第三章

第45話 不治の病

 入梅から少し経ち、新たな同居者達に必要な物もだいたい揃った。

 華火達の住まう社の中は広くなり、送り狐達の部屋の周りに廊下が追加され、その向こう側に青鈍達用の部屋が増えた。


「ほんとに、馬鹿ばっかよねぇ」


 炊事場まで届く皆の騒がしい声を聞きながら、割烹着に身を包む紫檀が笑う。その柔らかな表情に、華火の心臓は騒がしくなる。


 いったい私はどうしたというんだ。


 まるで浮かれた子供のようにそわそわとする自身に、華火は答えが出ないまま過ごしている。

 しかも紫檀にだけ、このような反応になる。自分の力を認められたのは嬉しいが、それをずっと引きずっているのが恥ずかしく、落ち着かない。

 けれども今日は昼餉当番の為、やむを得ず、同じ空間にいる。


「ねぇ、華火。ちょっと聞きたいんだけど――」


 顔を覗き込まれれば、紫檀の藤色の瞳に惹き寄せられる。途端、指がぴりっとした。


「あっ」

「急に話し掛けて悪かったわね」


 よそ見をしたせいで指を切り、包丁を落としかける。それを紫檀が難なく受け止め、華火の手を取った。

 そして迷いなく、紫檀は華火の指先を口へ含んだ。


「はい、応急処置! やーまーぶーきー!」


 にっこり笑う紫檀が大広間に顔を向けた瞬間、華火はようやく状況を理解した。それを合図に、全身の血が沸騰でもしたような熱が全身を駆け巡る。


 もしかしてこれは……。


 そして華火はある考えに辿り着く。


 病なのかもしれない。


 自身の身体がまた何かを教えるように騒ぐのはきっとそのせいに違いないと、華火は自分の心の弱さを不甲斐なく思った。


 ***


 華火は誰に相談したらいいのか、悩み抜いた。

 真空に話せば、彼女はすぐにでもこちらへ来てしまう。予言の事も解決しておらず、これ以上心配を掛けたくない。それにあちらは今後騒動に巻き込まれないよう、護衛もいる。だから下手に動く事をさせたくない。

 織部も同様だ。彼の場合、真空よりも危険が伴うので絶対に相談できない。竜胆は確かに強いが、数には敵わないだろう。


 姉や兄達は論外。今回、青鈍達を招き入れた事に激怒した為、ここへは来ないように言ってある。華火が決めた事ならばと、言ってはいた。だが、他県にまで探しに出ていた事実を知った為、顔を合わせれば大変な事になるのは目に見えている。

 両親からも連絡はあったが、また心配を掛けたくなく、自分の異変を伝える事ができなかった。

 そして今回の事は蘇芳と直接話し、一応納得したとの言葉は受け取っている。一応なので、何か考えがありそうではあった。


 ならば白蛇しかいない。

 それに、一度は妖へ変化を遂げた者。ならば、同族の繋がりもあるはず。

 大蛇おろちの妙薬は様々な種類があり、一時的に症状を抑えられるものもある。病の原因がわかれば、それらを栃に頼んで取り寄せてもらおうと考えた。

 ちょうどこの前、栃がこの社に来た時、『華火さん、男狐で困り事があったら、すぐ自分に言うて下さいね』と、華火の異変を感じ取ってくれたような発言をした。だから、心強い存在でもある。


 ここまでせずとも山吹に頼めばいいのだが、どうにも紫檀に知られてしまう気がして、男狐達に頼る事は端から考えていなかった。



「白蛇様、少しお時間を頂けますか?」


 昼餉を終え、本来なら外での鍛錬に移る。しかし梅雨時期で雨が酷く、蒸し暑い。雨粒は山吹の結界で防げるが、最近は中で各々出来る限りの鍛錬を積んでいる。

 それに今日は今後の事を話し合うべく、また大広間に集まる予定だ。


 そして天候が悪い時期は大広間が居場所となる白蛇を誘い、ふすまを開け縁側へ向かう。

 すると、硝子戸に打ち付ける雨音が激しさを増す。だからか、不安が押し寄せてきた。


『華火殿、わざわざ場所を移してまでどうされた?』

「……あの、私はどうにも、心が弱いようで……」


 気遣うような声色で話し掛けてくれる白蛇の優しさに甘え、華火は足を崩して座りながら、呟く。


『今何を思っているのか。上手く説明しようなどと気を回さず、まず、そのままの言葉を吐き出されるがよろし』


 弱々しい華火の声に合わせるように、白蛇が穏やかに囁いてくれてる。

 それが華火の目頭を熱くさせた。


「この前、天候を生み出せて、嬉しかった。それを褒められて、浮かれて。今、そのような状況ではないのに、ずっと、心がふわふわしていて。でもそれを、落ち着かせる事もできず、情けなくて……」


 溢れそうになる涙を急いで袖口で拭けば、白蛇の笑い声がした。


『それは情けなくも何ともない。思う存分、浮かれましょうぞ』

「けれど、まるで子供のようで……」

『子供のように浮かれて何が悪い? むしろ、子供のように浮かれる事こそが、華火殿には必要な事のように思えますが?』

「それは……」


 白蛇の言いたい事が伝わる。感情を抑える事に慣れてしまった自身の癖を心配されているのだろう。

 けれど、それでも言葉が溢れてくる。


「でも、それで、紫檀と話したり、触れられたりするだけで、胸が騒がしくなるんです。これは心の病、でしょうか?」


 ようやく打ち明けられたが、華火の気持ちは沈んでいく。

 しかし白蛇がちろりと舌を出したのが見え、彼と目を合わせた。


『紫檀殿だけにか?』

「はい……」


 前は紫檀と話しても、寝惚けて抱き寄せられても、平気だったのに。


 思わずその時の事を思い出せば、自身の頬が熱を帯びたのを感じた。


『ほほっ! 華火殿、それは不治の病ですな』

「不治!?」


 紫檀を思い出しただけで身体が変化し、焦る事しかできない。なのに白蛇が不治の病などと絶望的な言葉を伝えてくるから、思わず大きな声を出してしまう。

 幸い、雨音は激しく、まだ大広間に残る男狐達へは聞こえていないはずだ。


『そうか。華火殿は紫檀殿を選ばれたのか』

「選ぶ?」

『ふふ。他の者と比べて、どのような変化があるのか。それをじっくりと考えてみるのがよろし。そうすれば、自ずと答えが見付かりますぞ』

「他の者と比べて……。それがわかれば、不治の病でも対処できますか?」

『それは華火殿次第、と言ったところですな』


 私次第……。ならば、今すぐ動かねば。


 白蛇からの助言を活かす為、華火は立ち上がった。

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