第15話 言い訳と万が一

  おはよう。

  今、大丈夫?


  まだ、寝てる?


  話したいことがあるんだ。


  前に、後輩の話、したよね?

  実はアイツ

  とんでもない悪魔だったんだ。


  俺をたぶらかしたくせに

  セクハラしたなんて

  風評を流しやがった。


  そのせいで

  社内の立場が

  めちゃくちゃになった。


  アイツのせいで

  昇進の話も全部白紙だ。

  それどころか、

  降格の話まで出たよ。


  社内での扱いも

  ひどいありさまだ。


  まるで犯罪者を見るように

  俺を見てくる。


  真実を話しても、

  誰も俺を

  信じてくれない。


  俺は一気に、

  孤独の底に

  叩き落とされた。


  でも、そんなとき、

  紗江子の笑顔を

  思い出したんだ。


  きっと君なら

  騙されて傷ついた心を

  優しい笑顔で癒やしてくれる。


  大丈夫。

  多少の粗には

  目をつぶるよ。


  過去のことは

  水に流してあげる。


  二人で一からやり直そう。


  いつでも戻っておいで。




「……連絡はいつでも構わないよ、か。何なんですか、これ?」


 スマートフォンに表示されたメッセージを読み上げ、誠が眉をひそめて首を傾げた。すると、紗江子はどこか遠いところを見つめ、力ない笑みを浮かべた。


「はははは、何なんでしょうね? 本当に……」


 幸二からのメッセージを待っていた時期があったのは事実だ。しかし、間違っても、画面に映し出されている類の言葉を待っていたわけではない。


「責任転嫁に、不幸自慢に、上から目線。しかも、謝罪は一切なし。見事に、ダメな復縁メッセージのテンプレートですね」


「付き合ってるころは、もう少しまともだと思ってたんですけどね。はははは……」


「心中、お察しします」


 同情の言葉とともに、骨張った長い指が頭を撫でた。指はそのまま滑り降り、肩を抱き寄せる。


「念のため聞きますが、彼の元に戻りたくなりましたか?」


「そんなわけないでしょう……」


「あはは、そうですよね、すみません」


「もう……。まあ、二、三発ぶん殴りにいきたくはなりましたけど……、もう一切関わらないのが、正解ですよね」


「その通りです。こんな男、もう放っておきましょう」


「ただ、メッセージを既読にしちゃったから、何か返信をしないとダメですよね……?」


「まあ、『もう連絡するな』とだけ返してブロック、でいいと思いますよ」


「……ですよね」


「ええ。今の状態で変に恨み言を交えたら、『やっぱり、よりを戻したいんだ』と、曲解されてしまいそうですから」


「ですよねぇ……」


 ため息を漏らしながら「もう連絡しないで」と返信し、幸二をブロックする。誠も画面を覗き込みながら、コクコクとうなずいた。


「これで、メッセージアプリの処理は、完璧ですね」


「そうですね。あとはSNSのブロックと……、着信拒否とメールの受信拒否の設定もしないと」


 紗江子は忙しなく指を動かし、幸二からの連絡手段を絶っていった。

 全ての処理が終わると、誠が再び頭を撫でた。


「お疲れ様でした」


「ええ、本当に……、でもこれで一安心です」


「……そうとも、限りませんよ」


「……え?」


 いつのまにか、誠の顔には不安げな表情が浮かんでいた。


「あの男は、紗江子さんの家を知っているんですよね?」


「ああ、たしかに。でも、さすがに待ち伏せなんてことは……」


「しない、なんて言い切れませんよ。あんなに未練がましいメッセージを送ってきたんですから」


「そう、ですね……」


「……このまま、しばらくここにいてください」


「そう言ってもらえるのは、すごくありがたいんですが……、社員証とかが入った仕事用の鞄は家に置いてあるので……」


「会社、しばらく休めませんか?」


「さすがに、無理ですね……」


「そう、ですか……。なら、いったん戻らないとですね……」


「……はい。それで、今から荷物を取りにいって、またここに戻ってきてもいいですか? 明るいうちなら、待ち伏せされることも、あまりないと思うので」


「もちろんです! 俺も準備するので、すぐに行って戻ってきましょう」


「すみません、ありがとうございます」


「いえいえ。紗江子さんのためなら、このくらいどうってことないですよ」


 その言葉とともに、キツく抱きしめられた。リンゴに似た香りが、微かに鼻腔をくすぐる。


「絶対に、貴女を守りますから」


「……」


 心地よい香りを感じながら、紗江子も誠の腕にしがみついた。



 それから、朝食と身支度を済ませた二人は、紗江子のワンルームマンションにたどり着いた。古い作りのため、外から廊下の様子が見える。


 四階にある自分の部屋の前に人がいないことを確認すると、紗江子は胸を撫でおろした。


「よかった、待ち伏せされてなくて。じゃあ、パッと行って荷物まとめてきますから、近くのカフェで待っててください」


「え!? 一緒にいきますよ、万が一部屋の中で待ち伏せされてたら、大変じゃないですか!」


「あはは、大丈夫ですよ。合い鍵は渡してませんから。それに、ここエレベーターもないですし」


 苦笑とともに、苦しい言い訳が口からこぼれた。本当は、仕事が忙しく散らかり放題になっている部屋を見られたくないだけだ。


「紗江子さんがそう言うなら無理強いはしませんが……、本当に、大丈夫ですか?」


「大丈夫ですって、じゃあ行ってきますね!」


 そう言うとともに、不安げな誠を残してマンションの中へと駆けていった。


 息を乱しながら階段を駆け上がり、廊下に足音を響かせてドアの前にたどり着く。念のためドアノブを回してみると、ロックはしっかりとかかっていた。内心は少し不安だったが、誠の言った万が一は杞憂だったようだ。


 紗江子は安堵のため息をつき、鍵を開けて部屋に入った。


 そこには――



「あ、おかえり、紗江子」


「……え?」



 ――満面の笑みを浮かべる、幸二の姿があった。

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