第35話 カレンを取り戻す

 ――一行は城の前についた。


 俺が想像していた以上に大きかった。これだけの規模の城を建てるにはどれだけの男たちの労力を要したのだろうかと考え、慄然とした。俺の世界で言うところの「奴隷」という表現が優しく思えるほどの、次元の違う隷属関係だ。本来愛し合う仲であるはずの男女がなぜそんな決定的な対立をするに至ったのか、俺にはまったく理解ができなかった。まさしくいまこうして一人の女のために命を懸けて怪しい孤城に突入しようとしている男がいるというのに。俺は否が応でも元々いた世界がいかに平和的で優しさに満ちた世界であったかを痛感させられた。


 入口にあたる部分には、何本もの巨大な柱が城を支えており、そのいずれにも見たことのない細かな紋様が敷き詰められていた。近くで見れば見るほど複雑に描かれているのが分かる。この城に住む女たちが使う魔法じみた力と何か関係があるのだろうか。昼間であるにもかかわらず、いくつもの柱が立ち並んだ奥の方は夜のように暗かった。日差しが届く、比較的明るいところに、門があった。堅牢そうな茶色い門の前で、男たちは立ち止まった。そのうちの一人が突然声を張り上げた。


 俺はビクッと体を震わせた。緊迫感のなか身構えていたせいでにわかに驚いた。


 いま彼は、聞き間違いでなければ「リヴィ・カール」と言ったはずだ。俺は別れる間際カレンがその言葉を口にしていたのを思い出して、確信した。どうやらこの小都市のように壮大な城に住む、特殊な力を持った女たちの名は「リヴィ・カール」というらしい。


 大きな声で女たちを呼んだと思うや否や、男たちは荷車をそのままに、来た道を引き返し始めた。果てしない道をはるばる歩いてきたというのに、彼らのあまりのあっけなさに一瞬呆然とした。しかし、俺はすぐに頭の中でイメージしていた手順で、荷車から棒を抜き出し、音を立てずに門への階段を駆け上がった。


 階段の二、三段目を踏み込んだ時、背後から鋭い男の声が聞こえた。きっとすでに遠くにいる男たちの中の誰かが、俺を止めようとしているのだろう。これまで聞いた彼らの声の中で一番厳しく威のある声だ。だが、止まるわけにはいかない。俺は門へと一歩一歩階段を登って行った。引き留める声は一回切りで、それ以上聞こえてくることはなかった。


 俺は棒を握りしめたまま、かがみながら木製の門に触れた。心臓が暴れたようになっている。


 ……一気呵成にやり切るぞ。勢いしかない。リヴィカールが来る前にこちらから仕掛ける。


 しばらく息を整えた――。いまだっ。門を肩で押し込む。びくともしない。もう一度。同じだ。引くのか? しかし、取っ手のようなものはついてないぞ。


 しゃがみながら改めて取っ手の有無を確かめようと、顔を上げた。その瞬間、厚い門は勢いよく開き、したたかに俺の額を打った。俺は床に投げ出され、固い岩と背中が激突した。木の棒が床に落ちるけたたましい音と同時に、目の前から女の短い悲鳴が聞こえた。押し殺した、かすれた声。”やつら”はすぐそこにいる。俺は意識を保とうとした。割れるような痛みと揺れる視界の中で、手に握っていた棒を探した。


 しかし、見つからない――。


 その瞬間、俺は空を舞っていた。まるで自分が丸め込まれようとする絨毯になってしまったかのように、横に回転しながら、飛んでいた。


 と思う刹那、脇腹と肩に味わったことのない衝撃が走った。痛みが内臓深くまで伝わる。息ができない。何が起きたのか分からない。体が痺れている。仰向けになりながら、何回かの瞬きの間に青い地面が見えたが、力づくで闇に押し込まれるような感じがした。……俺の意識は途切れていた。






 あれから一週間は経ったはずだ。額や脇腹への打撲も楽になり、原因不明の体の痺れも次第に取れてきた。原因不明とはいえ大方予想はついているのだが。リヴィ・カールたちの使った魔法らしきもののせいだろう。


 俺は気づけばベッドに寝かされていた。粗雑ではあるが手当もすでに済んでいた。肩に巻かれた包帯のようなものをさすりながら、改めてここの土地の男たちに驚きを感じていた。彼らからすれば自分はまるで無関係な人間であり、彼らとリヴィ・カールたちの対立関係がある中で静止を無視して行動した身勝手な人間であるはずだが、帰りの道中であったところをわざわざ引き返して荒野の上で意識を失っていた自分を救ってくれたのだ。いつものように彼らの持ち前の「無関心」でそのまま放置することもできたが、しなかった。


 その親切心は俺にとって不明瞭で、出所が分からない不可解なものであったにもかかわらず、俺は純粋に感動していた。言語を通して感謝の念を伝えられないことに悔しさを感じた。


 だから俺は、せめて「行動」で何か恩返しができればと思い、体の不調がほぼ治った今日、弓矢を背負って山へと出掛けていた。


 この一週間はまるで拷問のような日々だった。体の痛みはもちろんだが、全身の痺れのせいでまともに身動きの取れない毎日が続いた。その上、「カレンを助ける」と意気込んでいたにもかかわらず、あまりに情けない結果となったなったこと、そして、いまだにカレンは孤城の中に捕らわれているという現実が俺を苛んだ。心の中でどこまでも俺を追いかけてきた。


 木陰に身を潜めながら、目を細めて遠くにいる獲物に焦点を当てた。ハリネズミのように毛が逆立っている動物で、顔はタヌキのようだ。弓をゆっくりと、目一杯引っ張る。そして、放った。削った石で出来た矢先は、獲物の腹に命中した。


 弓を下ろし、横に倒れた遠くの動物を見ながら、次こそは……と思った。次こそは必ずカレンを助ける。たとえ、人を殺めることとなっても。 


 さらに二匹、同様に仕留めた。全部で三匹を網に包み、引きずるようにして山を下り始めた。予想以上の重さがあり、腕にこたえた。少し多かったか、と思った。


 しかし、これはせめてもの男たちへの恩返しだ、という思いが病み上がりの体に力を与えた。


 下山を始めて十分ほど経った時。突然、歩いていた細い地面が激しく揺れ始めた。まるで山と山が衝突したような、低い地鳴りと共に。


 地震か!? 


 駆け足で山を下りたかったが、手に持った網がそうさせなかった。


 地面がうねるような、奇妙な揺れ方だ。足元がすくわれる。こんな地震、俺の世界では見たことがない。


 大地が波打っているような感覚。これは幻覚なのか? 現実なのか? 


 ついに一歩も歩くことができなくなった。このままでは……。


 バランスを崩し、地面に両手がつくと思われたその瞬間、次に来た大きな揺れに俺はなぎ倒され、目の前には地面の代わりに崖があった。生い茂った複雑な緑の景色の下にどこまでも続く崖。俺の体はふわりと浮いた。いたずらに間延びしたようなゆっくりとした時間の流れの中で、木々の幹や枝で身を打ちながら、永遠とも思えるほど長い間、落ち続けた。

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