第24話 二度目の

 テスト勉強を再開してからしばらくして、部屋のドアが控えめにノックされた。


「姉貴だ」


 駆流がそう言って手を止めたのとほぼ同時にドアが開き、菜緒が顔を覗かせる。


「まだ勉強してる?」

「いや、そろそろ終わるとこだけど」


 菜緒に訊かれた駆流が素直に答えた。

 つい先ほど、「切りのいいところで終わろうか」などと話していたところだった。


「そっか、ちょうどいい時に来たかな」


 奈緒の嬉しそうな顔に、春果と駆流が揃って首を傾げる。


「これから夕食作るんだけど、よかったら春果ちゃんも一緒にどうかと思って」


 笑顔で発せられた菜緒の意外な言葉に、春果が驚いて目を見張った。


「わ、私もですか!?」


 突然の誘いに、思わず声が上ずってしまう。

 まさか夕食に誘われるとは思いもしなかった。このまままっすぐ帰るつもりでいたのだから当然である。


「どう?」

「あ、えっと、すごく嬉しいんですけど、今日は家でもう用意してあるんで……」


 誘ってもらえたのは嬉しいのだが、さすがに夕食まで一緒に、というのは少しというかかなり図々しいような気がした。それに、家で用意してあるというのも嘘ではないし、今から家に電話したのでは母親に「遅い!」と怒られるような気もしたのだ。


「そっか、それなら仕方ないね」


 急に誘ったこっちも悪いし、と菜緒は納得したように頷いた。


「菜緒さんは全然悪くないですけど、本当にごめんなさい!」


 懸命に謝罪の言葉を紡ぎながら、何度も頭を下げる春果に、


「そんな気にしないで。また今度来た時は食べてってね」


 奈緒は優しく微笑みを返してくれる。


「はい、ありがとうございます!」


 顔を上げた春果は、そう明るく返事をした。



  ※※※



 送ってもらうのは二度目だな、と春果は駆流の隣でこっそり笑みを零す。


(えへへ、今日も送ってもらっちゃった……!)


 今回も駆流の言葉に甘え、駅まで送ってもらっていた。

 これが修羅場中だったら間違いなく断っていたところだが、今日はそういうわけではないので断ることはせず、素直に「よろしくお願いします!」と答えた。


「期末テストが終わったらすぐにオーケストラコンサートか。楽しみだな」

「うん、今からすごく楽しみ! でもテストさえなければもっといいのにね」


 学生だから仕方ないけど、と春果が苦笑交じりに言うと、


「それな」


 駆流は同意しつつ嘆息した。


 コンサートには早く行きたいが、その為には期末テストをどうにか切り抜ける必要がある。嫌なことだけを避けて通るわけにはいかないのが人生というものだ。


「まあ、今回はお互いにテスト勉強頑張ったし順位は大丈夫だろ」


 気を取り直したように駆流は朗らかに言うが、


「そうだといいんだけど……」


 春果の表情は逆に曇ってしまう。

 駆流についてはまったく心配いらないだろうが、果たして自分はどうだろうか。


(ちゃんと頑張ったつもりだけど、今日は篠村くんが目の前にいたしなぁ)


 正直、今日は緊張であまり頭に入って来なかったような気がしなくもない。


(でも、全然勉強できなかったわけじゃないし)


 家でも勉強しているし、いつも通りに頑張れているとは思う。これならばいつもと同じくらいの点数は取れるはずだ。


(でもなぁ……)


 毎回テストの度に不安がつきまとうのは、春果にとっては恒例行事のようなものだった。


「大丈夫だって! こういう時こそ自分を信じるんだよ!」


 途端に元気がなくなってしまった春果に向けて、駆流が励ますように力強く拳を握って見せる。

 その様子に、春果は少し困ったように薄く笑む。そして数拍おいてから唇を引き結んだ。


「……そうだよね……わかった、信じてみる! あ、そうだ……」

「何?」


 駆流が首を傾げると、


「一昨日、売り子できなくてごめんね。篠村くんにも菜緒さんにも迷惑掛けちゃったよね」


 春果はまた、意気消沈してしまう。


 売り子を引き受けてすぐのイベントに参加できなかったことを、春果は申し訳なく思っていた。

 部活と被った時は部活を優先していい、とは言われていたが、それでもやはり迷惑を掛けてしまったのではないか、とずっと不安を抱えていたのである。


「ああ、それなら気にすることないって。姉貴もちょうど暇だったって言ってたし」

「なら、いいんだけど……」


 まだ気落ちした様子の春果が答えると、


「東条は真面目だな」


 駆流はそう言って、目を細めた。


「え? そうかな?」


 これまで自分が『真面目』だなどと思ったことはない。どちらかといえば『不真面目』な方だと思っていた。

 だから、初めて人からそう言われて、春果は嬉しいような少し気恥ずかしいような、そんなくすぐったい気持ちになった。


「そうだよ。真面目だからこうやって俺や姉貴の心配したりするんだろ。さっきのテストの話もそうだけど」


 そう嬉しそうに笑いながら、駆流は春果の頭に大きな手を乗せる。


(わ、わっ!)


 突然のことに春果の心臓が大きく跳ねた。


 ドキドキしながらも、そういえば数週間前にも同じことがあったな、と初めて売り子をしたイベントの日のことを思い返す。

 あの時は初めてだったから思わず取り乱しそうになったけれど、今はその時よりもほんの少しだけ落ち着いていられる。


(篠村くんの手、今日も温かいなぁ……)


 もちろん心臓が破裂しそうになるのは変わらない。それでも、頭に置かれた手の温もりを感じていられるくらいのわずかな余裕はあった。

 些細なことであっても自分を褒めてくれた駆流に、きちんとお礼が言いたいと思った。


 もう暗いから、きっと顔が赤いことには気付かれないはずだ。

 そう思い、頬を染めながらも頑張って駆流を見上げる。


「うん、ありがとう」


 普段なら赤い顔を見られないように、と俯くところだろうが、今日は違う。春果にしては思い切った行動だった。

 しかし。


(――っ!)


 しっかり駆流と目が合ってしまい、春果はそのまま硬直してしまう。


 これまで紅潮していた顔がさらに赤みを増していくのがはっきりとわかった。

 駆流は前を向いているだろう、とすっかり思い込んでいた。まさか自分の方を向いていたなんて思いもしなかったのだ。


「あ、えっと、その、ごめんなさい!」


 咄嗟に春果の口から出たのは謝罪の言葉だった。

 そして、駆流が何かを言おうとするのを遮るようにして顔を背け、さらに続ける。


「あの、もうすぐ駅だし、ここまでで大丈夫だから! 送ってくれてありがとう!」


 早口で一方的にそれだけを告げると、鞄を両手で抱え、駆け出した。


「東条!?」


 背後から自分を呼ぶ駆流の声が聞こえるが、春果は振り返ることをしなかった。

 立ち止まってしまったが最後、きっと駆流は迷うことなく追いかけてくるはずだ。気まずさと恥ずかしさが入り混じった今の顔はとてもではないが見せられるものではない。

 ならば今は逃げるしかない。


(篠村くん、ごめんなさい……っ!)


 懸命に駆流への謝罪の言葉を紡ぎながら、春果は駅への道を全速力で駆けていった。




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