第10話 売り子……?

「ところでさ、今度のオンリーイベントって参加する?」


 唐突に、駆流が口を開く。

 ゲームのお知らせの話でひとしきり盛り上がった直後のことだ。


 駆流が言ったオンリーイベントとは、即ち同人誌即売会のことである。また、春果に腐男子だとバレるきっかけになったイベントでもある。

 先ほどサークル制覇、と言っていた駆流は間違いなく参加するだろう。春果も当然参加するつもりだ。

 ここ数ヶ月の間にあったイベントは、運悪く部活と被っていて参加することができなかったので、今回は久々に参加できるとあってとても楽しみにしていたのである。

 例え雨が降ろうと、槍が降ろうと行く覚悟でいた。もちろん本当に槍が降ったらイベントが中止になることはよくわかっている。


 駆流の突然の問いに、春果は何だろうと思いながらも正直に答えた。


「一般参加だけどもちろん行くよ。篠村くんも行くんだよね?」

「俺はサークル参加だけどな」

「やっぱりそうなんだ! サークル参加って何かすごいね!」


 春果の表情がぱっと華やぐ。


 いつも、夏と冬のコミケやオンリーイベントには朝陽とではく、一人で寂しく一般参加していた。

 春果は一つのものに深くのめり込むタイプだったが、幼馴染の朝陽はアニメや漫画、ゲームなどを広く浅く楽しむ方で、そこは性格が一致していなかったのだ。


 朝陽は今の春果がゲームにハマっていることは知っていたが、それに対して特に偏見はない。

 ただ、これまで春果と同程度にハマることはなかったので、イベントというものに行ったことはないし、春果もそれをよく知っているのであえて無理に誘うこともしなかった。


 実は、これまで誘わなかった理由は他にもある。

 春果は自身が腐女子であることを、いまだに朝陽にも隠しているのだ。

 朝陽に対して唯一、とも呼べる秘密だった。


「で、もしよかったら、なんだけどさ」

「うん、何?」


 もしかして一緒に行こうとか誘われてしまうのでは、とわずかに期待した春果だったが、


「ちょっと、うちのサークルの売り子手伝って欲しいんだけど……」


 思ってもみなかったその言葉に、固まった。


「売り子……?」


 当然、売り子という呼び名は知っている。ざっくり言ってしまえば、サークル側で同人誌やグッズなどを頒布、つまり売る人のことだ。

 だが春果はいつも一般参加で、あちこちのサークルを回って本を買うのが専門だ。むしろそれしかしたことがない。

 それなのに、いきなり「売り子を手伝ってくれ」と言われても、どう答えていいかわからない。


「え、えっと、売り子なんてやったことないし、難しそうだし、それに新刊買いに行く時間とか……」


 咄嗟に出てきた言葉の最後の方は、何となく後ろめたさのようなものでもごもごと消え入りそうになっていた。


 自分に打診してくれたことは素直に嬉しいし、それに応えたいとも思うが、やはり初心者の自分に務まるわけがない、と思ってしまう。

 もちろん、駆流と一緒にいられるのはとても喜ばしいことではあるのだが、それ以上に不安の方が勝っていた。

 何よりはっきり言ってしまえば、新刊を買いに行けない、というのが一番のネックだった。

 この辺りが腐女子のとても残念なところである。


「売り子ってそんなに難しいもんじゃないけどな。俺は金銭管理さえちゃんとできてれば大体問題ないと思ってるし。でも、やっぱ新刊は買いに行きたいよな」


 それはよくわかる、と何度も頷いた駆流は、腕を組んで目を閉じる。何かを考える素振りだ。


(あ、やっぱり最後のとこ聞かれてたか)


 考え込んでいる駆流の横で、春果は本人には見られないように苦笑いを浮かべ、小さく頬を掻く。


 売り子は難しくないと言われたが、もし何かミスをして駆流に迷惑を掛けてしまったらと考えると、どうしても首を縦に振ることはできなかった。

 正直に言うと、やってみたいと思ったことはある。サークル側から見た景色がどんなものなのか興味もあった。

 だが、周りに同人活動をしている友人などもいなかったし、伝手つてもなかったのでこれまで機会がなかったのである。


(もし、少しでも経験があれば手伝えたのになぁ……)


 残念だな、と春果は諦めにも似たような溜息を漏らした。

 やってはみたいが、好きな人に迷惑を掛けて幻滅されたくない。それならば今回は断るのが一番いいはずだ。でもやはりちょっとだけやってみたい気持ちもまだあるわけで。


(あぁ、どうしよう……!)


 心の中で懸命にもがくが、はっきりとした答えはまだ出てこない。引き受けるべきか否か。

 そんな乙女心の葛藤をよそに、ようやく駆流の目が開かれる。


「いいこと思いついた!」

「いいこと?」


 春果が不思議そうに首を傾げると、


「交換条件だよ!」


 駆流はそう言って、これはいい案だ、とばかりに顔を綻ばせた。


「俺、今度はサークル制覇するって言ったろ」

「うん」


 つい先ほど話していたことだ。


「だからもし東条が売り子してくれるなら、新刊一緒に買ってきてやる! もちろん冊数が限定されてるとこは無理だけど、それは後で貸すし! 何なら先に読んでもらっても構わない!」

「――っ!」


 提示された条件に、春果が息を呑み、瞠目する。


「な? いい条件だと思わないか?」


 確かにそれは願ってもないほどに好条件で、断る理由がどこにも見つからなかった。


「私でよければ喜んで!!」


 気付けば即答で引き受けていた。しかもガッツポーズのおまけ付きだ。


 それまで駆流に迷惑を掛けないように、などと考えていたことがまるで嘘だったかのように、あっさりと誘惑に負けてしまった。

 好きな人にBL本を買ってきてもらう自分は一体どうなんだ? とはちらりと頭の片隅をよぎったが、それはとりあえず考えないことにした。


「よし、決まりな! じゃあこれ、サークルチケット。今度の日曜、スペースで待ってるから!」


 いつの間に出したのか、春果にチケットを半ば押し付けるようにして手渡した駆流は、そのままの勢いで立ち上がる。そして心底嬉しそうに両手を大きく振りながら、嵐のように去って行った。

 その姿を微笑ましげに見送った春果は、まだほんのわずかに駆流の温もりが残ったチケットに目を落とし、じっくりと眺める。


「篠村くんと一緒に売り子……」


 駆流のサークル名とスペースが書かれたチケット。それが今、自分の手の上にある。まるで夢のようだった。


「しかも新刊は並ばずにほとんど買えるなんて……ふふ」


 好きな人と一緒に売り子ができる上に、新刊まで楽にゲットだなんて最高じゃないか。これ以上幸せなことなんてなかなかないだろう。

 そんな邪なことを考え、思わず笑みが零れる。

 いや、女子高生にとっては邪なことではないだろう。ここは大袈裟なほどに喜んでいいところだ。


 しかし、春果は一番大事なことをすっかり失念していた。

 それまで眺めていたチケットを大事そうにポケットにしまおうとしたところで、はっとする。


「結局売り子って何をしたらいいの!?」




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