第32話
イザナちゃん。
新しい呼称が恥ずかしいのも最初の10回くらいで、次第に楽しくなってきた。
理由はわかる。
ヒメコが嬉しそうに「はい」と返事するから。
くりっとした上目遣いがキュートで、何回だって呼びたくなる。
ありきたりなショッピングモールの景色がいつもと違う。
今日は2人だからテーマパークみたいに輝いている。
「最初に向かうのは3階の文具コーナーでいいかな、ミチルくん」
ヒメコはわざと「ミチルくん」の部分にアクセントを加えてくる。
ミチルは唇をゆるめて「もちろん」と返しておく。
3階の文具コーナーというのは、モールの資本元が直営しているエリアのことだ。
有名メーカーの文具なら一通り置いているし、値段だって本屋の文具コーナーより割安である。
ヒメコが最初に手に取ったのはボールペン。
設置されている紙に試し書きして、感触を確かめている。
「う〜ん……」
微妙だったらしく別メーカーのペンに手を伸ばす。
それが終わったら次のペン、また次のペンと移っていく。
「おっ……」
今度は気に入ったらしく、0.3mmとか0.7mmとか色んな太さを試している。
あれこれ迷った末、黒色と赤色の0.5mmを買うそうだ。
「ミチルくんはボールペンを買わなくても平気?」
「そうだな。俺が欲しいボールペンは……」
学校で使っている青ボールペンのインクが減っているのを思い出す。
来月買ってもいいけれども、せっかくだから今日買っておくことにした。
「いつも同じメーカーのペンを使っているんだ?」
「そうだね。俺の場合、一択かな。筆圧が強いせいか、細いペン先のやつを使うのは苦手なんだよ。このメーカーは頑丈なことに定評があるから気に入っている」
「こだわりだね」
ポールペンコーナーを後にしたヒメコの目がノートに吸い込まれる。
「あ、これ、かわいい」
飛びついたのは表紙に動物がプリントされたやつ。
仔犬、仔猫、ハムスター、ヒヨコ、ウサギといった具合にかわいい絵柄のノートが並んでいる。
おそらく小学生向けだろう。
さすがに高校で使うのは恥ずかしい、男子なら
「ミチルくんは普段、どんなノートを利用しているの?」
「俺のはね……あった、あった」
愛用しているノートを手に取った。
5冊入り1セットで売っているやつ。
1冊ずつ赤、青、緑、黄、紫とカラーが分かれているから、科目ごとに分けるのに便利なのだ。
ちなみに横線は『A罫』といって7mm間隔となっている。
「よくよく考えると中学時代から同じノートだな。一時的に他のメーカーに手を出しても、これに戻ってきちゃうんだ」
「ふ〜ん。愛着があるのかな」
「かもしれない」
ヒメコはノートを2冊買うらしい。
「動物柄のやつを学校へ持っていくの?」
「はい、持っていきます。かわいいとテンションが上がるのです。一目惚れです」
ノートで口元を隠すヒメコも、動物に負けないくらい愛らしかった。
ちなみに今回のチョイスは赤ちゃんペンギンとプレーリードッグだ。
お気に入りの文房具が買えてホクホク顔になったヒメコは、レジから数歩離れたところで急にうずくまった。
寒そうに腕を抱えて、唇を震わせている。
この感じ……。
まさか、未来予知なのか。
人が集まる場所だと起こりやすい、という話は聞いていたが、初デートで能力が発動するなんて想定していなかった。
前回は学校だった。
サッカーゴールが倒れてきたやつ。
ショッピングモールだから、警備員さんが巡回しているし、人命にかかわるようなアクシデントは想像しにくいが……。
「大丈夫、イザナちゃん」
「うん、なんとか。もう少しで映像が終わるから」
ミチルが差し出した手を、ヒメコは力強くつかむ。
「平気。そんなにヒドい先読みじゃなかった。でも、止められるなら止めたい。事故を阻止したい」
「止めよう。映画の時間とか気にしなくていいから。イザナちゃんが正しいと思う道を選ぼう。君の判断を100%尊重するよ」
「ありがとう、ミチルくん」
ヒメコが向かったのはゲーセンエリア。
小学生でも時間を潰せるよう、お菓子のUFOキャッチャーやメダルゲームがたくさん配置されている。
キョロキョロと周囲を気にするヒメコ。
ポップコーンマシンを見つけて、あれだ、と指さした。
ちょうどその時、アイスクリームを手にした男の子がやってきた。
反対からは7歳くらいの女の子が全力ダッシュで突っ込んでくる。
片手にぬいぐるみを持っており、前方をまったく見ていない。
「危ないよ! 君たち! ぶつかる!」
2人は同時に、うわっ! と声を発した。
ヒメコの注意があと一歩遅ければ頭と頭がぶつかる場面だった。
すぐに女の子の母親がやってきて、
「走ったらダメでしょう。ごめんね〜」
なんて謝っている。
衝突が回避できたことで、ヒメコはほっと胸をなで下ろす。
そんな恋人にミチルは尊敬の眼差しを向ける。
やっぱり偉大だ。
自慢の恋人だと、あらためて思う。
「すごいな、イザナちゃんは。ファインプレーだよ。さっきの勢いで突っ込んでいたら、大事故だったよ」
「えへへ、今回は成功なのです」
他人のアンラッキーを未然に防止できるヒメコは、小さな魔法使いだ。
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