第16話

 ヒメコが観ていたのは、とあるVTuberの朝ラジオ。

 月曜日と木曜日に配信される人気コンテンツだった。


 ラジオスタジオに見立てた空間で、ピンク髪の女の子がトークを繰り広げている。


 リスナー数は驚異の5,000人オーバー。

 電車通勤しているサラリーマンや、時間にちょっと余裕のある大学生がメイン客だろう。


 番組内では最近のVTuberニュースを取り扱っており、


『大規模ライブ開催決定! 気になるチケットの予約特典は⁉︎』


 のテロップが流れていた。


「ほら、坂木くんも一緒に観よう。私のイヤホン、片方を使っていいから」

「あ……ありがとう」


 相手が男子だとしても、イヤホンの片方を借りるのが恥ずかしいミチルにとって、女子のイヤホンを借りるのは、間接キスくらいの衝撃だった。


 いいのか⁉︎ 借りちゃっても⁉︎

 さっきまで君の耳に入っていたんだぞ⁉︎


「どうしたの?」

「何でもない! 使わせてもらうね!」


 ヒメコのイヤホンを借りちゃった。

 耳の奥がポワポワして、心が落ち着かない。


 他に意識を集中できるものはないだろうかと思ったら、机に乗っかっているヒメコのおっぱいが目について、5秒くらい凝視してしまう。


 これは巨乳キャラにのみ許されたポーズ。

 本人は無意識にやっているせいか、いやらしい気配は微塵みじんもまとっておらず、清楚なムードすら漂っていた。


 もはや神レベルの構図。

 アンバランスな感じが非常にそそる。

 ミチルの脳みそはピンク色に染まっており、ラジオの内容が少しも頭に入ってこない。


「ん? どうしたの?」

「いや⁉︎ 気にしないで!」


 ヒメコが自分の胸元を気にした。

 下心がバレたと一瞬ヒヤヒヤしたが、どうやら、ミチルの視線を何かのゴミが付着していると勘違いしたらしい。


 神木場さん、無防備すぎだろう……。

 凶器をぶら下げているようなものなのに……。


 無自覚なんて論外。

 小学生じゃないんだから、もっとガードを固めてほしい。


 昨日から恋人のかわいい部分ばかり目について、ミチルの欲情はパンパンに膨らんだ風船になっている。


 だいたい、昨日も危なかった。

 ミチルの膝の上で寝るなんて、襲ってください、と自分からアピールするのと一緒じゃないか。

 我慢するためにミチルがどれほど精神をすり減らしたか、原稿用紙10枚分くらいで表現したい。


 君はお肉で、こっちは腹ペコの肉食獣。

 いつでも食べる準備はできているというのに。


「坂木くん、なんか顔が赤い。もしかして、お熱があるの?」

「あのね……これはね……」


 ヒメコの小さな手が、ミチルのおでこに触れてきた。


「ほら、やっぱり熱い。もしかして、無理に早起きしたせい? 寝不足だった?」

「そうじゃなくて……」


 ヒメコは自分の愛くるしさを少しも自覚していない。

 生まれつき鈍感な性格なのだろうが、とうとう我慢の限界に達したミチルは、か細い手首を捕まえた。


「大丈夫、風邪とかじゃない。朝から神木場さんと話せたのが嬉しくて、しかもこんなに距離が近くて、嬉しさのあまりドキドキしている。俺の体温が高いのはそのせい。全部、神木場さんのせい」

「えっ、私のせいだったの?」

「君がかわいいから」


 ヒメコの喉から、きゃっ⁉︎ と短い悲鳴が飛び出た。

 小学生みたいに両手を頬っぺたに添えている。


 どうやらヒメコはとても重大な勘違いをしている。

 自分の容姿はダメダメだと思っている。


 長すぎる前髪については、陰キャのトレードマークみたいになっているから、修正の余地がありそうだけれども、顔のパーツはびっくりするくらい整っているのだ。


 自己評価が低すぎる。

 それがミチルをモヤっとさせる。


 もっと堂々としてほしい。

 けれどもミチルだけの秘密でいてほしい。

 相反する感情が胸の中でバトルを繰り広げている。


「でも、坂木くん、昨日は膝枕してくれたし。まさか、近くにいるだけでドキドキするなんて」

「膝枕ね。あれは死ぬかと思った。刺激が強すぎたから。しかも神木場さんは寝落ちしちゃうし。本当のことをいうと……相手が神木場さんだから話すけれども……スカートの中をのぞいて、パンツの色を確かめようか、100回くらい悩んだよ」

「100回も⁉︎」


 ヒメコはキュッと目を閉じた。

 さすがに軽蔑けいべつされただろうな、とミチルが身構えていたら、飛んできたのは思いがけないセリフ。


「白! です! 昨日の私のパンツは白! なのです!」

「白……って! ちょっと、神木場さん、声が大きすぎるよ!」

「坂木くんの気持ちに気づけなくてごめんなさい! 私ってダメなやつだ!」

「いいから! もういいから! 卑屈ひくつにならないで!」


 ヒメコは耳まで真っ赤に染めると、机に突っ伏してしまった。

 偶然だろうけれども、配信中のピンク髪VTuberが、


『君たち、私のパンツの色が知りたいのかね? もう、仕方ない子だな〜。ちょっと待ってね。今日は何色のパンツを穿いたとか、いちいち覚えていないから……』


 とタイムリーな発言をしていた。

 チャット欄が『おパンツ♪』の大洪水で埋め尽くされているのは見なくてもわかった。




《作者コメント:2022/01/22》

明日の更新はお休みします。

次回は1月24日を予定しています。

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