第31話 この世界とあの世界

 ――ミノルはゆっくりと身を起こした。かなりぐっすりと眠ったような気がするが、まだ夜のようだ。壁にぽっかり空いている四角の穴からは、まだ外の闇が見える。早く眼が覚めてしまった。

 体の疲れもすっかりとれたようで、眠る前とは違い気力がみなぎっていた。

 とりあえず小屋まわりを散歩でもしようかと思い、ベッドから降りて外へ出た。

 その時、ミノルはそこで見た光景に驚いた。歩くのも難しいほど深い闇が広がっていると思っていたが、暁のようにあたりは明るく、明瞭だった。それもそのはずで、夜空には見たことのないほど大きな月がかかっていた。ミノルが元いた世界では決して目にすることはない大きさの月で、すぐそこに感じられるような親近感のある出方だった。その強い光輝はあたたかな黄色を帯びていた。昼間の空はあれほど雲が光を遮っていたのに、夜になるとこれほど嬉々とした表情を見せるのか。

 ミノルはしばらくその迫力のある美しさに呆然としていた。

 すると、どこからともなく、人の声が聞こえてきた。一人だけではなく、複数の声。群衆の声だ。

 こんな遅い時間に一体集まって何をやっているのだろうと思い、ミノルはその声のする方へと足を運んだ。

 月におぼろげに照らし出された道を歩くと、奥の家の壁面に、揺らめく火に映し出された人影が踊っているのが見えた。シルエットはかなりの数だ。

 ミノルは隣にあった家に身を隠しながらその声のする方をこっそり覗いた。

 一枚布を身に着けただけで胸をはだけた子供たちが焚火を囲みながら円陣を組むように座っており、その中に混じっている一人の大人へ向かって声をそろえて何やら唱えている。あぐらをかいている子供たちの脚の前には、数時間前にミノルが見た、絵だけが描かれた本が置かれていた。

 授業をしているのか。……この時間に?

 いま何時なのかは分からないが、子供たちが授業を受けるような時間ではないのは確かだ。

 異世界の異文化に驚きつつも、口をそろえて何かを暗唱している子供たちに近づいて行った。彼らが何を学んでいるのか気になった。

 ミノルは子供たちの近くに座り、彼らの肩の間から見える教科書を覗いてみた。

 彼らはミノルにほとんど驚いた様子はなかった。さほど関心がないようだった。

 しばらくの間ミノルがそうしていると、子供たちの教師と思われる中年の男は授業を止め、彼らが使っているものと同じ教科書をミノルに渡してくれた。目を合わすことなく、無言で。

 ページを一枚めくる。決して上手とは言えないが、左右のページいっぱいに、何やら大きな城が描かれている。辺りにある建物と同じように壁面は青い。中世ヨーロッパの城のような形だ。しかし塔の屋根の形など細かなところで違っていた。これは何だろう。かつてこの土地にあった建物だろうか。

 もう一枚めくる。その瞬間、ミノルの心臓はドクンと跳ねた。鼓動は急激に早まった。脳天からの衝撃で頭からひびが入り、自分という存在が真っ二つに割れようとしているかのようだった。

 紙のようだがその割にかなり分厚い、何の素材でできているのかわからない真っ白なページの上に、ミノルが見たことあるものが描かれていた。

 フードのついたローブを身にまとった、黒い集団。過剰なほど密集していて、異様だ。顔の部分は俺が見たように影になっており、黒く塗りつぶされていて分からない。左右のページの各所に、その集団が多少デフォルメされた大きさで描かれている。その内の一人は、銀色のナイフのようなものを持っている。見開き二ページの中央には白いローブの人間……。

 ――同じ世界だったのだ! 

 俺はすっかり別の並行世界へ飛ばされたのだとばかり思っていた。しかし、実際は世界の外へ出たわけではなく、同一空間を横移動しただけだったのだ。俺はまだ、”同じところ”にいるというわけだ。

 汗で湿った指で、素早く次のページをめくった。それを見て俺の予感は確信へと変わった。

 先ほどの大きな城の上で、魔法使いたちがたくさん群がっている。重々しい曇り空へ向けて短剣を掲げている。剣が向けられたその空間からは、赤い稲妻が発生し、地上へ激しく降り注いでいる。ページの右側には、稲妻から背を向けて逃げている者たちがいる。薄黄色い一枚布を体に巻き付け、髭をたっぷり生やし、活力とはほど遠い表情を浮かべた男たち……。

 鼓動は速くなっていた。さらにページをめくる。

 俺を魅したあの巨大な月、その下に再び大きな城。その城内の簡易的な断面図。左端に白いローブ姿の人間。その前で、一列に並んだ影の塊のように見える、黒いローブ姿の群れ。しかし、前ページまでの恰好とはまるで違う。一人としてフードを被っていない。全員の素顔が、ぎこちないタッチの絵で描かれていた。黄色人、白人、黒人……俺のいた世界にいたような、様々な肌の色の人間が混在していた。人種に違いはあっても、性別は全員同じだった。俺はそれを戦慄をもって見た。どの顔を見ても、女だ。茶髪や赤髪や黒髪や金髪など、髪の色こそ様々だったが、多くが長髪であり、流れるような髪を肩に垂らしていた。容貌は揃って美しかった。とりわけ、左端の白いローブをまとった女は。身長は他よりも頭二つ分高い。俺があの時見た通りだ。軽くパーマのかかった金髪は肩の上まで伸び、肌は他と比べても一際白い。目はサファイアのように深く鮮やかな青……。

 再び一枚ページを戻って眺めた。

 なんということだ。

 ここは、女たちが力によって男たちを服従させている世界だというのか。

 男と女の関係が、あの巨大な城のそれのように分厚く巨大な壁によって絶たれた世界だというのか。

 俺が見てきた男たちの、諦めの顔と非文明的な生活の理由が分かったような気がして、背筋に寒いものが走った。

 燃え上がる焚火に照らされた少年たちを見渡す。

 なぜ今まで気づかなかったのか。ここに来てからというもの、一人として女の姿は見ていないじゃないか。丘から滑り降りて来た時といい、老人に会った時といい、どこを見ても男ばかりだったじゃないか。今思い返せば、彼らの生活には文明以前に何かが決定的に欠けていた感じが確かにしていた。

 この集落は、男たちだけで寄り集まって作られたものなのだ。

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