自然な様でそうした朧太夫の目は伏せられて頬は紅をさしたばかりのように赤みを帯びていた。






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