第16話 きっかけ

 改めてまるりんの待つバイト先へと向かう。

 まるりんとは、桃次郎が幼少の頃からの付き合いだ。中学生に上がってからと言うもの、『初めてバイトするなら絶対にここが良い』と桃次郎はそう決めていた。

 読書も好きな彼にとって、ここは宝の山なのだ。

 お昼寝の時間に、添い寝で寝落ちした母を横目にそっと忍び出てはまるりんの本屋さんまで駆けて来て様々なモノに目を通す日々もあった。ついでに、おばあちゃんがお茶と美味しいお菓子なんかも出してくれたりて。ちょっぴり古臭い香りのするこの場所が大好きで、桃次郎にとってはかけがえのない場所でもあった。

 店内には、絶版になって今やもう伝説と謳われる書物があったり、ちっちゃい子が好みそうな飛び出る絵本、音の鳴る物や、純愛から純文学、星や宗教、果ては冒険まで……ジャンルとしては本当に多岐に渡り取り揃えられ、老若男女問わずに楽しめる読み物で埋め尽くされている。

 ここでアルバイトするようになって、もう4年も経つ桃次郎はまるりんに負けず劣らず書物の配置や眠っている物について詳しく店内を網羅するようになっていた。


◇◇


 (なんて言おうか……)腕組みをしてそう思案している間についてしまった。

店の前では、看板猫のミケが用意された特等席で日を浴びながらスヤスヤ眠っている。この子も随分おばあちゃんになったものだ。人間で例えるならば、ゆうに80を超えているであろう老猫である。


「ミケ、また寝てるの?」


 そう言って優しく額を撫でてやると、チラっと片目だけほんの少し開けて声の主を確認してから再び目を閉じて、代わりにグルルっと機嫌良さそうに喉を鳴らした。


「なぁんだまたか。出たな、ミケの狸寝入り!」


 頭や耳、尻尾を撫でてふわふわの感触に癒されながら、思わずクスリとして和んだ所で店の奥から声が掛かる。


「桃、来ていたのかい? 今日は狙っていた新物が入って来たよ。並べるの手伝っておくれ」


「まるりん、こんにちは。……って嘘! 手に入らないって言ってなかった!?」


 少々興奮気味に聞き返すと、まるりんはフフンと得意そうな笑みを浮かべ、


「私のココだよ、ココ!」


 シャツを腕まくりすると、しわが寄った細い腕に力こぶを作って見せポンポンと叩く。ホレっと言って一冊印籠のように出して見せた。


「相変わらず凄いねまるりん、うっわぁ本当に【伝説シリーズ】の最新作じゃん!! 大手の書店でも売り切れちゃって大変だってよ?!」


 伝説シリーズとは、最近流星の如く現れた富田と言う名の若手小説家が手がける作品達で1作目から異例の大ヒットを飛ばし続け、勢いそのままに来年には早速映画化とアニメ化がされるらしい。コミカライズも当然ある。

 但し、この富田、これしか公にしておらず男性なのか女性なのかも、年齢も全て伏せられているのだ。

 そんなミステリアス作家富田が手掛ける、どの書店も喉から手が出る程欲しいこの品をまるりんがどんな流通手段で手に入れているのか非常に気になる所だが、以前も似たような事があり尋ねてみた時には


「私が死ぬ間際にでも、桃に教えてやるよ。まぁ、今教えてやる事があるとすれば、人脈は広く持て。くらいかね」


 なんて言われてしまいそれきり謎である。

 実際、桃次郎に寄って来てくれる人は結構居るが、名前の珍しさからであったりしてその証拠に勝手なイメージで『君、思ってた子と違う』なんて言われる事も多々あったので【人脈確保ミッション】は未だクリア出来ずにいる。同年代などと長く付き合っていくと言うのは桃次郎には少し難しい課題であるのだ。


 荷物を奥の間に置いてエプロンをつける。あ、着替えていないとここで気がつき奥の休憩スペースに上がり普段着へと着替えを行いエプロンをつけがてらで店へと戻って来る。

 新しいモノが入荷する日は先に新物を店頭に並べ、それから今度は古書の方を整理する。その時、右棚と左棚に分かれ作業を行う為先に作業していたまるりんとは背中を合わせるような形になった。手に本を持ち、テキパキと並べ替えなどを行っていく。いつ話そう、いつ……と機会を伺いながら手は止めずにまるりんの様子をチラチラと確認しながら暫く過ごし、丁度、一列目が整理出来た所で話を切り出す。


「……ねぇ、まるりん。話があるんだけど」


「何、言ってみな。聞いてるから」


 互いに顔を見る事も手を休める事も無く、桃次郎から話を始める。


「スマイルマートの髭おやじがさ、亡くなったんだ」


 まるりんは、桃次郎の事を本当の家族のように思ってくれている。その為、日常的な出来事を割と細部まで話している仲だ。

 勿論、スマイルマートの店長の事は【髭おやじ】と桃次郎が付けた愛称で呼んでいてそれで話が通じる。

 まるりんは年齢も年齢でコンビニにちょっと寄ると言う習慣が無かった為、髭おやじとは出会う事が無かったが桃次郎の話を興味深げに聞いてくれていた。


「……そうか、桃が良く話していたね。良い人だったんだろう? 惜しい人を亡くしたね……」


 固めた決意の元、なるべくしんみりしないように言ってはみたが、まるりんの言葉で涙腺はあっけなく崩壊してしまう。実際に触れられてはいないのに、しわくちゃで温かい掌が桃次郎の心を包んだように思えた。


「…………っ」


 そこから暫く、桃次郎は静かに涙を流した。髭おやじの死を聞いてから1日、その場では大切な事を受け止めるより先に未来への決意をしてしまった為、自分の気持ちを底へ底へと押し込んでしまった。

 たった2年間の付き合いだったが、桃次郎にとっても髭おやじは大切な存在となっていたのだ。まるりんは干渉せずに黙々と作業を続けているがかえってそれがありがたかった。

 桃次郎が店に入って来た時に普段着では無かった事もあり、『何かあったのだ』と勘づいていたし、今は桃次郎が自分の中で整理をつける時なのだと何も言わずとも分かってくれている。そして、その場所にここを選んでくれた事を嬉しくも思う。

 静かに流す涙、漏れる嗚咽だけがまるりんには聞こえていた。



「ズビ…………まるりん、僕、髭おやじから【家族を頼む】ってお願いされたんだ」


 暫くして、ようやく涙が止まった頃、桃次郎が再び話を切り出す。


「……続けて」


「スマイルマートこれからママさんと娘の愛理さんで切り盛りしていくらしいんだ。僕も、そこでアルバイトしたい。助けにはならないかもしれないけど見守る事くらい僕にもできる。

……でも、こっちのバイトも辞めたくないんだ。出来れば、交互に両立させたい」


 結構我が儘に言っているかもと思うが、どちらもやりたいと本気で思ってしまったし、この気持ちをどちらかにだけ傾けると言う事の方が難しかった。


「……ふむ。そうか、そう言う理由ならば仕方ないね。家内と2人少しだけ寂しくなるけどミケも居るしな。桃が辞めてしまう訳でもないからね。あちらさんは日程についてはどう言ってた?」


「うん、こっちと先に話をしてきてからどうなるかでコンビニの日程を調整するって」


「うむ、なかなかによく出来た奥さんだ。そうだな、私の方としても桃が必要なもんでね。今まで不定期だったが、火・木・土ではどうだろうか? 土曜に関しては二か所になってしまうが午前中はあちらさん、午後はこちらと言う具合に。日曜は流石に休まないとね」


「うん、うんっ! それがいい、ありがとうまるりん!」


 こうして新たなるシフトがこちらでは決まり、正々と新しい職場へ挨拶に行ける。


(――あんなにちいさかった桃が、人様の為に自ら動くようになったのか。子の成長とは何と早い事かね)


 まるりんは、桃次郎が話を切り出して来た時とは明らかに変化した様子に、幼い頃からよく知っている彼の成長をまた一つ、しっかりと見る事が出来て内心で嬉しく思ったのは本人には内緒である。


「あちらさんも待っているだろうから」と促され、本屋のバイトをいつもより早く終えた桃次郎は、再度スマイルマートへと足を運び、ママさんとシフトの調整を行い晴れて掛け持ちアルバイターとなった。

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