2.聖戦

 聖戦開始まで――――九十六時間。


「――それでは時間となりましたので、始めさせて頂きます」


 驚いた表情でニエルを見つめていた女性は、すぐに何事もなかったように長机に視線を戻した。

 自分だけがいつまでもここに突っ立っている訳にもいかない。ニエルは開けっぱなしだった扉を閉め、一歩前に進む。辿っていた足跡の正体など、もうどうでもよくなっていた。


(もしかしてここが……)


 無間むけん……そこは七大魔王のみが入れる場所。魔王になった際にそう聞いていたはずだった。しかしニエルの目の前には――おそらく――魔王ではない女性が存在している。この女性は誰なのか。それをこれから説明するという事なのだろうか。


 思い出したかのように部屋を見渡せば、六つの玉座に座っている見覚えのある魔王たち。

 背筋をピンと伸ばし、腕を組んだまま不動を貫くの魔王。

 長机に足を置き、後頭部で手を組んでいるすみれの魔王。

 口元をコートに沈め、じっと燭台を眺める黒の魔王。

 机に頬杖をつき、ニヤニヤとこちらを見つめるみどりの魔王。

 頭をボリボリとかき、つまらなさそうに欠伸をするあおの魔王。

 そして――さきほど「入れ」と声をかけたしろがねの魔王。


 空いている席は一つある。蒼の魔王の向かいで、黒の魔王の隣の席。

 この状況で、ニエルに選択肢は残されていない。心の中で小さく息を吐き、空いていた玉座に腰を下ろした。

 座り心地は上々だ。全身が抱きしめられたような安定感に包まれる。座面にはほどよい弾力もあり、適度に体が沈み込む。その感覚に、ニエルは自然と表情が緩んでしまう。ここに来るまでの疲労が一気に消し飛んだ気さえした。


「あの――よろしいでしょうか?」

「す、すいません……」


 間抜けな顔をしていただろうかとニエルは顔を熱くし、目を伏せる。

 そんなニエルの羞恥など微塵も気にしないかのように、その女性は口火を切った。


「私は宣告者――ヒルデと申します。前回に引き続き、今回も皆様と再びお目にかかれる事、光栄に思います」

(宣告者…………。って事は、この女性ひとが…………)

「さてこの度は、百年に一度行われる”聖戦”の規則ルールに基づいて、皆様にお集まり頂きました」


 魔王たちは特に反応しない。さも、それが当然であるかのような態度だ。

 しかしニエルは違う。七大魔王になったばかりの彼にとって、これから起こるであろう出来事全てが初めてのもの。本来ならあれやこれやと質問攻めにしたい気持ちを抑え、ひとまずは聞き役に徹する。


規則ルールその一。聖戦参加者は、開始九十六時間前に所定の場所に集まり、宣告者による説明を受けなければならない。つまり、今この場にいる皆様が今回の聖戦参加者となります。よろしいですね?」

「……あぁ、問題ない」


 宣告者の呼びかけに、銀の魔王が代表して答える。

 翠と菫と輝の魔王は数百年前に七大魔王になったばかりだが、ニエル以外のこの場にいる魔王は皆、聖戦経験者だ。

 百年に一度の。それはニエルにとって初めての経験であり、忌むべき催しでもある。


「今回の聖戦に関しての詳細は、規則ルールその二”聖戦の形式については、開始十二時間前に宣告者によって参加者全てに通達する”によって改めてご説明致しますので、ご留意下さい」

「そんな事言ったって、どうせこの中から一人を選んでの代表戦になるんじゃねぇの?」

「だよねー、リヴァイア先輩。前回もそうだったもんね!」 

「じゃあどうすんだ? 前みたいにあかの魔王が代表になんのか?」

「えー、でも赫の魔王って今はいないじゃん。って事は代表になるチャンスだね、アモン」

「へっ、オレ様が出たら全勝間違い無しだ」


 菫の魔王が得意げにニッと八重歯を見せる。各々自信の表れだろうか、銀と黒と輝の魔王以外の表情は明るい。


「――説明を続けます。ご存知だとは思いますが、これも規則ルールなのでご理解下さい。まずは聖戦について。聖戦とは……百年に一度、天界、人界、魔界が繋がる七日間だけに行われる”神の催し”です」


 宣告者の言葉にニエルは俯いたまま耳を傾ける。

 神の催しと言うと聞こえはいいが、これはそんなお易しいイベントなどではない。勝者が得るのは栄誉と権利。敗者に待つ結末は地獄。これは千年続く、神の暇つぶしでしかない。


「天界を代表して神の御使い、人界を代表して賢人、そして魔界を代表して皆様――魔王の方々によって、聖戦は執り行われます。千年前の第一回聖戦から時を経て、今回で十回目。皆様の健闘をお祈りしております」

「へー、もう十回目か」

「……時が経つのは早いものだ」


 輝の魔王が言葉少なに発言する。そんな彼の言葉に触発されたのか、他の魔王が放つ雰囲気が一変した。

 怒り、屈辱、恨み。そのような負の感情が、ニエルの肌にピリピリと伝わる。前々回、前回に味わった敗北の苦汁。それを思い出しているようだった。

 そしてニエル自身も、過去の出来事が脳裏に過る。偉大なる大魔王、そして兄。失われたものを取り返す為に鍛錬に明け暮れた日々。全てはこの日の為。その誓いを静かに再燃させる。


「第一回から第七回まで私たちの圧勝。神の顔に泥を塗った輝かしい栄光の歴史だ」

「あぁ、違いない」

「しかし……第八回から前回と、私たちは連続で苦汁をなめさせられている。次、そんな事があってはならない。今回で借りを返す…………絶対にだ」


 銀の魔王が静かに言う。しかしそこには、魔王の誇りと神に向けられた怒りが滲み出ていた。他の魔王も同調する。


「よーし、仇は取ってやる! だからオレ様にやらせろ!!」

「えー、今回はボクに譲ってよ」

「ダメだダメだ、お前ら。オレがムカつく奴ら全員ぶっ飛ばしてやるから、ここで大人しくお留守番でもしとけ」

「……留守番をするのはお前だ、リヴァイア」


 銀の魔王以外が、口々に名乗りを上げる。皆、聖戦での屈辱を晴らしたいのだろう。そして高い所から嘲笑う神に、人泡吹かせてやりたい。そんな思いが込められているようにニエルは感じた。

 だがその思いはニエルも同じ。ここに座っているのは、七大魔王だからというだけではない。聖戦で借りを返す準備は出来ているつもりだ。だからニエルも勇気を振り絞って意志を伝える。


「あの……! ぼ、僕にもチャンスを下さい」


 静まり、ニエルに視線が集中する。

 突き刺さるような冷たい視線。蔑むような嫌な視線。同情のような哀れみの視線。あらゆる視線を一挙に浴びる。

 自分が一番の新参者であるのは自覚している。

 しかし二百年前に味わった絶望感。百年前に味わった喪失感。それを晴らすには、聖戦という舞台しかない。

 聖戦……それは百年前、聖戦に魔界代表として参加した兄を失った場所。ようやく七大魔王となったニエルにとって、これはまたとないチャンスなのだ。


「……ニエル。ただの復讐ならやめておけ」

「!」


 隣に座る黒の魔王が呟く。顔は前の燭台を向いたまま。相変わらずその表情は読めない。

 しかしやめておけと言われて、そのまま食い下がるような軽い動機で口走った訳ではない。ニエルは玉座から立ち上がって答える。


「復讐……確かに、そうかもしれません。僕は百年前……聖戦で兄を失いました。今も第十階層にある無限獄に囚われています。でも僕は――」

「失ったのは貴様だけではない」

「……!?」


 銀の魔王がニエルの言葉を遮った。第九階層コキュートスを彷彿とさせる凍てつく睨みが、ニエルの全身を強張らせる。


「二百年前、私達は聖戦で初めて敗北を経験した。その時に失ったもの……それは魔界を象徴する赫の魔王であり、唯一無二の偉大な大魔王――サタン。彼もまた、無限獄ジュデッカに囚われている」

「……知っています」


 赫の魔王。それは、他の魔王とは一線を画す強大な力を司っている。故に、赫の魔王因子を持つ者は七大魔王――ひいては魔界全体の象徴として、あらゆる者に畏怖されてきた。

 ニエルの兄もまた、赫の魔王因子を受け継ぐ者。大魔王サタンが聖戦に敗れた後、新たな赫の魔王として選ばれた。

 当時、十二魔王の一員であったニエルは、兄が得た栄光に心からの喜びと誇りを感じていた。ニエル自身も赫の魔王因子を受け継ぐ者と言われていたが、まだまだ未熟なニエルの瞳は”赫”ではなく”緋色”。


 優秀な兄と、未熟な弟。

 赫の魔王と、緋色の魔王。


 いつも周囲から期待されている兄と、蚊帳の外にいるニエル。いつになっても兄と比較される日々が続く。

 しかしニエルは自分の事などどうでもよかった。偉大なる大魔王サタンと同じ、赫の魔王となった兄。それだけがニエルにとって唯一の魔王としての誇り。

 兄が赫の魔王であるならば、自分は魔界最弱でいい。そんな風に思っていた。しかし――


「私達は勝たねばならない。赫の魔王が存在しない今、その責任は重い。それでもなお、貴様はチャンスが欲しいというのか?」

「…………はい」


 ニエルの言葉に、銀の魔王は小さなため息で応えた。それが肯定の意味かどうかは読み取れない。

 数秒かの重苦しい沈黙が続いた。その時、翠の魔王が不満げに声を漏らす。


「ちょっと待ってよ。おかしくない?」

「……何がだ?」


 ギロリと睨む銀の魔王の問いに臆す事なく、翠の魔王は続ける。


「赫の魔王がいないなら、ぶっちゃけ誰が聖戦に出たっていい訳っしょ? なら公平に決めないとおかしくない?」

「確かに、ヴェルフの言う通りだ。オレ様もコイツの意見に賛成!」

「でも……公平ってどうやって決めんのよ。まさか、今ここでくじ引きでも引こうってんのか?」


 蒼の魔王の言う通り、公平という観点からするとくじ引きでもアリかもしれない。しかしそれは、この場にいるのが全員――の話だ。

 魔界の代表として聖戦に赴く強者を、くじ引きのような運で決められる訳がない。

 魔界は弱肉強食。強き者が正しく、弱き者は何も得ない。

 そしてこの場にいる者すべてが――自分が正しい、と信じてやまない者ばかりだ。


「はははっ、まさかぁ。くじ引きなんかより、もっと簡単に決める方法があるじゃん」

 

 翠の魔王は屈託のない笑顔を見せる。しかし直後に放った彼の言葉が、無間にいる全員を凍りつかせた。


「この中で一番強い奴が聖戦に出る。それでいいよね? まぁ、勝つのは――――ボクだと思うケド」

「……!!」


 ニエルは唖然とした。翠の魔王このひとは一体何を言っているのだろうか、と。最後の一言は間違いなく余計だ。この場で全方位に喧嘩を売るような真似をして、他の魔王が黙っている訳がない。


「てめぇが――誰に勝つって?」


 案の定、菫の魔王が長机に拳を打ち付け、怒りを露わにした。ブチブチと血管が隆起していく上半身裸の威圧感に、ニエルは少しだけ鼓動が跳ね上がった。


「もっかい言おうか? 勝つのはボクだ」

「てめぇ――」

「――やめろ」


 拳に力を込めかけた菫の魔王を声で制止したのは、玉座にじっと座ったままの輝の魔王。腕を組んだまま、正面で立っている暴君に睨みをきかす。


「お前たち……ここがどこか知ったうえでの行動だろうな?」

「けっ、そんなの知るかよ。なんなら……アンタもここでぶっ飛ばしたっていいんだぜ?」

「ほう…………」


 輝の魔王が放つ雰囲気が変わった。長机を挟んだ彼らの空間が歪んで見えるほど、重く張り詰めた空気。次、どちらかの発言内容によっては一瞬で拳と拳が錯綜するであろう紛れもない予感。力量差なのか、それとも別の何かか――――ニエルは彼らの挙動をただ見る事だけしか出来ず、一歩も動けない。


「アモン、アスラデウス……そこまでだ。これ以上の諍いは魔王の品位に関わるぞ」

「……ちっ」

「…………ふん」


 銀の魔王からの仲裁。両者とも不満げに腕を組んで、ひとまずは矛を収める。しかし腹底で煮え滾っている激情はすぐに鎮火せず、鼻息から漏れているようだった。

 そして場の空気が落ち着いた頃合いを見計らい、銀の魔王は宣告者に向かって問いかけた。


「確認だ、宣告者。今回の聖戦は前回と同じく、代表者一名ずつによるものか?」

「現時点でそれをお答えする事は出来ません。聖戦の形式は、開始十二時間前に神によって決定されるものなので」

「ふん……愚かな神の事だ、どうせ前々回から続く形式になるに違いない。……となると、やはり今回も代表者を一名選んでおかねばならないか」

「あの……以前は違ったんですか?」


 ニエルは銀の魔王に尋ねる。七大魔王として経験が浅い為、ふと湧いた疑問だ。

 他意はない。ただ、銀の魔王にとってはあまり面白くない質問だったのだろう。垂髪の奥で呆れたような表情が垣間見えた。


「当初、聖戦は七対七対七の勢力戦だった。絶大な力を持つ赫の魔王を筆頭に、私たちは毎回勝ちを重ねていたが、神はそれを良く思わなかったのだろう。前々回の聖戦開始直前、神は急に聖戦の形式を変更してきたのだ。一対一対一の代表戦にな」

「それで……赫の魔王は負けたんですね」

「あぁ。しかも神の御使いである天界ではなく、あまつさえ私たちに劣る人界の代表に」


 ニエルは以前、兄から聞いていた話を思い出す。

 人界を代表する七賢人の一人である勇者が、赫の魔王を倒したと。その力は凄まじく、神の生まれ変わりだったのでないかと魔界ではしばらく噂になった。その真偽は定かではないが、赫の魔王が人間に負けたのは事実。その衝撃が今もなお、ニエルを含めた魔界に住まう全ての者に深い傷を残している。


「そして前回は天界の勝利。神は味を知ったに違いない。一対一なら私たちに勝てると」

「あぁー、思い出したらムカついてきたぜ」

「リヴァイア先輩……気持ちはわかるけど、いくら隣にいるからってボクのほっぺをつねるのはヤメてよ~」

「――で、ルシフェル。じゃあ結局どうするんだ?」


 蒼の魔王が翠の魔王の柔らかそうな頬をつねりながら尋ねる。

 皆の視線が銀の魔王に集まる。そして、それは告げられた。


「聖戦開始二十四時間前…………それまでに代表者を一名決める」


 二十四時間前――――つまり、今から七十二時間以内。

 三日の間でどうやって代表者を決めるのだろうか。仮に三日あれば、この無間で濃密な議論が出来る。魔界を代表するのであれば、誰もが納得できる者でなければいけないはずだ。経験は浅いが、赫の魔王因子を受け継ぐ自分ならきっと皆も認めてくれる。ニエルがそこまで思った時、銀の魔王が放った言葉に身を固まらせる。


「形式は問わない。七十二時間後、無間にいる者。その一人が今回の聖戦代表者だ」

「……!」

「それって……ってもいいって事だよな?」

「形式は問わない、と言ったはずだが?」


 空気が変わった。殺気がこの部屋に満ち溢れているようだった。

 ニエルは立ち尽くしたまま、息を呑む事しか出来ない。


「異論は――――ないな。では、ひとまず解散とする。そして……全員が無間を出たら開始だ」


 その言葉の後、無言ですぐに部屋を後にしたのは黒の魔王。

 横を通り過ぎていった際に彼の三白眼と目が合ったが、特に何も発する事なく足早に姿を消した。


「せっかくの機会だ、みんな楽しもうぜ。じゃ、また後でな」

「さてと……ボクも行こうかな。お先~」


 蒼の魔王に続き、翠の魔王も無間を後にする。

 これから魔王同士で戦いが始まるかもしれないというのに、やけに軽い挨拶だ。それが彼らのいつも通りの振る舞いなのだが、今回はかえって不気味に感じる。


「くっくっく! オレ様の実力、見せてやるぜ……!!」


 そして次に玉座を立ったのは菫の魔王。

 誰に言うでもなく、まるで独り言のように口にする。漲る自信は見ていて羨ましいと感じるほどだった。


「……では、我も失礼する」


 輝の魔王も席を立った。

 巨体に似合わず静かな振る舞い。菫の魔王とは対照的だった。腕や足首につけた鎖の音だけを鳴らしながら、無間から出ていく。

 残っているのはニエルと、未だ玉座に深く座る銀の魔王だけだ。

 ニエルは気まずそうにチラリと様子を窺う。


「……どうした?」

「い、いえ。なんでもありません」


 いつまでもこの場にいてもしょうがない。時間は刻々と過ぎていくだけだ。碧色の髪をした宣告者を横目に入れながら、ニエルは逃げるように扉に向かう。

 すると、扉に手をかけようとした時に背後から声をかけられた。その声の主は一人しかいない。


「ニエル。聖戦に出たいのなら、実力を示すしかない。貴様も七大魔王であるならば、その意味が理解できるはずだ」

「……はい」

(甘かった……。もう争いは避けられない。僕は七大魔王……皆に認めてもらう為には、強さを証明しないといけないんだ……!)


 後ろを振り向かずに答えたニエルは無間を出る。

 入ってきた時の一歩よりも力強く、決意に満ちた一歩。暗闇に浮かぶ緋色の瞳は、篝火のように静かに燃え上がっている。


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