第28話 独りになったミノル
突然、大きな見えない力によって夜の世界から昼の世界へと吸い込まれたミノルは、足を着ける間もなく、引力のままに地面に倒れた。
飛び込んでくる光の眩しさに眩暈がする。
とっさに顔を上げて周りを見渡す。
視界はぼやけているが気にせず首を動かす。
ここはどこだ。
一体何が起きた。
目が次第に周囲の物に慣れていく。それにしたがって、心の奥底から計り知れないほどの焦燥感が湧き上がってきた。それがミノルの存在を震わせた。
曇った灰色の空と枯れた丈の長い雑草が、あたりいっぱいに広がっていた。
それだけだった。
自分一人の他には誰もいない。
カレンはいない。どれだけ見渡しても、いない。
嘘だ。そんな。
そんなことがあっていいわけがない。
頭を抱えて辺りをうろつき始めた。
頭の中で、様々な「?」が稲妻のように一気に駆け巡った。
俺は、また、別の並行世界に移動したのか?
飛ばされた? あの白いローブに身を包んだ女に? 俺に何をした?
ここはどこだ?
いや、今はそれはどうでもいい。
……カレンは?
そうだ、カレンは?
心の中ではっきりとそう言葉にした時、全身の力が一気に抜け、その場に座り込んだ。
そのまま、ミノルは何を見るともなく、呆然としながら、全身に満ちていく絶望感を味わった。
頭での理解よりも先に、体が反応を示した。
――俺は、別の世界に飛ばされた。今いる場所も、おそらく、もう一つの並行世界だ。
並行世界で、別れた。元いた世界とは、はるか遠くの世界で。手を放してしまった。カレンは、ここにいない。
ミノルは頭を”青い土”の上にこすりつけた。
カレンは、まだあの得体のしれない奴らのところにいる。あの、薄気味悪い、魔法なのか何なのか、超能力のようなものを使う、異常者集団のところに。奴らは、一体カレンに何をするつもりなんだ? そもそも、カレンは捕らわれたのか? いまは檻の中? なぜ俺とカレンを引き離した? なぜ俺だけがここにいる? ”奴”はカレンと何を話したんだ……?
黄色い雑草を鷲掴みにして項垂れたミノルは、息を荒くしながら、願った。
……カレン……無事でいてくれ。
見渡す限り広がる、枯れた雑草。そのどれもが人ほどの丈はあるかと思われるほど大きい。その下の土は薄く青色を帯びており、それがどこまでも続いていた。空はいつまでも変わらない曇り空。厚い雲からは決して太陽が顔を覗かせることはない。それだというのに雨はほとんど降らない。広い大地のどこを行っても空気と土地は乾いており常に水を欲していた。
――ミノルはどれくらいの間、そうしていたろう。長い間、地面に顔をこすりつけていた。
すると、かすかに青みを含んだ土を額と頬につけたままおもむろに立ち上がり、遠くを見渡して、歩き始めた。足取りは弱々しかった。
見つけなければ。
その思いがまずミノルの脚を動かした。
カレンがいた未来都市のような世界。そこから制服姿の自分とカレンがいる過去の写し絵ような世界へとやってきた。その移動の時に開いた、不思議なドア。そして、そこから陰気極まりない”魔法使いたち”の世界へやってきた時には、黒い沼のようなものを通ってきた。ドアか沼、このどちらかを見つけなければ。とにかく、見つけさえすれば、それを通ってどうにかカレンを助けにいけるかもしれない。絶望感で感覚が麻痺した中で、ミノルは一縷の望みにかけていた。
だって、あのドアをくぐった時、数えきれないほど並行世界があるにもかかわらず、その中からああいった世界を引き寄せたんだから。自分の思い通りの世界と繋がれる可能性は、きっとある。
よくよく考えたら、あの世界はまるで理想世界のようだ。「もし過去を思い通り改変できるなら、どうしたい?」という問いに対して自由に夢想した世界のよう。人間として、恋愛の在り方として未熟ながらも、肩を寄せ合ってささやかな恋心を少しづつ育てている自分とカレンを見た時に感じたあの感動は、そういうことだったのかと、今になって腑に落ちた。あの時カレンが流した涙も、まさに心の奥底にあった「もしも叶うのであれば……」という切なる願いが、目の前で時空を超えて成就したことへの涙だった。
どういう理屈なのかは分からないが、たとえ現在生きている世界が理想とは違う世界であっても、必ず並行世界のどこかで、もう一人の自分が、自分の思い描いている夢のような世界に生きているようだ。
それに対してさっきまでの異様な世界は……。ミノルは身震いしながら歩き続けた。
しかし、行けども行けども同じような荒涼とした景色ばかりだ。さっきと変わったことといえば、枯草の丈がだんだんと短くなって見晴らしがよくなってきたということだけだ。空は依然として一枚の分厚い灰色の雲に覆われていて、秋風のような涼しい風が肌を時折かすめる。元いた世界は(といってもそれももう一人の自分がいる並行世界だが)夏まっさかりだったから、今は生地の薄い半袖を着ている。クリーム色のシャツの袖からは腕が丸見えで涼しいを超えて寒い。
――数時間は歩いたか。喉の渇きも感じてきた。
あたりいっぱいに見えていた雑草も減っていき、下の青い地面が見えてきはじめた。土や石ばかりの景色になり、荒地ぶりはいよいよ度合いを増してきた。
人の気配どころか、文明の気配すらしなくなってきた。どこまでこの何もない景色が続くのだろうか。別の方向を歩いて行った方がいいのだろうか。
前方に地面が大きく起伏を描いているところがあり、パサついた土に手をかけながら丘を登って行く。ここを登れば、高いところから広く見下ろすことができるだろう。お願いだ、誰かいてくれ……家一軒でもあれば……。そう願いながら一歩一歩登って行った。
そして、丘のてっぺんに手をかけ、立ち上がった。
すると、そこには驚くような光景があった。ミノルが立っている地点から標高の最も低い地点に至るまで、斜面に添うようにして無数の家々が並んでいた。どの建物も特定の区域内に相集まるように密集していた。色から察するに、周囲にある石で作ったものだろう。
人がいる! 遠くにその光景を見て、沈んでいたミノルの心は跳ね上がった。この世界は人類すらいない原始的な世界ではないということがわかり、心底安心した。得体のしれない魑魅魍魎が出てくるのをイメージしていたミノルは、異世界であるにしろ同じ人がいたという事実に嬉々として、サラサラと流れていく青い土の斜面を一歩一歩進み始めた。
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