第3話 桃の推し水

 帰宅後、一息ついてゆっくりしたいのを後回しにし課題の山をそつなくこなす。

 こう言う大切な事を先にやり遂げられる所だけは、自分の中で褒めて良い部分だと自負している。

 全てまとめてやってしまってから、まるで頃合いを見計らったかのように母親が夕食に呼ぶので前かがみで固まった背をグっと伸ばしてから「りょうかーい」と返事をする。

 リビングに降り、温かな夕餉を美味しく頂いた後は、家族との談笑もほどほどに、爆発的ヒットを飛ばしている新進気鋭のアイドル達が声優に起用されたスマホゲームをする為に自室へと戻る。


 勿論『ごちそう様でした、美味しかった』の一言は忘れない。自分の時間を抑えて母がわざわざ作ってくれたのだから。

母からの『お粗末様でした』と言う日常のやり取りを背に受けながら2階への階段を上る。

 思わずゴロリとベットへ横になってしまいたい衝動に駆られるが、ここは我慢の精神が問われる。今横になれば「ちょっと苦しい~」ながらも確実な幸福に沈みながらそのまま眠りに落ちてしまうだろう。そうすると、食べ物が胃の中で混ぜられて消化が大変になるのだ。夜は消化する時間でもあるので、ここで体を労わってやらないと胃がフル稼働している状態で寝ても翌朝疲れが取れなかったりしてしまうのだ。

 ここでどれだけ踏ん張れるかが、明日の自分を朝から楽にしてやれるかどうかの分かれ目である。

 そして、桃次郎は本日の己との勝負に無事勝利した。小1時間程度の時間が経過しお腹も落ち着きを見せた頃、


「もも―、お風呂沸いたから入っちゃいなさい」


と階段下からいつもの号令がかかる。我が母ながら、実にナイスタイミングである! 丁度、キリよくボスを倒した直後であったのだ。

 スマホを置いてよっこらせいっと椅子から立ち上がり、クローゼットに付属している引き出しをオープン。そこには、秘部守護布達が色別、形別に分けてきっちりと畳まれズラリと几帳面に並べてある。

 下着と短パン・Tシャツを手に掴み1階へ向かう。

 こういう所で我が笹ヶ瀬家のルールが発揮される。

【自分のテリトリーに関わる物は大概己の手で整理すべし】と言う独自の決まりが存在しており、自室の掃除や下着を含めた衣類の管理などもそれには入っているのだ。興味が向かない事に関しては非常に面倒くさがりな一面があるが、こと己のテリトリーに関わる事柄には几帳面さを出す事もある。


 1階へ降りて来て「先入るね」と断ってからリビングを横切っていく。

 浴室の扉は開かれているようで仄かに温まっている脱衣所へと進むと、入浴剤の桃&シトラスの香りが鼻腔をくすぐる。最近発売された入浴剤ブランドだが、甘い中にも爽やかさが香りそれだけでウットリと目尻が下がる。

 シャワーを調整しながら流しがけにし、頭から全身までくまなく浴びていく。

 それからお気に入りのシャンプーを500円玉程度になるように手のひらに取ると、指の腹で頭皮をマッサージするようにもみ洗髪をする。この齢からでも頭皮のケアはきちんとしたいのだ。ヘアサロンとかに行けばクレンジングとかしっかりやってくれたりするが、用品一式揃えるとなかなか痛いのだお財布大打撃。なので、今は自分に出来るケアを出来るだけ行うべし。

 存外、気持ちがいいもので力加減も自分好みに変更OKだし、気になっている所も余すことなく全て洗える。それをサラリと流すとお次はコンディショナーをツルリと馴染ませる。男は黙ってシャンプーのみ! とか言う輩がいるが、賛成はしないでおく。艶が違うんだよ、艶が。

 髪に浸透させている間に、最近お気に入りに仲間入りしたこれまたシトラスの香りがする爽やかなボディソープに包まれながら沢山泡立ててキメ細やかな濃密泡をたっぷりと生成して洗身を行う。

全て流し終えたら、いざ進めや湯船!


 ほわんと湯気が立ち昇る乳白色の湯に足先からゆっくりと温度を確かめながら体を沈めていく。じんわりじんわり温かくなるのを感じながら肩まで浸かると、


「ふっはぁあぁあ」


 と吐息。追いまわされてグロッキー気味であるとか様々な感情を乗せ、それを濃ゆく吐き出す。

 無事にその工程(体内浄化と呼んでいる)を済ませると、今、自身のブームであるアイドルユニットのアイドルガール☆の最新曲『ラブキラ光線』をサビだけ歌いだす。いつの間にか気持ちよくなって、結局最終的には2番まできっちり歌いきる。


 先述したゲームの声優にも晴れて起用された新進気鋭の彼女らは、8人からなる全員女性のグループで今とても勢いがある。

 繰り返し脳内再生される曲を今度は鼻歌でハミングしながら湯船から上がり、脱衣所へ。長めのフェイスタオルを手にし、頭を軽く拭き、全身をバスタオルに包むと隈なく水気をふき取り着替えに取り掛かる。


 そう言えば今日は、2日に一度配給のある例のドリンク日である。それは風呂上り、自室へ上がるまでの間にマラソン選手が水分補給所を通過する時宛らに手渡される。(因みに、2日に一度のもう1日はコーラやビタレモンが交互で来る)


「はい、水分補給はしっかりね」


「うん、ありがと」


そう言って母から良く冷えた『桃みたいな天然水』とラベルに印字された500mlボトルを受け取ると、鼻歌交じりに自身の部屋へと上機嫌で向かう。

 自室へと到着し、まずは手に持つボトルの蓋をパキュッと開封して1口、2口と喉に流し込めば、いい感じに火照った体が一気に潤されていく感じが全身に広がり何とも気持ちがいい。その爽快感に浸ってからデスク前の椅子を引き腰かけ、背を預ける。


「ん、やっぱ桃水はうまい」

 

 この桃みたいな天然水――略して、桃水を幼少の頃より結構な頻度で飲んでいるがサッパリとしていてほんのり甘味があり全く飽きの来ない味かつ、ゴクゴクと飲めるので好んで愛飲している。


「もも? もも♪ プリリンぷるるぅん♪ みずみずしくってぇ~」


 鼻歌に留まらず、今も口ずさんでいるラブキラ光線はアイドルグループの歌であるが桃次郎本人がゾッコンオタクであると言う訳ではない。広く、浅く色々なジャンルを好むので、基本的には趣味方面はかなりの雑食である。

 ただ、この桃みたいな天然水のCMに彼女達が起用され、あまりにも見事にドリンクの魅力を伝えていた為に耳に残ったのだ。節もそれとなく脳内に寄生。今では

自然とその曲が脳内で再生されているばかりか、完全に覚えてしまったと言える。


 一方、彼女らを神8(何故神かと言うと、神々しく煌めいていらっしゃるからだとか……)と仰いで熱狂的にファンをしているような者も多く、コンビニやスーパーでは8人オールメンバー又は、1人ずつで映った彼女らがラベリングされている桃水を狙い重量級キャノンヲタク達が


「むっはぁ! かよタンんん!」

「いやいやいや、お主の目は節穴でござる。やっぱダンイチ《ダントツ一位》ふぉりたんっしょ」

「煩い、煩いうるさーい! あいりん以外は認めぬわいいぃ!」


 などと鼻息荒く根こそぎ購入していく輩が発売直後から後を絶たず、一時販売停止と言う騒動にまで発展した事もある程に人気の高いグループである。

 これを受けてから桃水公式サイトでは、騒動のお詫びをすると共に限定個数を定め再販の決定をを知らせると言う新たなる手に打って出た。それこそ、今となっては幻とまで謳われ、フリマアプリでは超高額な値段取引を叩き出した【ユリ合わせ】である。百合の花のように可憐な彼女らが2名ずつ組み、手を合わせて『桃水美味しいよ♡』『アナタの体を潤しちゃうゾ♪』などと言うセリフ付きでラベリングを新たにされた桃みたいな天然水ボトルの総称である。正確には、ラベルだけなのだが。

注視すべき点はそこだけに留まらない。

 このラベルの為だけに、今までの衣装が一新されメッセージも追加されたのだ。

桃水一時販売中止から『何か、何かまだやってくれるはずだ!! 公式、おめぇの本気を見せてくれっ』と公式発表を待ち望み、PCサイトに齧りついていた猛者共は鼻息荒くするだけでは留まらず、鼻から鮮血を多量噴射し救急搬送者が多発したそうな。

 あの夜、真夜中にも関わらず救急車サイレンが多かった事の真相を後にSNSアプリのツブヤイテから抜粋されたまとめサイトで知る事となった。


 そんな珍事件をぼんやりと思い返しつつ眺めるラベルには8人の可愛らしい女の子達が並ぶ。

 そのセンターであり頂点に君臨する絶対女王【エンジェル】と言う誉れを戴冠している少女一人に桃次郎の視線が囚われる。

こちらにとびっきりの笑顔を咲かせているその子を眺めて、


「まぁ、強いて言えばまゆタンが1番だよな」


などと独り言を意図せず漏れさせ一息ついた所で桃次郎は就寝前のお楽しみであるPCのゲームをすべく電源を入れる事とした。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る