第29話

 2人はたくさんの時間をくっついていた。

 ヒメコの髪が頬っぺたに触れてきて、雪みたいにふわふわだから心地よかった。


 背後からだと表情はわからない。

 きっと入浴中みたいにとろけた顔をしているのだろう。


 もっと触れてみたい、という欲はある。

 優しいヒメコのことだから、お願いしたら触らせてくれそう。


 たとえば胸とか。

『恋人なんだからいいよね』と口走りそうになり、そのシーンを想像した瞬間、ミチルはひどい自己嫌悪に襲われた。


 ヒメコはこんなに油断している。

 裏切るみたいで、ちょっと嫌だな。


「隙あり」


 腰のところのお肉を制服の上からつまんでみた。


「あっはっは! くすぐったいよ!」


 ヒメコは足をバタバタさせて大笑いする。


「不意打ち。神木場さんが油断しまくりだから」

「お腹周りはダメダメダメ。私って運動不足で太っているし」

「いやいや、せているでしょう。もっと食べた方がいいくらいじゃないかな」

「ダ〜メ。それ以上はセクハラだよ、坂木くん。けっこう気にしているんだから。本当に太っているの」


 お医者さんから注意されたというより、1年前や2年前と比べて体重が増えちゃった、くらいのニュアンスに聞こえた。


 でも、ヒメコは標準より痩せている。

 こうして膝にのせているミチルがいうから間違いない。


「頭ナデナデ」

「むぅ〜。子ども扱い、なんか悔しい」


 ヒメコは一度振り返ると、ミチルの手首をつかまえた。

 何をするかと思いきや、自分の口に押しつけたのである。


「カプカプしちゃうぞ〜」

「ちょっと、神木場さん、こそばゆい……」

「坂木くんの脈はここかな〜。私が吸血鬼なら、血を吸っちゃうのにな〜」


 犬みたいに甘噛みしてくるから、今度はミチルの笑いが止まらなくなる。

 かわいくて、かわいくて、もう好きにしてくれ、という気持ちだった。


「俺の手、かじっておいしい?」

「うん、おいしい。坂木くんって健康そうだから、きっと血もおいしいんだろうな。ビタミンが詰まっていそう。あと、リコピンとか鉄分も。10代の血が一番おいしいよ」


 ヒメコに尻尾がついていたら全力で振っているシチュエーションだな。


「神木場さん、かわいすぎるでしょ。家に連れて帰りたい愛くるしさだよ」

「ヒメコを持ち帰って何するの?」

「ッ……⁉︎」


 ストレートに質問されると逆に困ってしまう。

 ミチルが恥ずかしさのあまり手で顔面を隠していると、神妙そうな顔を向けられた。


「ねえ、1個質問してもいい?」

「どうしたの、急に?」


 切り出してきたのはヒメコの方なのに、髪をいじくって話しにくそうにしている。


「坂木くんは、私のどんなところが好き?」

「なんだ、そんなことか」


 これが倦怠期けんたいきのカップルなら『うわぁ〜、めんどくさ〜』と思うのだろうが、今は楽しいしかない。


「たくさんあって迷うな。ちょっと言葉を整理する時間をくれないか。逆に神木場さんは俺のどんなところが好きなの?」

「優しいところ!」


 即答である。

 どんなところが優しいのか、深掘りしたい気もするが、ヒメコを困らせるとアレなので我慢しておいた。


「神木場さんは努力しているだろう。そういう部分が好きかな。イルミナ様の配信を見ていると、たくさん勉強しているのが画面越しに伝わってくるんだ。知らないことはその場でリスナーに質問するし、とても謙虚だろう。俺なら知ったかぶりをしちゃうかも。勇気がいるんじゃないかな、知らないことを知らないって白状するの。……て、ごめん、偉そうに上から目線で」


 失敗した。

 熱くなって語りすぎてしまった。

 しかも、本人に向かって自分のイルミナ=イザナ像を押しつけてしまった。


 これはミチルの勝手な幻想。

 もし逆の立場ならドン引きするかもしれない。


「どうして、知らないことを知らないって白状するのに勇気がいるの?」

「それは……」


 言葉に詰まってしまう。

 よくよく考えると、なぜだろう。


 いや、わかる。

 相手にナメられたくないから。

 動物的な本能として、人は自分を大きく見せたがる。

 そうしないと生命にかかわるシチュエーションも大昔にはあったから。


 しかし、ここは21世紀の日本。

 知らないことは知らないと告げた方が得だろう。

 少なくとも未成年のうちは。


 ヒメコには安っぽいプライドがない。

 新しい発見という気がした。


「君はしれっと斬新なことをいうね」

「そうかな?」

「だと思う」


 ヒメコが赤ちゃんみたいに腕を回してくる。


「坂木くんは私のことを褒めてくれるから、一緒にいると楽しいな」

「神木場さん……マズいって……」


 そんなことされたら理性がアイスみたいに溶けちゃう。




《作者コメント:2022/02/05》

明日の更新はお休みします。

次回は2月7日を予定しています。

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