第21話 幸せそうなもう一人のワタシ
一度に見渡した限りでは、街並みや車など、ミノルが元々いた世界でも見たことがあるような風景だったが、注意深く見てみると微妙な違いがあった。異様なそれらの光景を見て改めてここが並行世界であるという認識を強めた。
どの建物も共通してガラス窓がほとんど見当たらない。車や自転車の一部が木製で出来ている。イギリスの兵隊のように縦に長い派手な帽子を被っている人がいる。
先ほどから肌に感じていた、得体の知れないヒリヒリ感は止む様子はなかった。空気中の気体が全て彼の肌の上で摩擦して掠めて行っているような感じがした。ミノルはまた、世界から拒まれているような感覚がした。
ミノルはふとポケットの中のスマホを思い出し、取り出してボタンを押して画面を明るくしてみた。時間が確認できるかと思って期待したが、時間が表示されるべきところには無作為に意味のない記号が並んでいるだけだった。データ通信の電波マークも当然のように消えていた。
ミノルは空を見上げた。ドアを開けて最初に目にした通り、灰色と薄い黄色が混じった、奇妙な色がそこには広がっていた。やはり時間は分からなかった。
――二人はしばらく、呆然と道路わきの歩道に立ち尽くしていた。
すると、遠くを眺めていたカレンが、にわかに興奮した声で「ミノル、ちょっと来て」と言い、手を繋いだままミノルを歩道に沿って引っ張って行った。どこからそんな自信が湧いてくるのか、彼女は見知らぬ世界をどんどん進んで行く。
ミノルはカレンに手を引かれるまま付いて行った。そして、そこで目にした光景に、頭を殴られたような衝撃を受けた。
見覚えのある校門。見覚えのある校舎。突如として、ミノルが元の世界で通っていた高校が眼前に立ち現れた。
「ど、どういうことだ……?」とミノルがあまりの困惑に思わずそう口にしたのと同時に、校門の奥から制服姿の一組の男女が歩いてきたのが見えた。
制服はミノルが十年前に着ていた紺色の学ランで、異様な懐かしさを感じた。下校時間なのか、多くの生徒が校門からなだれ込んできているが、その一組の男女だけはミノルの目には際立って見えた。彼らは校門を抜け、徐々にミノルたちのもとへ近づいてくる。二人の顔を見て、ミノルはほとんど本能的な素早さでカレンの手を引っ張って近くの街路樹に身を隠した。
遅れてカレンも、街路樹の幹の傍から見て、息をのんだ。
ミノルとカレンが見たのは、まぎれもなく高校時代の自分たちだった。
もう一人の自分がそこにいる。昔に着ていた制服を着て、昔にやっていた髪型で、十代の頃の幼さを残した顔をした自分がいる。一人の、独立した、人間として。
ミノルは、自分の他に自分がいるという現実を目撃して、質の悪い酔いのような困惑を感じた。頭の中は大きく揺らいでいた。
「あれって……私たち……だよね……?」
とカレンが聞いたが、ミノルは衝撃のあまりすぐには答えられなかった。
街路樹が立ち並ぶ歩道を行く二つの後ろ姿の後を追って、ミノルとカレンは再び歩き始めた。立ち並ぶ八百屋や自転車屋など建物に隠れながら、できるだけ彼らから一定の距離を保つように歩いた。しばらく進むと、川や車道や歩道によって道がいくつも分かれているところへ出た。肩を寄せ合うように群れながら下校していた生徒たちは、それぞれの道へ分散していき、制服姿のミノルとカレンは車も通れなさそうな狭く薄暗い小道を進んで行った。もう彼らの後ろには、曲がり角に隠れているミノルとカレン以外には人影はなくなっていた。
すると突然、数十メートル先にいる制服を着たミノルは、隣にいるセーラー服姿のカレンの手をそっと握り始めた。
彼女はそれに無言で応じ、お互いの腕が密着するほどの距離を保ちながら歩き続けた。
それを見ていた”大人の”ミノルとカレンは驚きのあまり顔を見合わせた。双方が目を見開いて同じ驚愕の表情をしているのが分かった。
ミノルは今見ているものを理解しようと努めた。そして、彼も多くを知っているわけではないが、何も知らされずとも自分に付いて来てくれたカレンの不安を少しでも解きほぐしたいと思い、現在二人が置かれている状況を説明した。
「カレンは、パラレルワールドって聞いたことある?」
「一応、あるけど……ひょっとして、これ、パラレルワールドだっていうの?」
「おそらくそうだと思う。数えきれないほどある世界の中の一つにいる。俺たちは『もし昔の時代に生きていたら?』という”もしも”の世界にいるのかもしれない。それと、『もし高校時代から付き合っていたら?』という世界でもあるのかも……」そこで一旦ミノルは言葉を切って、続けた。「あの黒いスーツを着た女性が黒い作業服の男と何やら話していたけど、”うきせ”が無数にあるとかなんとか言っていたよね? たぶんこんな感じの並行世界が無数にあるってことを言ってたんだと思う」
そこでカレンは聞きたい衝動をずっと我慢していたかのように、堰を切った感じで聞いた。
「そう、そうだよ! さっきのあの女性の言葉! あれきっと私たちのことだよ。『異常体』とか『探す』とか言ってたし、それに実際、追いかけてきたし!」
二人はここで初めて、取り囲んでいる巨大な謎について話し始めた。互いの考えを交わし合い、目前に漂う霧を払い、明らかにしようとした。
口々に意見を交わしている間も、二人は自分たちにそっくりの二人を追いかけた。何か明確な目的があるわけではないが、心が引かれるまま、追った。
制服姿のミノルとカレンは、細い道を出た後、そのまま前にある横断歩道で信号を待った。セーラー服のカレンはその間ずっと大げさに動き続けていた。カバンを前後に大きく振ってみたり、何度も隣のミノルの肩に触れてみたりしていた。
遠くからでも分かる。彼女は見るからに幸せそうだった。ここは、ミノルの元いた世界やカレンのいた世界のように決して物が豊かで満ち足りてるとはいえない世界だが、向こう側のカレンの横顔はまぎれもなく自分がいる世界、時、所に満足していた。
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