第30話 非文明的な生活

 老人は他の男たちと同様にうっすら黄色く見える一枚の長い布を体に巻きつけて大雑把に身を覆っているだけで、あと身に着けているものといえば、左手に握られたまっすぐなただの木の杖のみだった。映画やアニメでよく描かれるような、ネックレスや指輪などの宝石貴金属を身に着けた、長老のような偉い人間のイメージとはほど遠い質素な格好だ。老人の顔は無数のしわに覆われていたが、凛々しい目元や均整の取れた骨格に、男前であったであろうかつての若い頃の余韻を漂わせていた。

 老人の前に対したミノルは、雰囲気を察して正座をして座った。すると、背後から複数の人の気配を感じて、振り返った。先ほどミノルが入ってきた入口から次々と男たちが入って来る。彼らはミノルのいる部屋の奥まで来ると、あぐらをかいて老人の左右に各々座り始めた。一連の動作は皆で示し合わせたようにゆっくりだった。ミノルはその悠長な動きを見て、この並行世界では時間の流れ方が遅いのか、とさえ思った。

 男たちが全員座り終わると、老人は背後にあった分厚い本をおもむろに持ち出して、ミノルの前に置いた。老人が軽々と持っているところを見ると、分厚くて大きいが見た目と裏腹に重くはないようだった。老人はミノルの前で杖を使って一枚一枚ページをめくっていく。どうやらこの本は、文字がなく、絵だけが描かれているもののようだ。どのページも、色々な色を使ったカラフルな絵が描かれている。老人は突然、めくる手を止めた。その見開き二ページには、広い海に囲まれた豊かな森が描かれていた。美しい、とミノルは思った。よく見ると、その理想郷のように美しい自然に満ちた世界の中央には、小さく人が描かれていた。男が一人と、女が一人。どちらも裸だ。女性と思われる人間が木の枝の上に立って、その下にいる男に手を差し伸べて果物のようなものを渡している。

 これは一体何の絵だろう、とミノルが思っていると、老人はその絵を杖で指して、ミノルの顔を見た。何のことか分からず呆然としていると、再び老人はその絵を杖で指示しながら、眼力を込めて何かを訴えてきた。

 『これについて何か知っているか?』ということか? 

 本当に身に覚えがなかったので、ミノルは正直に困惑の色を目に浮かべながら首を横に振った。

 老人は少し残念そうな顔をした。その時はじめて老人の顔に感情らしきものが浮かんだような気がした。



 ――その後も、ミノルは彼らのするがままにまかせた……。というより、そうする以外に方法はなかった……。

 どうやら彼らは俺を受け入れたようだ。見ず知らずの、得体のしれない異邦者を。何をもってか知らないが、彼らは俺を同類、同族のように思っているらしい。

 喉がカラカラに乾いていたから、先ほどのひょろ長い男から差し出された大きな目のような形の桶にたっぷり入った水を飲んだ時は、心の底から美味いと思った。

 手持ち無沙汰になったので、彼らの集落の奥へさらに進んで行った。さまざまな建築物を見て回ったが、どれもほとんど同じような建築様式で、自分のいた世界のような建物は一つとしてなかった。ここは本当に、自分の認識でいうところの数千年前の世界のようだ。こんな原始的な世界で、これからどうすればいいというのだ。

 その日は集落の探検で一日を終えた。時計がないので(スマホは依然として役に立たなかった)時間がわからなかったが、感覚で言えば二、三時間くらいで日が落ちたような気がした。

 松明の暖かな明かりの中、先ほどの男に小屋のようなところへ案内された。ここが俺の部屋というわけか。室内には寝具や棚など、最低限のものしかなかった。藁のようなもので覆われた石のベッドに寝っ転がって一人になると、そこではじめて、心が少し安らいだ気がした。だが、心の奥底からはまだ焦燥の叫びが小さく聞こえてきた。

 カレンはいま、どうしてる……。

 無事なのか……?

 これからどうすればこの世界から脱出できるのか。手を頭の後ろに組みながら横になりながら考えていると、心にもなく強い空腹を感じはじめた。ほとんど体感で二十四時間くらい何も食べていない。さっきの水で余計に空腹を感じやすくなったのだろう。何か食べ物を分けてもらえないかと思い身を起しかけたが、勝手に入ってきた異邦者が横から彼らの食事を分けてもらうということに厚かましさを感じたのはもちろんのこと、土の色すら違う並行世界の食べ物を食べることに抵抗感を感じ、とどまった。しばらく縄で腹を縛られるような空腹感を抱えながら寝ていた。しかし次第に抗いがたい体の重さを感じ、眠りに落ちた。

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