第13話
ヒメコが紙パックのメロンジュースにストローを突き立てた。
ミチルからの献上品をおいしそうに飲みつつ、配信の準備に取りかかっている。
SNSでの告知、サムネの作成、マイクやカメラのテストなど、VTuber歴1年以上とあって、流れるようにこなしていく。
学校にいるときのヒメコは、ゆっくりと慎重に作業するイメージがあったから、キーボードを高速タイプする様子なんか、意外すぎる一面という気がした。
「よしっ! できた!」
パチンと小気味よく指を鳴らしている。
人格って、変えられちゃうんだ。
人は誰でもロールプレイングしていて、学校、職場、家庭など、無意識にキャラクターを使い分けているというが、ヒメコの『イルミナ=イザナ化』はロールプレイングの域を超えちゃっている。
きっと現在のヒメコに『神木場さん』と声をかけても無反応で、『イルミナ様』と呼びかけたら返事があるだろう。
配信まであと3分。
ミチルは100均で買った携帯スタンドを取り出して、スマホを横向きにセットし、耳にイヤホンを装着した。
お行儀よく
ヒメコは両手でお祈りポーズをつくると、
「青は
と呪文のように3回繰り返した。
これも深い集中状態に至るためのルーティンだろう。
ヒメコが主役で、ミチルが脇役。
なのに、ひどい緊張が襲ってくる。
もしかして……。
VTuberは誰だって、配信前はピリピリしているのかな。
元気で、ハイテンションで、楽しそうな印象しかないけれども。
『遊びでVTuberやってるわけじゃねぇんだよ!』
とある女性VTuberの名言(?)が頭をかすめたとき、イルミナ=イザナの配信が幕を開けた。
ここから先は物音を響かせたらNGの世界。
「ごきげんよう、信者どもよ。我が雑談&スパチャお礼配信へようこそ」
スタートと同時に洪水のようなコメントが流れはじめた。
イルミナ=イザナは教祖を自称しているだけあって(入信料は月々490円と格安なのだけれども……)、メンバー会員の統率という意味では、この
「明日の血液型1位はA型のみなさん! 明日の星座1位はうお座のみなさんです! ラッキーアイテムは……」
画面の中にいるイルミナ=イザナと、ゲーミングチェアにいるヒメコの動きがシンクロする様子は見ていて新鮮だった。
「すみません、ちょっと水分を補給しますね……」
ジュースを飲み切ったヒメコのストローがズルズルっと鳴る。
それから3秒もしないうちに、訓練されたリスナーから、
『生活音助かる!』
『俺もストローになりたい!』
『イルミナ様にチューチューされたい!』
と
ヒメコはこの手のやり取りに慣れているから、
「えっ? 私に吸われたいの? 信者くんはエッチですね」
とお姉さんボイスでゆる〜く毒を吐いてあげる。
ミチルに向けられた発言じゃないのだが……。
全身のうぶ毛がゾワゾワするのは、どういう理屈だろうか。
「私はさっき、メロンジュースを飲んでいたのですけれども……」
ヒメコは一度だけ振り返り、かわいいウィンクを投げてきた。
小悪魔のようなイタズラに、ミチルのハートは
君ってやつは……。
大切な配信中なのに……。
でも、犯人はイルミナ=イザナだから、後でヒメコに文句をいっても、
『あれは本当の私じゃないの! 私の中にいるイルミナが勝手にやったの!』
と返されるのがオチだろう。
「みなさんは知っていますかね。おはよう印の紙パックジュースです。フレーバーが16種類くらいあって、よく学校とか図書館に置いてあるやつ」
『知ってる!』
『俺も今日飲んだ!』
『メロンジュースになって、イルミナ様の一部になりたい!』
と追加のコメントが流れてくる。
自分だけ
『メロン味、おいしいよな』
と慣れないチャットを送信しておいた。
それに気づいたヒメコがおどけた調子で、
「はい、メロン味は正義なのです。でも、イチゴ味も正義なのです。いつも迷っちゃいます」
と返すものだから、笑いをこらえるのに苦労した。
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