1.緋の魔王

 聖戦開始まで――――九十六時間と十分前。



 緋色の髪を揺らす魔王は、白い息をぜぇぜぇと吐きながら第九階層最奥部を目指していた。

 彼が目指すそこは、百年に一度、七日間のみ扉が現れる絶界の空間。外部からの干渉を一切受けず、室内は限りない常闇に包まれている。そして魔界に存在する十二の魔王の内、選ばれし七大魔王のみが入室できる部屋。名を――――無間むけん

 室内中央には強魔石で出来た長机と、七色の明かりを灯す燭台。そして七つの玉座のみが置かれた簡素シンプルな部屋だ。


(くそっ……こんな事になるんだったら、前もって他の魔王様にちゃんと場所を聞いておくんだった…………!!)


 雪風巻ゆきしまきが吹き荒れる中、緋色の髪の魔王は目を細くしながら真っ直ぐに突き進む。

 彼は七大魔王の中では最も若く、最も浅く、最も未熟だ。百年前……七大魔王に欠員が出た際に、突き上げで魔王となった経緯がある。故に「無間」へ行くのは今回が初めてだった。

 あかの魔王因子を受け継ぐ者――ニエル。それが、緋色の髪をした魔王の名だ。


(ん……? これは…………!?)


 ニエルは深雪の上に僅かに残る足跡を発見する。

 足跡は小さい。子供だろうか、それとも女性だろうか。少なくとも、他の魔王たちではない事は確かだ。こんな吹雪の中、偉大な魔王彼らがわざわざ身を凍らせながら無間に向かうとは思えない。もちろん、自分は例外だ。


(もしかしたら誰かが遭難しているのかもしれない……もしそうなら、こんな極寒の中じゃきっと………………!)


 早くしないと降り積もる雪に足跡が隠れてしまう。ニエルはすぐにその足跡を追い始めた。緋色の王威外套マントが風雪になびく。もしかすると約束の時間に間に合わないかもしれない――そんな逡巡は一瞬だった。

 しかしここは、ニエルが担う階層ではない。第九階層コキュートス――しろがねの魔王ルシフェルが鎮座する魔界の深層。現在の七大魔王の中で、最も高い実力と権威を持つ偉大な魔王が治める地。

 つまり第九階層ここは、他人の領地。ここで誰が死のうが、第一階層をあずかるニエルにとって知った事ではない。むしろ余計な干渉は避けるべきだ。

 しかしニエルは進む。この足跡の先で助けを待っている者がいるかもしれない。七大魔王となったニエルには見てみぬ振りは出来なかった。


(うっ……そろそろ手足の感覚がなくなってきた…………さすが第九階層。僕のいる第一階層とは環境がまるで違う…………でも……!!)


 かじかみ、赤く腫れた指先。白地で裾の長い薄手のシャツに、ゆったりとしたシルエットの鉄色のズボン。肩には王威外套マントを羽織ってはいるが、そんな軽装で第九階層に入る者はただの無知か、或いは強者しかいない。ニエルがそのどちらかは言うまでもないだろう。


(しょうがない……少しだけなら…………)


 ニエルは心に宿った後ろめたさを消すように、歯を食いしばる。

 魔王にはがある。血管のように体中を駆け巡る魔王因子。それは魔界に存在する十二の魔王それぞれが持つ、魔王の証明だ。

 そして魔王因子には色がある。その色は瞳と髪色に強く表れ、魔王を象徴する異名にもなっている。


(魔王因子…………ちょっとだけ解放!)


 ニエルの持つ魔王因子が緋色に昂ぶる。

 手先、足先、そして顔面。血管のように浮かび上がる緋色の脈紋。瞳と共に、鮮やかに光った。

 すると、全身から蒸気がゆっくりと沸き立つ。それはすぐに周囲の凍気に冷やされるが、ニエルの全身は熱を帯びたままだ。動く度に足元の残雪も解け、僅かに動きやすくなる。


(よし、これでちょっとは動けるようになった……! 早く向かわないと……!)


 再び足跡を追う。降り積もる雪によって、その痕跡はほとんど残されていない。雪の沈み、積もり方、雪質の違い。そんな僅かな痕跡を頼りに銀世界を進む。

 この先に何者がいるかもわからない――――この行動がそもそも無駄だ――――それよりも約束の時間までに無間に向かわないと――――そんな事はわかってる――。


 理性と感情が交差する中、ニエルは足を止めた。

 視界の先に一つの扉を発見したからだ。新雪に似た白い扉。しかしそれはまるで、ぶ厚い堅氷のように見える。

 ふと、ニエルが視線を落とす。これまで辿ってきた足跡は、あの扉へ向かって続いていた。


(もしかして……あそこに…………?)


 あの扉が”無間”に続いているのかどうかはニエルにはわからない。なにしろ無間に行った事もなければ、七大魔王になって初めての招集だ。

 しかし高まる好奇心は治まらない。その扉の先に何が待っているのか。足跡の正体は誰なのか。ニエルは誘われるように扉を目指した。

 

 氷水晶のような持ち手にニエルは手を触れる。氷かと思われたそれは、実のところただの鉱石だった。これがもし氷であったなら熱を帯びたニエルの手ではうっかり溶かしかねない。

 少し安堵したニエルは持ち手をぎゅっと握り、ほんの少しだけ扉を押す。僅かな隙間から垣間見えたのは、暗黒だった。それを見たニエルは、今になってようやく躊躇いの気持ちが心に宿り始める。


(ほ、ほんとに入っていいんだろうか…………)


 ほんの数秒。その場で立ち止まった。

 そして、奥から聞こえた声にニエルはハッとする。


「――――時間だ。早く入れ」


 その声の主に、ニエルは心当たりがあった。そしてそれが、自身に向けられた言葉なのは明白。

 銀の魔王がこの奥にいる。という事は――――。

 ニエルは扉を開け、足を踏み入れた。


 そこにいたのは、玉座に座る六人の魔王。

 そして――――碧色のポニーテールを揺らし、どこか驚いた表情で振り返った女性だった。







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