第69話 新たな日常

 蘇芳、そして雅と咲耶が挨拶を済ませ大広間から出るのを、黎明は杜若と共に待つ。そして上に戻る者達が廊下へ出たのを見届け、ふすまを閉める。今はただ、宮大工達が奏でる音のみが耳に届く。


「蘇芳様、どうしてなのでしょうか」


 疲労から頭が上手く回らないが、焦る気持ちで言葉がもれる。


「何が、だろうか」

「単様が術を発動したら捕縛してほしいと、頼んでいたはずですが」


 黎明に歩調を合わせる蘇芳を見上げる。雅・咲耶・杜若は若干離れ気味に、後ろに続いている。


「あの場で捕縛すれば、単様の霊力も封じ込められました。きっとその直前、自分の命は消えてしまう。それでもいいと、伝えたはずです。その後で、他の巻物は探せたはずですよね?」

「そうだな」

「では何故? そして先程伝えた蘇芳様の言葉も、違うじゃないですか」


 沈黙した蘇芳の返事を待てずに、更に問い続ける。


「自分が初めて蘇芳様とお会いした時、言っていましたよね?」


 思い出をなぞるように、呟く。


「『変えたいと願うなら、変えられる立場にならればならぬ。そして今、私はこうして相談役という地位に辿り着けた。確実に風向きを変える為に、常にその為に動き続けられるように。たとえ何を利用しようとも、虐げられる者がいない世界を実現する』」


 自分が蘇芳を選んだ理由を忘れるはずもなく、淀みなく言葉にする。そして最後も、告げる。


「『しかし、犠牲は最小限に留める』って。その後、理想であり綺麗事でもあると、笑っていました。なら、自分を犠牲にすればよかったじゃないですか。自分の命じゃ、お役に立てませんでしたか? それに、『どのような犠牲も厭わない』なんて、誤解される言い方です」


 黎明が思いの丈をぶつければ、玄関に辿り着いた蘇芳が足を止めた。


「犠牲を出した段階で、どちらの言葉も真実となる。誤解ではなく、間違いでもない。しかし私は、綺麗事を貫きたい。だからこそ、利用はするが命を散らす事など望んでいない」


 意外な言葉に、ただ蘇芳を見つめ続ける。


「誰の命も犠牲となる事がないよう、万が一の際は、全て私の責任として、私が終わらせる予定でいた。宴では、それを限界まで見極めていた。すると奇跡が起きた。それに救われただけの事」


 言葉を切った蘇芳が、戸を開く。


「今回、それぞれが生き長らえた。ならば今後も、命を大切にする他ない。黎明はここでそれを学べ。私達がいなくなれば、理想を求め動く者が減る。そして、他者に願いを任せるのは間違い。そうは思わぬか?」


 外から入り込んだ凍えるような寒さが、黎明を包む。しかし、穏やかに微笑む蘇芳の言葉に、胸が熱くなる。


「互いに、間違えたな。また間違わせる事もあるだろうが、呆れずに支えてほしい」

「……はい」


 返事をするので精一杯だったが、雅に後ろから声を掛けられ振り向く。


「今回の件は再度話し合うので心配ない。何より、私の家族とその大切な者まで利用したのには、納得がいかない」

「皆が犠牲にならない世界をと言いながら、自らが犠牲になろうとするなんておかしな話です。そこは反省を。生きようとするのが、本来の命の輝きでしょう? それを曇らす事のないように、生きなさい」


 雅に続き咲耶まで話し出せば、蘇芳がばつの悪そうに咳払いをした。しかしその言葉は、黎明へも向けられており、頷き応える。


「誰かの為と命を散らしたところで、誰も喜ばんぞ?」


 杜若かきつばたにまで諭され、居た堪れない気持ちを抱き、俯きかける。

 そこへ、蘇芳の声が届く。


「ここから先、華火の力を利用しようとする輩も出てくるだろう。上に立つ者がそう動く時が一番厄介だとも、今回の事で学んだはずだ。その経験を活かし、思惑を見極められるよう手助けしてやってくれ」

「……はい。必ずや、助けとなります。そして皆様からのお言葉、有り難く頂戴致します。今後はどのような時でも生きる道を選べるよう、精進します。ここの皆と、一緒に」


 黎明の言葉に、それぞれが微笑みを浮かべている。

 だからこそ、悪習を断ち、犠牲となる者がいなくなるようにと、自身の目標を再度胸に刻んだ。


 ***


 黎明の部屋も増え、訪問客が居なくなれば、あっという間に夜を迎えた。

 冬の静けさは自身の心音までも消し去るように、音を隠す。時が止まったような中で、華火は縁側から夜空を眺めていた。


 前に倒れた時も、こうしていたな。


 初めて自分の未知の力が発現した時は、皆との絆がしっかりと結ばれた。それが嬉しくて、眠れなかった。


 あの時は玄がふらりと現れて、皆も起きてきたんだったな。


 月見酒を楽しんだ夜を思い出し、頬が緩む。

 しかし、去り際の織部の言葉が浮かんだ。


『華火の力はやっぱり凄い。だけどな、あれを使い続けないでほしい』


 悲しみの中に苦しみも混じるような、揺れる織部の瞳が忘れられない。


 まるで神が降りたようで、あのままでいたらそのまま天狐になっていたかもしれない、か。


 織部は理由も話してくれた。それは華火にも心当たりがあり、納得せざるを得なかった。


 私自身も、天と繋がった気がした。だから天啓のような天候だとも思えた。

 それが私自身にも影響を及ぼすものだと、自覚する事ができてよかった。


 華火の身を案じ伝えてくれた友に、心から感謝する。


 織部も、これからだな。


 五ノ宮の相談役・枯野から、織部はまたも『今後も、お前のような者は心配せずとも、名が知れ渡る事はない』と言われたそうだ。

 しかし、『世の中、そう簡単に変わるわけではない。ならば、自身が変わるしかない』と、新たな言葉が加わったそうだ。

 これにより、今まで織部に言い聞かせてきた本当の意味がわかり、彼は更に吹っ切れたようだ。


 少しでも期待して織部の心が傷付かないようにと、敢えて枯野様が酷い言葉を吐かれていたとは。

 相談役に就く方の考えは、全くもってわかりにくい。


「共に、頑張ろうな」

「その言葉、誰に言ってるのかしら?」


 急な紫檀の声にびくりと肩を揺らす。

 本調子ではないからか、気配も感じられなかった。


「前の時みたく起きてるかしら? と思って来てみたけど、お邪魔だったわね」

「邪魔なわけがない」


 同じ事を思い出していた事実に、鼓動が跳ねる。だから手招きする。自分の気持ちに素直に動いた方が性に合うと、気付けたから。


「今は織部の事を考えていたんだ」


 帰られてしまうかと思ったが、紫檀が横へ並んでくれる。それを待ち、華火は話を続けた。


「織部ね。ねぇ、織部の事は何とも思わないの?」

「何とも?」

「ほら、胸がときめくとか?」

「織部は友だ。胸がときめくのは……、紫檀、だけだ」


 紫檀からの問いに答えれば、自身の言葉に身体が熱くなる。


「……藪蛇だったわね」


 しかし、それを聞いた紫檀の様子もおかしく、華火は下から覗き込む。すると、少しばかり視線を彷徨わせた彼が、目を合わせてきた。


「宴の前日、華火は気持ちを正直にぶつけてくれた。でも、あたしはそれに応えられなかった。だからね、言いに来たのよ」


 ちゃんと自分の気持ちは届いていたのだとわかり、それだけで嬉しさが込み上げる。

 だからどのような返事でも受け止めると、心に決めた。


「気持ちは、嬉しい。でもね、あたしは誰かを愛する事が怖いのよ。愛ってね、純粋すぎる程、心を狂わせるものだと、あたしは思ってる」


 揺れる紫檀の瞳は、やはりどこか遠くを眺めているようで、不安になる。目の前には自分がいるのに助けられないと、絶望を突き付けられる。

 しかし、紫檀の本当の声を途切れさせないよう、口は挟まない。


「その気持ちにけりがつくまで、誰の想いにも応えない」


 言い切った紫檀の藤色の瞳が、暗い色を含む。だから、手を取った。予想以上に冷たく、両手で包み込む。


「紫檀がそう決めているのなら、それでいいんだ」

「本当に?」

「当たり前だ」

「欲のないよね、華火って」


 自分の言葉にくすりと笑ってくれる。それだけで、華火はここに存在していた事を幸せに思う。それを感じ、勝手に口元が緩む。

 すると、紫檀の顔が近付いてきた。


「俺だったらきっと、こうして俺だけしか見えないようにしたくなる」


 不意に低い声で囁かれ、全身が一気に熱を帯びた。


「い、いや、もう、紫檀だけしか――」


 そう言いかけて、はっとした。


「そうか! 私には魅力も足りないのだな! 紫檀がいろいろと考えなくとも私だけを見ていたくなるよう、努力しよう。牡丹姉様や真空のように育つべき部分が育っていな――」

「少し黙んなさいな」


 背に手を回され、先程まで華火の両手の中にあった紫檀の指先が、唇へ当てられる。


「男ってやつは、惚れた女の全てが愛おしいと思う生き物だ。それこそ、骨の髄までだ。そこまで愛される覚悟が、華火にはあるのか?」


 華火の知らない何かが蠢く藤色の瞳の近さと、彼の吐息を感じるせいで思考が停止する。


「なぁんて、脅してみたり。あんまり男に幻想なんて抱くんじゃないわよ? 傷付くだけから。あっ、でもね、華火の身体はもう全部見てるし、そこは気にしなくていいのよ!」


 ゆっくりと離れた紫檀が、冗談めかすように話し出す。その最後の言葉に、華火は腰が抜けた。


「ちょっと、大丈夫?」

「……そうか。そうだったな。湯浴みをしてもらった事があったな」


 すぐに支えてくれた紫檀の顔がまともに見れず、それでも恥ずかしさから呟き続ける。


「……だからまぁ、責任は取るつもりだけど」


 華火の言葉に被せるように紫檀が消え入りそうな声で、何かを囁いた。


「……何を言ったんだ?」

「今はまだ、教えないわ」


 ふふっと笑ういつも通りの紫檀だったが、華火から手を離し、向き合うように立った。


「華火は覚えてる? 最初にあたしに宣言した事」

「宣言……。強くなりたいと、言った事か?」

「そうよ。『私を誇る父様、母様、姉様と兄様達へ顔向けできる統率者となりたい』って、はっきり言ったわよね。まずはそれを叶えなさい」


 見守るような眼差しの紫檀は、送り狐のまとめ役の顔をしている。そんな彼の言葉に、力強く頷く。


「約束する。そしてその言葉は、少しだけ変える」

「どう変えるのかしら?」

「私を誇る全ての者に顔向けできる統率者になる。今の私がいるのは、皆のお陰だから」

「そう。いいんじゃない? あたしはあたしから逃げずに啖呵を切った華火だからこそ、共にいるのよ。だから華火という統率者を、これからも見守っていくわ」


 言葉を交わし、想いを伝え合う。このような仲間に恵まれた事を奇跡に思う。

 すると、どこからか物音がした。


「なんかさぁ、起きたら眠れなくなったんだけど」

「だからって僕の所に来る事ないでしょ」


 木槿むくげと山吹の声がすれば、他の音も増えていく。


「やっぱ寝ると回復が早いよな! でももう眠れねぇ!」

「柘榴さぁ、今が何時だかわかってんの!?」

「白蛇が起きてしまうではないか。静かにしろ」


 元気な柘榴へ、玄が苛立ちを隠す事なく注意している。それらを嗜めるように、白藍の静かな声がした。


「……騒々しいぞ」

「もう痛みはありませんけど、私はまだまだ眠りたいのですが?」

「やー、皆さん元気ですねー」

「お前も元気すぎだろ」


 月白が珍しく不機嫌そうな声を出しているが、裏葉も負けず劣らずだ。そこへ、黎明の間伸びする声が混ざれば、青鈍の呆れたような言葉が添えられた。


「みんな起きちゃったのね。それならやっぱり、月見酒しちゃう?」

「いいな。体も暖まるし、やろう」


 今宵の月は爪で引っ掻いたような三日月だ。

 しかし、暗い空の隙間から少しでも光を下へ届けるような光景が、華火の目には希望の輝きのように映っていた。

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