第19話

 サッカーゴールが倒れてくる。

 2名の生徒が下敷きになり、骨の砕けるバキっという音が響く。


 それまで平和だったグラウンドは騒然としたムードに落とされるだろう。


 駆け戻ってくる体育教師。

 救急車! 救急車を呼んでくれ! と誰かが叫ぶ。

 痛ましいほどの悲鳴が耳を刺す。


 急遽きゅうきょやってきたのは地元のマスコミ。

 学園サイドは慌てて謝罪の声明文を用意する。

 市の教育委員会からも指導が入り……。


 そこまで想像した瞬間、ミチルの背に悪寒が走った。

 恐怖のあまり、喉が麻痺まひしたみたいにヒリヒリする。


 ヤバい……自分が何とかしないと……。

 ヒメコのためとかじゃなくて。

 人として正しくあるために。


 たとえるなら、少年漫画のヒーロー。

 1話目、未知の敵、うわっ〜とぶつかって、能力を覚醒させるシーンみたいに。


「懸垂バトルか? 俺も混ぜろよ」


 3人目がクロスバーにぶら下がったとき、わずかにサッカーゴールが動いたように見えた。


 たぶん、来る。

 もうすぐ釘が引っこ抜ける。

 鹿威ししおどしがいつか傾いちゃうみたいに、確実にその瞬間は近づいている。


 来る……来る……来る……。

 ビビって動けないミチルの脳内に、坂木くん! というヒメコの声が反響した。

 束の間、世界がスローモーションになる。


「危ないぞ! ゴールが倒れる!」


 ミチルが大声で叫んだのと、ゴールが一瞬傾いたのは、ほとんど同時だった。

 あまりの声の大きさに、叫んだ自分でもびっくりした。


 すぐに1人が手を離す。

 残りの2人もそれに続く。

 ワンテンポほど遅れて、ガチャン、という金属音が響いた。


 取り返しのつかない事故まで紙一重だったことは、真横にいたチームメイトの顔が物語っている。


「動いた?」

「動いたよな?」

「一瞬ぐらって……」


 我に返った3人組は、ミチルの顔を凝視した。


「坂木、よくわかったな」

「そうじゃねえだろう。坂木の注意がなかったら危なかった」

「たしかに。頭がパニックになって、あのまま下敷きになっていたかも」


 サッカーゴールを見つめて、鉄の重さを想像したであろう彼らは表情を青くする。


 クロスバーにぶら下がるなんて自滅に等しい。

 生徒が亡くなった例もある。


 言葉には出さなくても、この場にいる全員が同じことを考えていた。


「本当にありがとう」

「いいって。気にするな。俺が気づけたのは、たまたま。良くないことが起こりそうな予感があったから」


 自分で話しておきながら、何をいっているのか自分でもわからない。


「それでも、本当にありがとう」


 彼らは薄っすらと笑っていたけれども、照れ隠しというより、どう反応すればいいのかわからなくて、消去法的に笑っている感じだった。

 恐怖が限界に近づくと、人間は笑っちゃうのだ。


「ほら、サッカーの途中だぞ。ボールが相手チームに渡った。みんなで守ろうぜ」


 ミチルが率先して駆け出す。


 この日、小さなヒーローになった。

 ヒメコの特殊能力がミチルをヒーローに押し上げた。

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