第11話

 ミチルのスマホがブブブっと振動した。

 何事かと思って手に取ったら、動画アプリのリマインダー通知で、


『あと30分でイルミナ=イザナ.chの配信が始まります』


 という内容だった。


 ミチルは慌ててカバンをつかみ立ち上がった。

 おしゃべりが楽しすぎて、つい長居してしまったが、ヒメコはこれから大切なライブ配信を控えているのだ。


 邪魔してしまった。

 準備とか必要だろうに。


 大好きなVTuberの足を引っ張るという、ファンにあるまじき失態を犯してしまったミチルは、直角になるまで頭を下げる。


「どうしたの? もしかして急用?」

「神木場さん! 俺、帰らないと! これからイルミナ様の配信があるの、すっかり忘れていて! 本当にごめん!」


 ところが、ミチルの腕は思いの外強い力に引かれてしまう。

 ヒメコの体に『ライスちゃん』が乗り移ったのでは? と勘違いしそうになるほどの腕力だった。


「いいの。もう少しいて。私の配信のことは気にしなくていいから」

「だが、しかし、俺がいたら邪魔になるだろう」

「そんなことはない」


 ブンブンと頭を振ったヒメコは、お尻のところから尻尾を持ってきて、毛先をちょこんとくわえた。


「坂木くんと、もう少し話していたい。それが理由じゃダメかな?」


 不意打ちのお願いポーズを食らったせいで、ミチルの心臓は内側から破れそうになる。


 ヤバい、神木場さん、かわいい……。

 アニメのキャラクターが現実にいたら、これと同じくらいキュートだろうな、と妄想したくなるくらいには、激しくかわいい……。


 なんというか、男のツボを的確に突いてくる。

 無意識にやっているのだとしたら末恐ろしい女性だろう。


 どうして世の男子はヒメコの魅力を無視してきたのか、いや、発覚していたらむしろ不都合だったか。

 矛盾した気持ちに囚われたとき、ミチルの頭から帰るという選択肢は消え去った。


「わかった! わかったよ!」


 服の上から心臓を押さえつつ座り込む。


「とりあえず、親には遅くなると連絡しておく。俺の方は何時までだってOK。これなら文句はないだろう」


 しかし、心配がゼロになったわけじゃない。


「本当に邪魔じゃない? ライブ配信って、本当は気を遣うんだろう。些細ささいな変化というやつが、響いてこないかな。俺と話すだけなら明日でもできるし、いつでも追い返していいんだよ」


 ミチルの不安をよそに、ヒメコはチッチッチと指を振る。


「本気の私を見くびっちゃダメ。それに些細な変化というけれども、今日から私は坂木くんの彼女になった。坂木くんが私を彼女にした。これは大きな変化。もう後戻りできない」

「おっしゃる通りで……」


 ヒメコって主張するときは強く主張するらしい。

 信頼の裏返しみたいで、ちょっぴり嬉しい。

 むしろ、遠慮されたら傷つくかも。


「わかった。俺は配信が終わるまでここにいる。イルミナ様を応援している。イヤホンを持ってきているから、自分のスマホで配信を視聴する。それでいいかな?」

「うん、お願い。きっと上手くいくから。安心して」


 上手くいくから……。

 配信のことを指していると理解していても、2人の行く末を暗示しているような気がして、ミチルの心をポカポカさせた。


 というか……。

 これからイルミナ様の配信を生で観るってことか⁉︎

 許されるのか、ファンとして⁉︎


 いわば、特等席である。

 他のファンからタコ殴りにされそうな状況、そもそもVTuberと付き合うという行為が処刑モノなのだが、一線を超えてしまったという自覚がミチルの血圧を急上昇させる。


 そんな気持ちを知らないヒメコは、


「配信の前に必ずやるルーティンがあるの。坂木くんにも協力してほしいな」


 と無邪気に笑いかけてきた。


 子どもじみた仕草しぐさ、もう無理だ。

 心までわしづかみにされちゃったらしい。


 好きだ、すべてが、ヒメコの人格も、外見も。

 好きすぎて苦しいまである。


「イルミナ様のためなら努力を惜しむつもりはない。何でもお願いしてくれ」

「うふふ、坂木くんって本当に優しいね」


 ヒメコは後ろ手を組んで、とろけるような上目遣いを向けてきた。

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