第13話 髭おやじ

 暫くして話しが終わったのか、彼女が桃次郎に向き直る。


「桃太郎さん、とっても楽しい人ね! 童話の中よりずーっと素敵でびっくりしちゃった!」


「え、はは。そ、そうですか……ねぇ?」


 桃次郎は、引き笑いしながらも何とか返答。自分にとっては迷惑爺でしかないのでなんとも言えない。


「それでね、はい、これ」


そう言ってパッと差し出したのは、白い封筒。笹ヶ瀬桃次郎様と宛名が綺麗な墨文字で記入されている。


「え?」


 見るからに手紙であろうそれを見て、突然の事に桃次郎の口から疑問が漏れる。

何故、彼女が自分に手紙を? 記憶の限りでは、やはり彼女とは初対面であると思うのだが……。


「父さんから、あなたにって。随分前に書いていたみたいなの。でも、渡せなくって。……悪いんだけど、ここで、その……読んでくれるとありがたいんだけど……」


すまなそうに項垂れながら、良かったら。と最後に付け加える。


「も、勿論……じゃあ……」


封筒を受け取り、丁寧にぺリぺリと後ろの封を剝がしていく。中から2枚程、手紙が出て来た。

三つ折りになった物を広げて、目を通した一行目から桃次郎は視線が固定され動かせない。


「…………」


 若い女性からの手紙ならば桃太郎じいちゃんも嬉々として覗いてきたであろうが、桃次郎の後ろから覗き込むでも、囃すでもなく茶化さず髭おやじの娘さんに寄り添うような素振りを見せる。

 手紙を支える自分の手には何時しか力が籠り、両端が拉げて来る。

髭おやじからは想像出来ないようなカッチリとして均等な文字で、ぎっしりと長文がしたためられた1枚目と2枚目に何とか最後まで目を通し終えた。


「――っ……して……」


桃次郎は定まらない思考と熱い程の焦燥に胸を焼き、激しい混乱の渦中にいた。


「ごめんね、何て書いてあるのかあたしには解らないけど……やっぱそう言う類だったのかな」


「どう……して……ッッ!!!」


 俯く桃次郎の声が震えながら荒ぶる。

桃次郎には見えないが、彼女は申し訳なさそうに笑ってから話し始めた。


「父さんね、最初はなよっちい大学生が良く来るようになったって君の事話始めてね。いつしか『俺の話に付き合ってくれんだよ、大学入ったばっかで桃って言うんだって! アイツは良い奴だよ絶対』とまで言うようになったの。

それから、どのお客さんの話より桃君の話が多くなってね。何時だったか、『愛理! 聞いてくれよ! 今日は桃が初めて俺に話しかけて来てくれたんだよ!』って帰って来るなり大興奮で話しかけてきたんだよ。

『いつもは父さんからしか話さないのに?』って茶化して聞いたら、『そうなんだよ!』って更に興奮しちゃって……ね。

父さん、君の……事さ……本当に……」


言葉が尻すぼみに小さく消えそうになる。


「…………」


 暫しの沈黙がその場を支配する。間に流れるのは重苦しい湿った空気。

桃次郎は自分の中でこの状況を租借出来ずにいた。つい、何日か前までは話をして、大きな手でバシバシと肩を叩かれたりしていた。髭おやじの笑顔が脳裏に蘇っては、やるせない気持ちが押し寄せ桃次郎の口を塞がせる。


先に沈黙を破ったのは彼女だった。彼女は「ふぅ」と1つ吐息を漏らし口を開く。


「丁度、3日前にねお店から戻って来て直ぐに突然発作がでちゃって……救急車呼んだんだけど……そのまま逝っちゃった。葬儀の準備からなにからあっという間だったなぁ。

救急車の中で、『手紙探して』って言い残したの。部屋中探して私と、お母さんの分と……君への手紙があったんだ。

よく来るって聞いてたからね、会えたら渡そうと思ってたんだ。特徴、よく聞いてたから……すぐ、わかったよ」


 愛理が堪えながら話をしている一方で桃次郎は口をつぐんだまま、ぐちゃぐちゃな感情を必死で呑み込み、何とか言葉を紡ごう紡ごうと懸命に思考を巡らせる。

髭おやじの娘さんの姿を初めて見て、まさかこんな誘いだとは知らずに勝手に浮かれて、名前だって今知ったのに。

名前だけで苗字すらわからない状況。だけど、口にしたのは今しがた知ったばかりの名前だった。


「……愛理さん……」


「ん?」


 ようやく桃次郎が声を絞り出して発声すると、穏やかに返事を返してくれ。

手紙を握りしめたまま俯いていた時険しく強張った顔は、今にも泣きそうで切ない表情に変わる。


「僕、これからも今までみたいにスマイルマート行きますね」


「うん。宜しくね、明日は母さんがお店に出てるから」


「はい、また」


 お互いに無理やりと言ったような笑顔を作る。

愛理さんと別れ、桃次郎が家路に向かう足取りは重い。


「桃次郎……」


 隣から桃太郎じいちゃんが話しかけて来るが、「ん?」と軽く返すだけしか出来なかった。薄暗い街灯がぼんやりと行く道を照らす。その先を眺めながら抜け殻のようになって歩く。


「その、残念じゃったの……髭おやじ殿はなかなか良い漢じゃった、実は桃次郎に声を掛ける前から側には居たからのぅ。見ておったよこっそりと」


「そっか……うん、そうだね……僕もそう思うよ…………」


 そこで会話は途切れ、変わりに桃次郎の思考はとある決意を胸に硬め自宅へ戻る前に、24H100均へ寄り道し1点だけ買い物をして帰宅した。

母が夕飯を作り待っていてくれた。


「お帰り、遅かったね」


「ただいま。うん、色々行ってて。先に食べててよかったのに」


「だって、母さん1人で食べるの嫌なのよ。パパ今日は呑んでくるから夕飯いらないって言うしさぁ! 寂しいじゃない」


「はは、そっか。……じゃあ、頂きます」


「はい、どーぞ! 母さんもいただきまーす!」


 いつもと変わらない様子の母に少しだけホっとする。

他愛のない会話をした後は、食器を片し軽くシャワーを浴びて自室へ戻る。

机の椅子を引き座ってバックの中から買ってきた物を取り出す。


「桃次郎? なんじゃいそれ」


「これはねー履歴書って言うんだ。僕はこう言う者で、こんな経歴ですって書き記す為の物で証明書でもある」


「ほほー、それを何に使うんじゃ?」


「働かせてもらう為の僕の参考書類。バイト、もう一ヵ所増やすんだ」


「ほぉ~」


 そう言いながら記入前の用紙をまじまじと覗き込み、物珍しそうにしている。

そんな桃太郎じいちゃんをよそに名前から順々に記入していく。こう言うのって下書きした方がいいんだけど、得体の知れない集中力の助けもあってサラッと書き通す事が出来た。


「……よし、書けた。後は、明日だ」


「でけたにょか?」


「ん、出来たよ。さて、寝るか」


 書き上げた履歴書は通学バックの中へしっかりと仕舞いベットへダイブし、うつ伏せからコロリとひっくり返ると、いつもと変わらない天井が視界に入る。


「桃太郎じいちゃん」


 ふと、桃次郎が話しかける。


「ふわぁ、なんじゃ?」


 まだ眠りに入っていなかった桃太郎から欠伸と共に返事が返って来る。


「僕、髭おやじとの約束……守りたいんだ。後、今日は満足に回れなくてごめん」


「何も謝る事はなかろう、ワシは我が儘言っとるだけだしにょ。……桃次郎がやりたいようにすりゃあええの。出来る事はあまり無いが、付き合うぞい」


「……ありがと……おやす……み……」


 言い終える前に寝息を立て始める桃次郎を見て、


「ワシは、どうやらえらい良い子孫に恵まれたようじゃのぅ」


 と呟く桃太郎は、ひと時桃次郎の寝顔を眺め「おやすみ」と声を掛けた後に自身も眠る事にした。


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