ああ、あなたの道に希望があらんことを

雪月華月

第1話 ああ、あなたの道に希望があらんことを

 とある村の端っこに住む、奥さんが畑の世話に外へ出ると

家の門の近くに誰かが倒れていました。

一体誰が倒れているのかと、奥さんが驚いてかけよると

そこには見知らぬ青年がいました。

 青年はとても冷たくなっていて、顔には擦り傷があります。

奥さんはその姿を見ると居てもたってもいられず、すぐに青年を家に連れていきます。

ぼろぼろの青年はとても重く、奥さんはどれだけこの青年が傷ついたのかと、胸が痛くなりました。


「大丈夫、大丈夫よ」


「もう、あなたは助かったのよ」


 奥さんの声はどこか、悲痛な響きが有りました。

声の出せないほど消耗で突っ伏した青年よりも、ずっと痛そうな声でした。


 青年を横にして、奥さんは悪いと思いながら青年の身分を確認するために

荷物を探りました。荷物は紙とペンと僅かな食料と着替えと

竪琴がありました。どうも青年は吟遊詩人のようでした。


 旅をして、音を奏でて、街を渡り歩いてきたのでしょう。

青年は、奥さんの看病のおかげもあって、数日後には体調が回復しました。

しゃべりもきちんとできるようになってから、話を聞くと


「記憶がないんです……旅人というのは事実だとわかるんですが、旅をしている記憶もない。

地元の村に帰るべきなんでしょうが、とても遠くて……」


 青年の言葉はとても落ち込んで、寂しい響きもあって

奥さんは、この青年はとても悲しい気持ちに侵されてると思いました。

そこでこういったのです。


「私の夫は、今行商に出ていて、しばらく帰ってはきません……

少しの間、うちの手伝いをしていただけませんか」


「私がですか」


「はい」


 奥さんの申し出に青年は驚きを隠せないようでしたが

路銀もなく、明日の暮らしにままならないということもあり

奥さんの申し出を受け入れました。


「奥さん、畑の雑草が全部取れました……結構広くて

ここの畑を、奥さん一人で管理していたんですか」


「はい…‥人の手を借りることはありますが、だいたい私です」


「その……言うものではないですけど、奥さんの手」


 青年が視線を向けた自分の手のひらを奥さんは見ます。

そこにはあかぎれなどで傷ついた手のひらでした。


「……あとで、クリームを塗ればなんとかなります」


「奥さん……あなたにはお世話になっています。

なんでも私に言ってください……」


 奥さんは困ったように笑いました。


「そうね、吟遊詩人だったら、一つ、演奏を聞いてみたいものだわ」


 ハッとしたような目を青年はしましたが、すぐに目から力が抜けました。


「そうですね……記憶がもどったら」


 それから幾ばくの時がながれた、とある、三日月の晩です。

奥さんは、外から音が聞こえてきて、目が覚めました。

とてもきれいな音楽で、でも、寝入ってしまったら気づいてないような

それくらい静かな音でした。


「どこから……」


 奥さんは上着を羽織ると、外に出ました。

すると、少し家からはなれた場所で、青年が竪琴をかなでているのです。

きっと指を動かすことがなかったせいでしょう、どこかおぼつかない演奏。

それでも惹き寄せられるように奥さんは近づいてました。


「あなた、演奏を……」


 青年はどこか覚悟を決めたような顔をしていました。

演奏が聞こえてしまうことを、まるで知っていたような……

青年は深々と頭をさげました。


「すいません……謝らなくてはいけないんです、私は」


 青年は苦しそうに言いました。


「記憶なんて、なくしてなかったんです」


 ずっと覚えてました。

旅人で、演奏し続けてきたことも、そして途中で

演奏家として活躍させてやるという言葉に踊らされ

お金を奪われたり暴行を受けたことを。


「でも、そんな現実に耐えられなくて……つい、嘘をついてしまいました」


 奥さんはその言葉に、ただ優しくほほえみました。


「そうでしたか……でも、急にどうしてそんなことを言ったの?」


 青年は遠くのほうを見ます。

夜の闇で全く見えない、ずっとずっと遠いほうです。


「迷っているのです……記憶がないと言って、奥さんの家族が帰ってくるまで

ここで安穏と暮らすべきか……それともまた旅を始めるべきか」


「旅を、したいとまた思ったのですか?」


 青年は頷きました。


「はい、新しいメロディを奏でたくて……私の音楽は

旅から生まれてきました。体が回復にするにつれ

心が欲しているのです、新しい音楽を」


 すると奥さんは、ぎゅっと目をつむり

心から嬉しそうに言ったのです。


「なら、旅に出なさい。

あなたの音楽を、奏でるために

世界の果てでも、海をかける船の上でも

天に近い山の頂きでも

どんな苦渋がまたあったとしても

きっとそれ以上の歓びが待ってるわ」


 奥さんは青年の背中を押すように言いました。

それはあまりに優しく温かい言葉で

青年は目を見開いたまま、涙が流れました。


 奥さんは青年を抱きしめます。


「だから、また戻ってきてね……

新しい音を私に聞かせて……絶対に帰ってくるのよ」


 心細そうな奥さんの言葉に、青年は強く頷きます。


「はい……必ず!」


 奥さんには昔、旦那さんがいました。

行商に出ている、元吟遊詩人で

奥さんにたくさんの音楽を奏でてくれました。

 彼は旅に出て、そしてそのまま、帰ってきませんでした。


 濁流にのまれたのを見た。

どこかの女と仲良くしていた。

酒を飲んで、どこかへとふらふら行ってしまった。


 さまざまな噂を聞きましたが、事実として確かなのは

彼が戻ってこなかったこと。


 そして奥さんが覚えている彼は


「旅を愛していた」こと。


 奥さんは青年のために祈ります。


「ああ、あなたの道に希望があらんことを」


 

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ああ、あなたの道に希望があらんことを 雪月華月 @hujiiroame

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