第24話

 ヒメコは天井を指さしながら、あれがケンタウルス座で、あれがミモザで、と解説してくれた。


 ミチルはうんうん相槌あいづちを打つけれども、説明の半分も理解しているか怪しい。


 これは天然のASMRではないだろうか。

 耳の奥がマッサージされたみたいに気持ちよくなる。


 もうダメだ。

 全身が幸せに包まれて、体の芯からポカポカしてきた。

 ちょっと横を向けば、ヒメコの黒髪が扇のように広がっており、プラネタリウム装置の光を吸い込んで天の川みたいに輝いている。


 ちょっと眠い。

 やけにまぶたが重い。


「……坂木くん? あれ? 坂木くん?」


 ミチルが寝落ちしちゃったのは、睡魔に負けたというより、頭がカロリーを消費しすぎた反動かもしれない。


 意識を失っていたのは時間にして3分くらいだと思う。

 金縛りにあったみたいに体を動かせないでいると、頬っぺたに生温かいものが触れた。


 たぶん、吐息だ。

 鼻先にあるのはヒメコの顔。


 2つの瞳がこっちをのぞき込んでいる。

 ミチルが本当に寝たのかチェックしているらしい。


「もしも〜し、坂木くん?」


 ミチルは返事に失敗する。

 頭の奥がぼうっとしており、心臓の音ばかり大きくなる。


「寝ちゃったの?」


 いや、起きている。

 心の声が言葉にならない。


「…………」


 ヒメコは床に手をついたままフリーズする。

 何をするのかと思いきや、唇をツーンと尖らせた。


 まさか……。

 接吻せっぷんする気か⁉︎


 ミチルは体をよじろうと何回かトライしてみた。

 しかし、指先ですらピクリとも動かない。


 本当に筋肉が麻痺しているのか。

 単に心が動くことを拒否しているのか。

 判断できない間にもヒメコの顔は近づいてくる。


 放っておけばヒメコの方からキスしてくるかもしれない。

 そのシーンを想像して、脳みその血管が焼き切れそうになった。


 男がキス待ちってどうなんだ⁉︎ という気もするが、女子の方からキスしてくるなんて一生に一度かもしれないし、もう無理だった。


 小さいくせに積極的。

 無垢っぽいフリした小悪魔。


 反則だよ、神木場さん。

 君は欲望に従順すぎるんだよ。


 しかし、ミチルが待てども待てども、望んだような瞬間はやってこなかった。

 あと数cmという位置でヒメコが静止したのである。


「うっ……恥ずかしい」


 泣き出しそうな声がいう。


「でも、恋人なんだし、いつかチューしちゃうよね」


 頭をブンブン振ってから唇をガードしている。


 ああ……。

 キスの予行演習のつもりだったのか。


 愛くるしいな。

 ミチルが起きているとも知らずに。

 ポンコツすぎるから、滑稽こっけいというより微笑ましい気持ちが強かった。


 いよいよ限界だった。

 タイミングを見計らってタヌキ寝入りを解除するつもりが、大声で笑ってしまう。


 ヒメコの口から、ひぇ⁉︎ と悲鳴がもれた。

 さっきの独り言をミチルに聞かれたと知り、パニックになって手をブンブンさせている。


「坂木くん⁉︎ 起きていたんだ⁉︎」

「びっくりしたよ。キスされるかと思った」

「はぅ……」

「ごめん、ごめん。起きていたといっても、意識が戻ったのは1分くらい前だから」

「あぅ……死にそうなくらい恥ずかしい……私ってバカな子だ」


 ヒメコが手で顔をガードするより先に手首を捕まえてみる。

 するとヒメコの目尻に光るものを見つけてしまった。


 泣いているのか⁉︎

 ミチルが泣かせたというより、己の失態を恥じて、自責の念から流れた涙だろう。

 けれども、悪いことをやったような気分に叩き落とされてしまう。


「なんか……ごめん」

「ううん、私が自分勝手だったから。反省しています」

「そうじゃなくて……。俺が逆の立場でも同じことをやったかもしれない」

「えっ? ん? それって?」

「ごめん! 忘れて!」


 トクトクとうるさい鼓動の音を、優しいオルゴールの音色が上書きしてくれた。

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