第14話 幸せな寝室とようやく届いたメッセージ

 それから、紗江子は正式に誠との交際をはじめた。平日はとりとめないメッセージを交わし、金曜の夜から誠の家に泊まって週末を二人きりで過ごし、日曜の夕方に自分の家に帰る。


 そんな生活を続け、一ヶ月と少しが経過した土曜の夜――


「明日には、帰ってしまうんですね……」


 ――ベッドの中で、紗江子は誠に抱きしめられていた。


 寝室の中には、二人の香水が混ざり合った香りが満ち溢れている。


「ごめんなさい。でも、仕事もありますから」


 腕を伸ばして頭を撫でると、誠は唇を尖らせた。


「それなら、本格的に引っ越して、ここから通えばいいじゃないですか。紗江子さんの荷物を置くスペースは、充分ありますよ?」


 その言葉通り、このマンションには寝室と書斎の他に、空き部屋が一つあった。ワンルームのマンションに収まる荷物なら、難なく入るだろう。


「そうですね……、でも家電とかは処分しないといけないし……」


「それなら、安心して処分を任せられるところを知ってますよ」


「そうなんですか?」


「ええ、俺もここに引っ越すときに使ったんですが、作業も丁寧で値段も良心的でした」


「へえ……、それなら、そこに頼むのがいいのかも……」


「では、明日さっそく見積もりを依頼しましょう!」


「ちょ、ちょっと、気が早いですよ! 引っ越しの日程も決めてないのに」


「……あははは、それもそうですね」


 誠は苦笑すると、抱きしめる腕の力を強めた。


「でも、不安なんですよ。紗江子さんを一人にしておくことが」


「心配しすぎですって。一人暮らしでも、危ない目にあったことなんてないですから」


「それは、紗江子さんが気づいてなかっただけ、かもしれませんよ」


「あはは、もう、怖い冗談を言わないでくださいよ」


「冗談なんかじゃないですよ」


「……え?」


 見上げると、いつのまにか誠の顔から、笑顔が消えていた。


「紗江子さん、貴女はとても可愛らしいんですから、もう少し危機感を持ってください」


「でも……、今までも何事もなく暮らしてましたし……」


「だから、それは運がよかっただけですよ。それに、今は懸念事項だってありますし」


「懸念、事項?」


「はい。なんのことか、分かりますよね?」


 真剣な表情で問い返されたが、まったく見当がつかない。戸惑いながら眺めていると、真剣な表情がどこか苦々しいものへと変わっていった。


「……ほら、あの男のことですよ」


 吐き捨てられた言葉で、懸念事項というのが誰を指しているのか、ようやく分かった。


「……幸二との関係は、完全に終わりましたよ。愛菜さんに話を聞いたあとも、メッセージの一通も来ていないんですから」


「それは、セクハラで告発されて、諸々の処理に追われていたから連絡できなかっただけ、かもしれませんよ?」


「でも……、自分から破棄した関係に、今更縋り付くようなことは……、さすがにないと……」


「それでも、不安なんです」


 再び、抱きしめる腕に力が込められる。


「あんな男に……、二度と貴女を傷つけさない……」


「大丈夫ですよ、何を言われても、もう気にしません。それに……」


 胸に顔を埋めながら、背中に腕を回して抱きしめ返した。


「……今は、誠さんがそばにいてくれますから」


「……ふふふ、そうですね」


 穏やかな声とともに、抱きしめる腕が解かれ、頭が優しく撫でられる。胸から顔を離し見上げると、声に違わない穏やかな微笑みがあった。


「貴女のことは、絶対に俺が守りますから」


 額に、口づけが落とされる。


「ありがとう、ございま……、ふぁぁ」


 言葉の途中で、大きなあくびがこぼれた。途端に、紗江子の頬が赤く染まっていく。


「す、すみません。こんな話をしているときに……」


「いえいえ。そんなところも、可愛らしいですよ。それじゃあ、今日はもう眠りましょうか」


「はい……、おやすみなさい……」


「おやすみなさい。よい夢を」


 心地よい体温と香りに包まれながら、紗江子は眠りに落ちていった。



 それからどのくらいの時間が経ったのだろうか。いつのまにか、紗江子は薄暗い部屋に立っていた。少し離れた場所には、男性の後ろ姿が見える。


「誠さん?」


 声をかけると、男性はゆっくりと振り返った。しかし、その顔は誠のものではなかった。


「こう……、じ……」


 思わず声が詰まる。

 幸二は不気味なほど虚ろな表情を浮かべながら、ゆっくりと近づいてきた。逃げようとしても、体が少しも動かない。

 もがいているうちに、幸二は目の前に迫り、喉元に向かって腕を伸ばした。


 いや! 来ないで!


 声にならない悲鳴を上げながら、目を固く閉じる。すると、どこかから、何かが震える音が聞こえてきた。


 恐る恐る目を開くと、朝陽が差し込む寝室の天井が目に入った。顔を横に向けると、誠の安らかな寝顔が見える。


 幸二の姿など、どこにもない。


 胸を撫でおろしていると、頭上から再び何かが震える音が聞こえてきた。ヘッドボードに取り付けられた棚の上に目を向けると、スマートフォンが目に入る。


 手を伸ばして確認すると、紗江子の背筋に悪寒が走った。



 画面に通知されていたのは、幸二から送られた大量のメッセージだった。

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