第27話 玉座に座る白き女王

 ミノルが両手を広げた長さ以上の横幅がある巨大な石が、周囲にいくつも積み上げられて出来た堅牢な廊下を通り、二人は深くフードを被った謎めいた人間たちに連れられて行く。彼らは不気味なほど静かだった。足音さえも聞こえなかった。

 廊下の壁に沿って等間隔に灯火が揺らめいている。辛うじて彼らのシルエットが見える程度の明かりだった。

 木製の扉が目前に見えた。すると、誰の手にも触れられていないはずのその扉がひとりでに開きだした。一行はその扉をくぐった。

 ミノルとカレンの前に巨大な空間が立ち現れた。横、幅、高さともにほぼ同じで立方体に近く、軽く数百人は収容できそうな大広間だ。実際、そこには同じく漆黒のローブを身に着けた者たちが数えきれないほど闇に紛れていた。ほとんど互いの肩が触れ合っているように見えるほどに密集していた。四方の壁には窓が一つもなく、日の光が差し込む隙間もないようだった。そのせいでミノルとカレンは今が昼なのか夜なのか把握することさえできなかった。

 少なくともミノルは、いくつもの世界に股を掛けたせいで時間感覚が狂い、おおよその把握も不可能だった。

 大広間の奥を見ると、階段のように段々となっているところにもそれぞれ黒いシルエットの彼らが肩を並べており、最も高い段にある一つの大きな椅子を守るように立っていた。そこには誰かが座していた。黒、ではなくそれとは反対の白に身を包んだ、ただならぬオーラを放つ人物。黒いローブの人間ばかりがひしめいているこの空間の上部に、一点の白。明らかに際立っていた。真っ白い石で出来ているその大きな椅子のひじ掛けから伸びている手もまた白だった。ミノルはそれを見て、今まで一度も太陽光を浴びたことがない人間の皮膚のように感じた。

 ミノルとカレンはその白いローブを身にまとった人間のところまで運ばれた。二人は依然、金縛りのように身動きが取れない圧迫感を感じたままだった。

 このカルト教団のような集団の中心人物の正面に来た時、突然、ミノルとカレンは体が楽になった。体の硬直はなくなり、足も地面に着いていた。

 ミノルのもっとも近くにいた黒ローブの人物は二人の拘束を解いた後、段を一段ずつ上り、最上部にある大きな椅子の隣まで行き、その玉座に座る人物の耳元で何かをささやいた。

 その囁き声は、かすかにミノルの耳にも聞こえてきた。明らかに日本語ではない語感だと感じた。

 その間、自由の身になったミノルは正常な思考で自分とカレンに相対している人間を眺めた。冷静に見て初めてその体格の異様な大きさに気づいた。身長は軽く二メートルは超えている。しかし、その大柄さに対して肩は張っておらず、全体的にほっそりしている。袖から見える手指も細く繊細を極め、肌は驚くほど滑らかそうに見えた。顔はフードの影でほとんど見えないが、近くでちらつく炎に照らされて引き締まった端正な白い口元が見えた。何者であるにしろ、おそらく女性であろうとミノルは思った。

 遅れてミノルはまたしても自分たちは「他の世界」にいるのだと気づいた。これを並行世界と呼んでいいものだろうか。これまで渡ってきた世界とあまりにも違い過ぎる。少なくとも自分が元いた世界からはるか彼方に来てしまったのだろう。並行世界というものが数えきれないほどあると頭でわかっていても、いざこういった何もかもが違う世界に遭遇すると、本能が理解を拒絶しているような感じがした。人生において蓄えられてきた常識が解体されていく感覚……。

 ふとミノルはすぐ隣にいるカレンの顔を見た。普段は慈愛に富んだ彼女の目元は、彼と同様にひどい当惑のためにゆがんでいた。カレンにささやき声で語りかけようとした瞬間、彼女は首を勢いよく振り回してあたりを注意深く見渡し始めた。

 しばらくそうしていたカレンは、突然「リヴィ……カール……?」と呟いた。そして呆然としているミノルの方へ再び向き直った。彼女は訴えるようにして言った。「聞こえないの? 声が……」

 声? ミノルにはただ静寂しか聞こえなかった。

 両手で頭を押さえながらカレンは驚きと困惑を混ぜ合わせた目を、彼方の玉座に向けていた。

『あの人の……声なの……?』

 夜空にかかる満月の丸みのように美しい声が、彼女の頭の中にだけ反響していた。

「あなたが、多重世界の人間ね」

 高い、女性の声。

 仄明かりの下では、一人白いローブに身を包んだ彼女の唇が動いているのかどうか分からなかった。恐らく彼女が自分に話しかけているのだろうとカレンは思った。

 大きな白い椅子に座っている彼女は、連続する川の流れのように次から次へとカレンに向かって話し始めた。

「美しい。その美貌、このまま放っておくには実に惜しい。最も美しく花開く時期は過ぎていますが、まだあなたは若い。遅くはありません。

 なんと、これは驚きです。あなたのいた世界は男が権力を持っている世界なのですね。ああ、生を受けてからというもの男たちに魂を操られて来たのですね。ですがもう大丈夫です。この世界と多重世界を繋げたのは私たちですが、あなたがこうして私と出会えたのは偶然が無数に重なった末の幸運なのです。他の世界の者とはいえ、あなたも私たちと同じ女です。男たちを従える力が備わっているはずです。私たちがあなたを解放し、正しく導きます」

 彼女の言葉を何一つ飲み込めず、はじめ、カレンの口から弱々しい声が漏れ出た。「何を言っているの……」

 しかしカレンは身内にある勇気をかき集めて「私はここがどこだか分かりませんし、このまま残る気はありません、私たちはすぐに帰ります!」と言い、隣のミノルの手をぎゅっと握った。

「なんと嘆かわしい。なんと恐ろしい。それほどとは……。これは荒療治が必要です」

 と、カレンがその言葉を脳内で”聞いた”と思った刹那、いつの間にか白いローブの女は隣に立ち、彼女と腕を組んでいた。顔はミノルの方を向いていた。

「まず……そこの獣にはこの城から出て行ってもらいます」

 黒い怪しい紋様が描かれた白ローブの袖から金色に輝くナイフが滑るように現れた。彼女はそれを軽く持ちながら空間に切れ目を入れるようにして上から下へゆっくり降ろした。

 すると、そこがまるでがま口のようにぱっくりと開き始めた。

 その先に眩いほどの昼間の光景がカレンの目に飛び込んで来たと思うや否や、空間に突如出来たその穴はミノルの右半身を飲み込んで行った。

 繋いでいた二人の手は虚空からの引力によってとっさに伸び切った。

 カレンはミノルの名を叫びながら渾身の力で彼の手を引き寄せた。

 ミノルもそれに応じて彼女の名を呼びながら必死に彼女の右手にしがみついた。

 ――次にカレンが瞬きをした時、穴はふさがっていた。

 ミノルは消えていた。

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