第12話

 ヒメコが配信前に欠かさないというルーティン。

 それは瞑想めいそうでも、音読でも、ストレッチでもなかった。


 コスプレ中という条件下のみできる行為であり、これを忘れちゃうと『ライブ中に話すことがままならない』ほどの絶大なインパクトがあるそうだ。


 ヒメコは卓上スピーカーの電源をONにする。

 ボリュームのつまみを調整してから、自分のスマホをセットした。


「じゃあ、ミュージックスタート!」


 イントロが流れ出して約1秒。

 ミチルの脳裏のうりに『馬☆ガール』のオープニング映像が流れ込んでくる。


 競馬場のゲート、風になびくコースの芝、どこまでも続く青空。


 ヒメコのやろうとしている行為が分かった。

 ダンスを交えながらの自宅カラオケだ。


『大好きな君に〜♪ 勝利を届けたい〜♪』


 ノリノリでサビの部分を歌っている。


 曲はショートバージョン。

 だから長さも2分足らず。


 ミチルの手拍子が終わったとき、激しい歌とダンスを終えたヒメコは、肩で息をしている状態だった。


「大丈夫? お茶を飲む?」

「ありがとう」


 上下する鎖骨のあたりがピンク色に染まっており、普段のヒメコにはない色気を放っているから、視線のやり場に困ってしまう。


「これで最強、無敵の私になった。脳みそにアドレナリンが満ち満ちて、フルパワーなの」

「そういう秘密があったのか」


 ミチルがもっとも疑問に思っていたこと。

 神木場ヒメコとイルミナ=イザナの性格の違いについて、ようやく得心とくしんがいった瞬間である。


 キャラクターにふんする。

 キャラクターに関連する曲を熱唱する。


 この2段階ステップを経ることで、ヒメコは日常の陰気キャラから卒業。

 カリスマ性あふれるVTuberイルミナ=イザナとしての人格を覚醒させるのである。


 文字にすると簡単そうでも、これを実用化させるまでに、気の遠くなるような試行錯誤があったことは想像にかたくない。


「配信の裏にそんな努力が隠されていたなんて知らなかった」

「この状態は45分くらいしか持続しない。イルミナの配信が短かったり、こまめに休憩を挟むのは、わりと切実な事情があったりするの」


 ちなみにネット界隈では、

『イルミナ様は頻尿ひんにょうキャラ』

『アルコール中毒のせいで膀胱ぼうこうが弱っている』

 なんて下品な風説がまかり通っている。


 あえて否定しないのは、勘違いを放置した方が都合が良いため。

 中身が女子高生と悟らせないためだろう。


 しかし、ここまで重大な秘密を知ってしまった以上、嬉しいというより、絶対にバラしてはいけないというプレッシャーが、ミチルの肩に重くのしかかってくる。


「私と坂木くんは、一蓮いちれん托生たくしょうなの」

「運命共同体って意味だっけ。うん、俺だけの秘密にしておく」


 空になったグラスを受け取ろうとしたら、ヒメコの足元がふらついて、ミチルの方に倒れてきた。


「ちょっと、大丈夫? まさかの酸欠?」


 直接肌に触れないよう、ドレスの腰回りをキャッチする。


「張り切っちゃった。『馬☆ガール』のダンス、思ったよりも激しい。あと、坂木くんが見ていたから。好きな人の前だと、がんばっちゃうみたい」


 本気の踊りを出しちゃったわけか。

 まったく、この子は、どこまでミチルを喜ばせたら気がすむのやら。

 もし時間が許すなら、何分だって頭をナデナデしてあげたい。


「一蓮托生だろう。俺は何をすればいい?」

「あそこのゲーミングチェアまで私の体を運んでちょうだい。ダーリン・キャリー・ミー・プリーズ」

「しかし、抱っこは恥ずかしくないか。ほら、絵面的に問題があるだろう」

「私は平気。彼氏に抱っこされたい派だから」

「イルミナ様は積極的だな」


 女の子から抱っこを要求されるなんて、もちろん人生初のイベントである。


 途中で落とさないか冷や冷やしたけれども、むしろヒメコの体が細すぎて、うっかり痛めつけないかの方が心配だった。


「ほらよ。到着だ」

「ありがとう。我が敬虔けいけんなる信者よ」


 高貴なイルミナ=イザナらしい、くもりなき笑顔を向けられた。

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