第22話 いなくなったはずの弟

 信号待ちの間、後ろからつけていた二人も同じく足を止めた。

 大人のカレンは、歯を見せながら笑い合っている高校時代にそっくりな二人をしばらく見つめた後、手を繋いだままおもむろにミノルの方に向き直り、時折、上目遣いになりながら言った。

「あの、言うのが遅れちゃったけど、赤い空が窓から見えた時、すぐに私の手を引っ張って連れ出してくれてありがとう。頼もしかった。私ひとりじゃ、足がすくんでどうしようもなかったと思う」カレンは目を一文字にして笑いながら続けた。「っていうか、あの時初めてミノルのこと男らしいと思えたかも」

 「ええ!」とミノルは心外そうな驚きの声を上げた。

「ウソ! 冗談!」そう言いながらカレンは二つの手でミノルの手をギュッと握りなおした。誰にでも優しげに香る花のような笑顔は、心なしか赤らんでさらに美しく見えた。

 すると、カレンの顔は神妙になり、落ち着いた声でミノルに聞いた。

「あの赤い世界に迷い込んだ時は、すっごい怖かった。現実とは思えなくて、どうしたらいいか分からなかった。それに、あの黒い服の女の人と男の人が突然現れて、なぜか訳知りで冷静な感じが気味悪かった」そこで言葉を切った後、目をミノルの胸に落としながら続けた。 「……けど、あの人たちって、おかしな世界に紛れ込んじゃった私たちを、元の世界に帰そうとしてたんじゃないの? 私たち、あの人たちから逃げて、ここまで来ちゃったけど、良かったのかな……?」

 ――ミノルは答えに窮していた。彼女に真実を伝えるべきかどうか。伝えれば、確実に今のこの関係は、せっかく結んだこの手は、解かれてしまうだろう……。

 その時、歩行者用信号が青になったことを告げる音が響いた。

 カレンがその拍子にミノルからふと視線を外した時、ちょうどそばをランドセルをしょった小学生が走り抜けていった。彼女はその子供の姿を見て、目が釘付けになった。

 ミノルは、答えをはぐらかす意味も含めて「あ、カレン、青だ」と言って横断歩道の方へ一歩踏み出したが、振り返ってカレンの顔を見た時、彼女の意識は全く別の所にあるのが分かった。

 黄色い帽子を被ったその小学生は、そのまま走りながら横断中の制服姿のカレンの所まで行くと、カレンの腰に抱き着いた。

「おねーちゃーん!」

 よく通り抜ける小さな男の子の高い声が響いてくる。

「もぉ~! 勇太~! 抱きついちゃダメっていってるでしょ~!」

 彼女は言葉に反してむしろ嬉しそうな顔でそれに応じた。

「先に帰ってるねー!」とその小学生の男の子は、カレンに小さな手を振りながら再び元気よく走って行った。

 ――その間、ミノルはカレンの顔を見て、驚いていた。

 彼女は涙を流していた。

 透明な涙が、二つの瞳から静かに流れ出ていた。

 すると、次第にその顔にはしわが寄せられ、苦しさを表し始めた。

 そしてカレンは、突然、全身の力が抜けたように崩れ落ちた。

「ど、どうしたの!? カレン!?」と、思わずミノルはカレンに駆け寄った。

 彼が声をかけた後も、彼女は俯いて口や肩を震わせながらただ涙を流すだけだった。

 しばらくすると「なんなの……? どうなってるの……?」と、彼女の口から聞いたことのない、絞りだされるような弱々しい声が聞こえた。ほとんどささやくような、小さな声だった。

 何年もの間、彼女の色んな面を見てきたが、こんなにはっきり弱さを表に出したカレンは初めて見た、と彼は思った。

 彼は何度も彼女をなだめた。泣いている訳も、出来るだけそれとなく聞いた。

  高校生のミノルとカレンは、この時すでにはるか遠くを歩いていて、姿が見えなくなっていた。

 嗚咽のような肩の震えがおさまった後、彼女はおもむろに口を開いた。

「弟が……」

 再びしばらく間を置いた後、やっとのことで彼女は言葉を繋げた。

「死んじゃったはずの……弟が……」

 ミノルはこの瞬間、頭の中で二つの世界の二つの過去が彼女の言葉と繋がり、その繋がりは衝撃となって全身を揺るがした。全く違う世界で生きる二人の自分。そのどちらも、とある一つの記憶を経験していた。呼び起こされるいくつもの連なったイメージはそれぞれ、街並みや家の形、部屋の模様など、いくつか違うところがあったが、そこで起きた「内容」は同じだった。

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