第14話 約束

『桃! 何だ、しけたツラぁしやがって、そんなんじゃ俺みたいな良い男になれねえぞ!』


 バシッと思い切り桃次郎の肩を叩く。


『いったぁ!! ちょっ……手加減なし……』


 じんじんする肩を摩りながら涙目で訴える桃次郎に『気にすんなガハハ!』と豪気に笑う髭おやじ。少し前に見た光景がそこにはあった。



——翌朝目覚めた桃次郎は、ぐいっと腕で目元を拭って体を起こす。

日曜だと言うのに気持ちは底まで沈んでしまっているかのようだ。

一階に降りると、既に母特製の味噌汁の良い香りがしている。


「あ、桃おはよう。目玉焼きと卵焼きどっちが良い?」


「母さんおはよー。んー……目玉焼き」


「りょうかーい、顔洗ってらっしゃいね」


「ん」


 うるおい+の洗顔フォームを泡立ててぬるま湯を使いきっちり洗顔を終える。

 普段、朝は水洗顔だが昨夜はきちんと洗えなかった為だ。今時の男子はお肌も気にするのです。なんて、ノリツッコミのようなものでもしておかないと気分を持ち上げられない。

 洗面を終えてリビングに行けばテーブルには桃次郎の箸が一膳、ワカメと豆腐の味噌汁、白いご飯に秘伝のぬか漬け。最後に、


「はい、出来たわよ。ベーコンエッグにしちゃった」


 と母が小踊りでフライパンを持ってきた。白い円形の皿に、香ばしく焼けたベーコンと融合した半熟の目玉焼きが油を跳ねさせながら滑り乗る。


「あ、これもね」


 と追加でプチトマトが3つコロリンと目玉焼きのふちに転がる。

桃次郎にとってこのちまっこい丸い奴は敵である。あんまり好きにはなれない輩で、食べようと思えば何とか食べれるくらいの感じだ。

 今日の朝食は母お手製なのだ、全て完食出来るよう気合を入れねばなるまい。例え空元気であっても。


「う……ありがと。頂きます」


「桃ったら、まだプチトマト駄目なのー? いい加減食べれるようにならないと駄目よ。あ、今日も出掛ける?」


「んーと、新しいバイトの面接と、挨拶……かな」


 渋々と言った感じでプチトマトを摘まんで口に放り込む。苦手な物は先に食べてしまおう。


「……っ!!」


(んあー……甘いのか酸っぱいのか非常によく分からないこの味と中に詰まってるこのジュルジュル一体何なんだよっ!)


苦悶の表情を浮かべながら何とか格闘していると、母が驚いたように聞いてきた。


「え、まだバイトするの?」


 既に桃次郎は一週間の内大体4~5日間、近所の古本屋でバイトをしている為驚くのも無理はないのだが。しかも、桃次郎は実家暮らしであるからそんなにお金には困っていない筈なのだ。


「ん、まあね。色々あって」


「ふーん、そうなの。あんまり無理しちゃ駄目よ」


「うん。大丈夫だよ」


 朝食を済ませると、コンビニへと向かう。それこそ、学校へ行く時などにも最初はくっついてきた桃太郎じいちゃんは飽きてしまったのか最近はついて来なくなっていた。

桃太郎じいちゃん曰く、講義を聞いていても「何を言っとるのか訳が分からん」

だそうだ。


 それもそうだ。現代と大昔では勉学も違うのだよ。桃太郎じいちゃんの幼少期みたいに、そこいらの枝や小石を使ってこれらを合わせていくつでしょうとかやってる場合じゃないのだ。……いや、そもそもそんな概念はあったのか?

 現代っ子の授業はタブレットも多く使うし、様々なモノが進んでいるわけで。僕が持つスマホやPCにも最初だけ興味を示して今は見向きもしない。


 そうこう思っているうちに、スマイルマートへと辿り着いた。

ハタ、と店の前で足が止まる。


(勢いで履歴書を持ってきたけど……今朝じゃん。忙しいよな。あ、しかも僕の恰好やっぱ駄目だよな……面接はスーツで良いかもしれないけど、もしお線香あげさせて貰えるなら喪服とか何かそう言うの着て香典か手土産も必要だ……あぁ、何やってんだ僕のバカ)


 暫く思案に沈み、やっぱり明日にしよう。と思い直した。証明写真だけは撮らなきゃとスマイルマートの店舗横にある証明写真機で撮影して、小さなハサミを取り出しその場で丁寧に貼り付けた。


「これでいいか」


 履歴書をファイルに入れ直しバックに仕舞い、今来た道を引き返しながら途中の洋菓子店で手土産を準備して帰路につく。

 それにしても、髭おやじの事を考えると何とも現実味に欠ける。

だって、あれ程話をして、実際に触れて(主に向こうからワシャワシャ頭を撫でくりまわしたり、背中や肩をバンバン叩くとか)、暑苦しいくらいに熱くて……

 目頭がジワリと歪む。

 わりとすぐ帰って来た息子について母は追及する事もなくただお帰りとだけ言って迎えた。

 部屋へ入れば桃太郎じいちゃんの姿は無くて、一人ベットへうつ伏せに沈む。


「当り前が、ある日突然当たり前でなくなる……」


 ぼそりと呟いた一言は布団に吸い込まれて消えた。


…………

……


「……」


「……ろう、」


「ん」


「桃次郎」


 誰かが呼びかけている。意識が浮上し瞼が開く。


「やっと起きたか」


「桃太郎、じいちゃん……?」


 視界には眉を下げて不安げに顔を覗き込んでくる桃太郎じいちゃんの顔が映る。朝帰って来て脱力してそのまま布団へ沈み、そのまま寝てしまったらしい。

 顔だけ横を向けて窓の外を見れば、もう夕焼けが空を覆っている時刻になっていた。

 日曜にスマホもいじらず他のゲームにも触らないなんて普段の桃次郎からは考えられない事だったが、どうにもそんな気が起きないのだ。チマチマ毎日欠かす事の無かったログインボーナスの獲得も『別にいいや』で片付けてしまっている。某はまっているオンラインゲームのギルドマスター、一度やってくれと仲間内から話があったが今はなっていなくて良かったかもしれないとも思った。

 よっこら体を起こせば窓から橙の光が伸びて、影が濃くなり始めた部屋の中は何故かもの寂しくて桃次郎の胸を少しだけ締めた。


「桃次郎、ママさんがお昼を置いて行ってくれてあるぞ。食べられるか?」


 ほれ、と机を指すので見ればラップをかけられたお皿と飲み物が置いてある。

 正直、あまり空いていないような感覚だったが折角作ってくれたのだからと頂く事にする。

 電気もつけずにのそのそと机まで行き、椅子を引いて腰を下ろす。

手を合わせ頂きます、とぼそぼそ呟いてからラップを剥がして飲み物から口に含んでいく。

 もうすっかり冷めてしまったオムライスだったが、母の温かさは消えずに残っている様で食べつつ視界が滲んでしまう。

 流石に、夕飯は入りそうになかったので食べ終えた食器をキッチンに持って行きがてら


「母さん、飯ご馳走様、旨かった。今夜の分は明日の朝食べて行くよ」


 そう伝えると、母は「はい」と手を出した。食後はなるべく自分の物は自分で洗うように心掛けているのだが……。何か察したのだろうか。甘えさせてもらう事として食器を手渡すと、受け取り了解と言って準備に戻っていく。

時と場合にもよるが、こう言う時に『どうしたの?』とかしつこく突っ込んでこないのでとても助かる。何と言うか、自分の心と頭と向き合って持ち直したい時もあるから執拗につつかれたくない時はそっとしておいてほしいのだ。


 普段は『食べたばかりでは横にならない』をモットーにしているが今日はもう体を起こしている事すらもしんどくて、枕を高めにしてから再びベットへと沈んだ。そこから直ぐに眠ってしまい、気が付いたら翌朝だった。

泥のように眠っていたのか、夜家族が自分を呼んだと言うが全く気がつく事もなかった。

 桃太郎じいちゃんは、昨日の時間から「少しの間外へ出て来るぞい」と言って出て行ってから朝になってもまだ居なかった。

まさか、視えなくなった? とも思ったが、多分、いや、直感的に外へ出ているだけなんだろうと感じた。

その内戻って来るだろうと一先ず放っておく事にして、自分は自分のやれる事をやらないとと思い直す。

 今日は、昨日渡しそびれた物を届けに行くんだ。何て言おう、まず募集があるかどうかも分からないのに。思いきり不審者だよな。

 でも、本人とは直接結べなかったけど、約束をしたんだ。髭おやじと。

 












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