第15話 ママさん

 ぼーっとする頭を覚ます為に一度大きく伸びをした。


「準備しないと」


 手早く着替えて一階へ下りると朝食が食べられるばっかりに揃っていて驚いた。しかも、昨日の夕飯では無く朝食用としてだ。


「母さん、昨日の夜ので良かったのに……」


「いいの。おはよう桃、今日は何限まで?」


「おはよう。今日は3限まで」


「そう、夕飯適当に作っておくからいい時に食べてね」


「ありがとう、いただきます。あ、昨日面接行かなかったから今日行ってくるよ」


「ふーん、わかった。急いでて怪我とか無いようにね」


「うん、了解」


 自分の為に用意してくれた朝食を食べ、出かけるまでに一通りの事を済ませてから大学へと向かう。

 通学途中にスマイルマートの前を通ったが、普段見ない女性が1人で月曜朝の忙しい時間を懸命に捌いている様子が見えた。

面識が無かったので定かではないが、あの人が髭おやじの奥さんだったのだろうか。

 色々と考えを巡らせながら大学まで到着したのはいいが、その日受けた講義は全てぼんやりとしていてノートも碌々とっていなかった。


 そんな様子で本日ラストの3限までをこなし、学食へと向かった桃次郎は慣れた手つきで券売機のボタンを押す。

毎食お馴染みのきつねうどん320円のチケットを購入しておばちゃんに渡し、カウンターで品が出て来るのを待つ。


「桃君、あんたぁいっつもきつねうどんだねぇ! たまには違うのも食べてみなよ! おばちゃんのはどれも美味しいよぉ~!!」


 学食のおばちゃんにこれまた顔を合わせれば毎度言われる事である。ほとんどテンプレートな受け答えにしかならないが


「これが好きなんですよー。ま、また今度挑戦してみます」


「そーかい、まぁ気が向いたら定食なんかも食べてみてね」


などと雑談を言い交わしながら、待つこと数分。


「あい、おまた! 今日は特別揚げ2枚だよ!」


「いつもありがとうございます」


 ここのおばちゃんは何だかんだとオマケを付けてくれるので皆こぞって食べにくるのだ。世話好きの人懐っこいおばちゃん達に遠くから下宿で来ている人達は癒されてるんだとか。


 定位置の窓際に席を取り、割り箸を割る。「頂きます」と合掌してから完食までにそう時間を要さない為ツルっとあっという間に平らげてしまう。

 ごちそうさまでした、と食器を返却しながらおばちゃんに挨拶をすると「またいらっしゃいねぇ!!」大きく元気な声が返ってきた。

 それから、校内のトイレに入って略式喪服に着替え、目的地へと向かう。

時間も時間でそんなに人通りがない。足取りは少しだけ重たい。


『あなたと一緒にスマイルマ―ト♪』


 馴染の音楽を耳にしながら自動ドアが開く。店内に進むと「いらっしゃいませ」

初めて聞く女性店員の声がする。

 桃次郎は入口から真っ直ぐレジへと向かう。流石に、少し、いや、大分緊張するが怯んでいる場合でもない。決意の一歩は既に踏み出したんだ、後は勇気!


「こ、こんにちは。えっと、初対面で失礼ですが店長さんの奥さんですか?」


 何も持っておらずレジに直進してきた桃次郎を不思議そうに見る女性。

エプロンについているネームプレートには【店長代理】と書かれていた為桃次郎は間違いないのだと確信した。


「え、ええ……」


「初めまして、僕は笹ヶ瀬 桃次郎と申します」


「あぁ、あなた、主人がいつも話していた子ね」


 正体が判明した所で不審者では無い事に少し安堵したようにも見えた。


「あ、はい。多分それ僕です。あの、今日は買い物でなく……不躾で申し訳ないのですが、良かったら店長さんにお線香を上げさせてもらえないでしょうか」


 髭おやじの奥さんは目を丸くして見つめてきたが、ふっと笑みを浮かべて「もちろん」と答えてくれた。


「イチジクちゃーん、熊ちゃーん、ちょっと」


「あーい?」


「うす」


 呼ばれて店内奥の部屋から1人、赤い髪でツインテールの女性が出て来た。

続いて、冷凍の品を陳列していた体の大きな男性が手を止めレジに寄って来る。


「ちょっと、この子とお話があるからお店お願いね」


そう伝えると、イチジク・熊と呼ばれた2人のスタッフは桃次郎の方をちらっと見て『了解です』と声を合わせた。


「熊っち、そのまま商品頼むね、あたしはレジやるよ」


「うい」


 そんなやり取りがなされ、役割分担が決まった所で「こっちよ」と奥さんに案内されて店を出る。

コンビニ直ぐ横の敷地には、赤い屋根の庭付き一軒家が立っていて表札には珍しい苗字が掲げられていた。


【鬼児島 幸彦・雪音・愛理・ポチ】


「この時間だと、愛理はポチと散歩に出ているわね。どうぞ入って」


 門を開いて桃次郎を案内してくれる。石畳が敷かれ、その道が玄関先まで続く。玄関に入るまでに桃次郎は遠慮がちに尋ねる。


「あの、なんて読むんですか? 珍しい苗字ですね?」


「あ、読めないわよねぇ。おにこじまって読むのよ全国でも数十人しか居ないって聞くわ」


「そうなんですね、初めて聞きました」


 奥さんが玄関を開き先に上がると、スリッパを用意してくれる。


「どうぞ、上がってください」


 促され靴を揃えてから上がらせてもらう。決意を胸に秘めているとは言え、自分からこんなに積極的に他人の領域で動く事が無い為、いくらか心拍が上がる。

 上がって直ぐの右側に6畳程の和室があって、仏間にもしているようだった。

と言っても仏壇があるわけでは無く、小さな棚に髭おやじの写真と位牌など一式が置かれている。

 最近は、こうして大きく立派な仏壇よりも個々の暮らしに合わせインテリア仏壇を選ぶ人も多いのだとか。


「お父さん、桃君が来てくれたわよ。良かったわね」


 そう写真に話しかけ桃次郎にどうぞ、と言う。


「失礼します」


 髭おやじの前に座る。何とも言えない不思議な感覚だ。写真の中で笑う髭おやじとは、何度も会って話をして……つい最近まで紛れも無く【生きていた】のだ。――それが、今はもう、話す事すらも叶わないなんて。

 お線香をあげ、手を合わせている内に、涙が込み上げてくるが溢さないようにと懸命にそれを抑え込む。

 合掌し、お悔やみを伝え、手土産を渡してひと時を過ごした後、奥さんはお茶とお菓子を用意してどうぞ、と桃次郎の前にセットしてくれる。


「桃君、今日はありがとうね。お父さんもきっと飛び上がって喜んでるわよ」


「……そうだと良いんですけど。……あの」


 髭おやじの奥さんに向き直り、真っすぐ見据えて切り出す。


「この場で本当に相応しくないですが、単刀直入に言います。僕を、スマイルマートで雇ってください!!」


「……え? 桃君を?」


 驚きを含む返答が返って来る。当然と言えば当然か。


「はい。履歴書も持ってきました! 実は、もう一ヵ所アルバイトしている所があるんですが……」


 長時間お邪魔するのは良くないと思いながらも、経歴を説明しておく事にする。


***************

 桃次郎は、高校入学~大学2年の現在まで続けているバイトがあり、それは近所の小さな古本屋だった。

 丸眼鏡を掛けた昔馴染みのおじいちゃんが店主をしており愛称は【まるりん】眼鏡が丸いからと言う理由で奥さんがそうつけたのを幼い頃から桃次郎もそう呼んでいる。本人も気に入っている為か、バイト初日は流石に名前で呼ぼうとしたら『桃、私はよそよそしいのは嫌だよ』と言われて今でもまるりんと呼んでいる。

 桃次郎はおばあちゃんとも仲良しで、休憩時間になるとお茶を出してくれ、


「あの人、この頃背中もまるくなり始めたから余計に【まるりん】ねぇ」


などとこっそり耳打ちしてきては、コロコロと笑っているようなほのぼとした空間で何とも居心地がいい。

****************


「まるりんの古本屋なんですけど……」


「まる……あぁ、あのお爺ちゃんとこのね」


 ふんふん、と顔見知りのような反応だった。

 地域に大手の書店は2か所程あるのだが、昔からやっている唯一の古本屋はまるりんの所しか残っていない為、近所ならば顔くらい知っていてもおかしくはないが。

 うーん、と思案する事数分の後、


「そうね。今は人手が足りないから、すぐにでも採用したいんだけれどお爺ちゃんの所はどうするの?」


「はい、出来れば両立を考えています。土曜か日曜はどっちか1日で良いのでお休みしたいのですが」


 図々しいかもと一瞬迷ったが、桃太郎じいちゃんの事も放っておけないので最低、週1日はそれに充てなければと思い伝えてみた。


「……わかったわ、桃君を採用する事にします。でも、先にお爺ちゃんとお話してきてね。それから、こちらのシフトは調整しましょう」


 あまり思案する様子もなく、こちらの話を聞いただけでスンナリと採用が決定した。安堵と共に、まるりんにも話をしなくてはと新たな課題が出来たが、今日もバイトの日なのだ。これから出勤である。


「皆への紹介は、シフト調整する時にきちんとするわね。あ、愛理とは会ってくれたのよね。あの子、しっかりしているようでそそっかしい所も結構あるのよ。桃君、これから仲良くしてやってね」


「も、勿論です! こちらこそ、その、宜しくお願い……」


「待って、お爺ちゃんとお話がついてそれから改めて聞かせて欲しいわ」


「はい……」


 桃次郎が少々萎んで返事をすると彼女は穏やかに微笑んでからポンと手を打って、


「そうだ、私の事は……ママさんって呼んで欲しいわ! なんだかその呼ばれ方ずっと憧れだったのよねぇ」


「は、はい。……じゃあ、ママさんで……」


「ふふ。あ、もうバイトの時間なのかしら? 行かなくちゃね」


 玄関先まで丁寧に見送りに来て、桃次郎はこうして鬼児島家を後にした。










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