第10話 マヨたまパンと珈琲ウマイ

 笹ヶ瀬家は毎朝、パンかご飯か2種類から選べるスタイルの朝食で、四角い食パンをトースターでチンする方を選ぶ。土曜日は割とこちらが常食だ。

 袋から1枚引っ張りだしてから当たり前のようにその足は自身の血肉になる上で1、2を争うであろう必需品の眠る場所……冷蔵庫と言う宝物庫へ向かう。自分専用かつ存在している中で例を見ない至高の調味料、マヨネーズを手に取ると、ホールケーキにデコレーションするかのように、にゅるりと四方を耳に沿って1周させる。しっかりと土手を作ったらその中に、卵を1つ割り入れる。この時の卵はⅬサイズでは白身が上手くマヨ砦に納まらず溢れて勿体ないので、Ⅿサイズが好ましい。

 何なら、小玉ちゃんでも可。

 最後に塩、コショウを少々振りかけトースターの中へご案内。黄身がトロリとするくらいが好きなので、大体5分程を目安にタイマーをセット。

じっと赤く灼熱になってゆくトースター内部を見つめる。中が熱される過程に、マヨが沸々と泡立ち蕩けていく――

外まで届く香ばしい香り、たまらずぐぅと小さく腹の虫が空腹に鳴く。

 因みに、この家でマヨラーは自分だけ。他の者と争う事などなく全てをわが物に出来るのだ……どれだけ使っても!!


「こぉらっももったら、まぁたそんなにマヨネーズ使って! ひと月もたないじゃない!!」


「ハイ、スミマセン」


 とまぁこんな風に目に余ると雷が落っこちて来るトラップもあったりするが、それを乗り越えてこそ真のマヨラーと言えよう。


「――はぁ、んまそう……」


 焼け始めを視覚と嗅覚で楽しんでいると、うっかりそのまま焼け上がるまでそこで待機していたくなってしまう。しかし、もう1つ大切な準備があるのだ。

 徒歩3秒、台所に設置してある観音開きの戸棚を開きに行く。

そこからお気に入りのコーヒー専用ケトルを取り出し、3つあるカップとマグの中から月夜を眺める黒猫の柄が描かれたマグを選る。


「これじゃないとね」


 口の細長いケトルも3つのマグも、桃次郎が自分自身で店に足を運び気に入る物を手にするまで延々悩みに悩んで手にしたお気に入りの物達。

 そう、今朝使うこの月夜の黒猫マグもそれこそ出会って1時間も思案して手に入れたのだ。

——あれは、大学の入学式を終えた春の日の事。

 新しい自分に出会えるようなそこはかとなくウキウキとした気分で、ふと目に留まった雑貨屋に招かれたような気がして立ち寄った。

こじんまりとしていながらもきっちりと整理されていて見やすい店内で目を惹いたのがこのマグである。長きの熟考を終え満足してお気に召したそれを大事そうに手に持ち会計へ進むと可愛らしい店員さんが、


「随分と真剣に悩んでいましたけど、彼女さんへのプレゼントですか?」


ふふっと満面に喜色を湛えながら尋ねてきたものだから、自分用ですだなんて口が裂けても言えずに、


「え、あはは。そうなんですよー、猫が好きなもんで……」


しどろもどろに、最初の一言に嘘を混ぜたのを最後の自分の中にある真実で


(嘘は……言っていない――よな)


と、内心では正当化しておく。


「んー素敵な贈り物! 彼女さんきっと喜びますね!」


 と破顔して女の子が喜びそうな可愛らしいピンク色のラッピングを包装から、赤いリボンまで含めものの30秒でやってのけた。


「私からのサービスです、はい出来ました!」


 華麗な手さばきでラッピングを終えて軽快なウィンク星を右目からパチンと飛ばす。そして、何事も無かったかのように通常の店員仕様に戻る。


「1500円になりまぁす。あ、丁度頂きますね。ありがとうございましたー! またのお越しをお待ちしています!」


「あ、はは。――どうも」


 支払いを済ませ、何とか笑みを貼り付けながら軽く会釈し店を出る。が、その笑顔が自然であったかどうか解らない。なんにせよ、多少の嘘をついた罪悪感と店員さんが気をまわしてくれた事で得たやるせなさとを共に丸めて時空の彼方へ葬り去った。つまり、闇の中である。


「そんな事もありましたな、はい。ま、いっか」


 そう呟きながら、ちょっぴり切ない思いを胸に蘇らせつつケトルに水を注ぎ、コンロに乗せ火にかける。揺らめく火はケトルの底を徐々に温め、水から湧き湯に変わるまでそう時間を要さなかった。

 その束の間に、マグの中にはインスタントコーヒーの粉4杯と砂糖を2杯入れておく。微糖よりもほんの少し甘めに作るのが丁度いいのだ。


「長いのぅ~……回想も含めて長~いのう。まだかの~……ワシ、もーっとじじいになっちゃうぞーい」


「……はぁ、貴重な土曜日の朝も早よから叩き起こされ、飯もゆっくり摂れないのか……つーかもう十分糞じじいじゃ……」


 ぼそりと悪意を込めて呟いた一言に、ジト目であわよくば消えてくれないかと念を含ませて送ってみたりするものの、そう都合よくはいかないのである。


「酷いのー……ワシの子孫はひーどいのう……じじい苛めじゃよー」


 そんな悲痛な声を華麗に無視した瞬間、チーンとライトな音を響かせトースターが主食となるマヨタマパンの完成を告げ、同時にケトルがシュンシュンと静かに沸騰を知らせる。


「ん、ナイスタイミング!」


 思わず、活躍した調理具達にとびきりの笑顔でサムズアップを送る。

コンロの火を鎮火した後、ケトルの取っ手を持ちマグへゆっくりとその体を傾ける。熱い湯がコポコポと注がれ、マグの中では砂糖とコーヒーが乱舞し混ざり合う。目の覚めるような香りが立ち昇り思わず背筋が伸びる。

続いて、ライトな音で呼んだアイツの元へ。

秘なる扉をオープンすれば、その風圧に乗り鼻腔と腹の虫を刺激する香ばしくも食欲をそそられる魅惑的な香りが顔面に直撃する。それらを、ノーガードかつ余すこと無く受け止めトースターから皿の上に引き上げる。


よしっ朝餉の準備は万端だ!


 熱々のパンにはふっとかぶりつくと、最初にパン耳のカリっとした好感触を感じた直後、焦げ目のついたマヨの風味ともったりとしたコクが口いっぱいに広がる。


「アッチ! んー! うんまっ」


「なんじゃそれーいいのうーワシもくいたいのーずぅーるいのー」


「うっさ! 至福のひと時を邪魔しないで!」


 桃次郎に制され、両頬をリスのように膨らませブー垂れるじじいを横目に牽制しつつ幸せを頬張る。あふっほふっ!と口から湯気を逃がし淹れたてのコーヒーを啜る。すると、また一味違う一体感が生まれる。

それを楽しみながら食べ進めると、桃色に変化した丘に到着する。

 薄っすらと被膜に覆われほんのり色づき、中が半熟状態にある事が見て取れる。少し動かすと、ふるんっと左右に優しく丘が揺れた。間違いなく旨いやつ。


「ついに、きた」


 ふふふとほくそ笑み『いざ!』と言う号令を内心でかけかぶりつく。


「――っ!!」


 これこれこれこれぇえええええ!!! っと感動に身を任せたまま身震いをする。

 割れて溢れた黄身のとろり感と濃厚マヨそしてサクふわのパン、全てが見事な調和をもたらす。なんて素晴らしいハーモニー!!

 朝一耳元で大音声出されてベットから転げ落ち床とガチキスしようが、シャワー浴びる時変態じじいに勝手に愛息子を見られようが、そんな事は一切どうでもよくなる程の至福感。

じっくりと堪能しゆっくりと租借し、最後はコーヒーを流し込む。


「うあー、旨かったぁ」


 ふーっと腹をさすりながら暫しその余韻に浸る。この幸福は誰にも邪魔させてなるものか。桃次郎に怒られてからしょんぼりと肩を落とす桃太郎じいちゃんは、眺めるだけで何も話しかけては来なかった。故意的に見ないようにしていた訳だが指の隙間からチラリと覗くようには視線を送っていたのだ。とは言え、食べられるものでも無いだろうし、と少しばかりの弁明と考えを巡らせたりはする。

 

「よし、腹とついでに穢された心も満たされたし行くか」


朝食を済ませ、食器を片し一度自室へ戻る。


「スマホよしー財布よし」


 軽く持ち物チェックをしてから布団を整え、再び1階へと降りて来て


「出掛けてくんね」


 とリビングで土曜日のハリネズミを見ながら癒されている母に一声かける。

 近年、急速にハリネズミブームが到来し、猫や犬に引けを取らぬほどの人気ぶりである。確かに、つぶらなお目目、ちっちゃいお手手可愛いけど。針痛そう。後、桃次郎的にはペット飼うなら全身に抱きしめるモフモフ感と散歩を堪能したい為、小型は少し物足らないのである。何より、潰してしまいそうで怖いと言うのもあるが。


「はーい、気を付けてねー」


 何てことないやり取りを終え、靴に足を通す。トントンとつま先をタップさせながら踵を収納して玄関の戸を開く。



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