第49話 ガーデンパーティー
舞踏会から二日後。
うららかな日差しに恵まれたその日、ハイマン邸は多くの来客でにぎわっていた。
急な誘いであったにも関わらず、招待状を出したほとんどの商家が顔を出してくれた。
王家に連なる公爵家と繋がりを持ちたいという下心もあっただろうが、不正に入手した高級茶葉で商いをしようとした悪徳商会を告発した令嬢がいかなるものか、確かめてみたいという好奇心も大きかっただろう。
そんな彼らが遭遇したのは、出会い頭から珍妙な訛りと飴ちゃん攻撃を繰り出してくる、明るく気さくな性格のブサ猫顔の少女だった。
「どうもどうも、初めまして。ベイルードでブサネコ・カンパニーっちゅー会社をやらせてもらってます、ジゼル・ハイマンと申します。お近づきのしるしに、飴ちゃんどうぞ。金貨に見立てたハチミツ飴です。賄賂ちゃいますから、安心してお持ち帰りくださいねぇ。お嬢さん方には、このバラの形した飴ちゃん。本物のバラの花びらを使うてますから、とってもええ匂いがしますんや。美容にもええんですよ」
一般人が想像する、あるいはこれまで商人たちが相手にしてきた貴族令嬢とは、一線を画するどころか想定範囲外の存在で、その衝撃は計り知れないものだったと思われる。
だが、人見知りせず立て板に水のごとくペラペラと話し、自分のペースに引き込んでいく大阪のオバチャンのパワーは、商人としては一目置かれることになる。
商談は一にも二にも、先に話の主導権を握った方が有利だ。
それに、平民でも貴族でも分け隔てなく愛想よく振る舞い、身分を傘に偉ぶることもないジゼルは、多くの来客に好印象を与えた。
のちに王都中心街でも“飴ちゃんのお嬢様”と呼ばれ、親しまれることになるが……それはともかく。
今回の催し物は気兼ねなく楽しんでもらえるよう、格式ばった夜会ではなく、隅々まで手入れの行き届いた中庭とテラスを解放した、ガーデンパーティーが開催されることになった。
様々な仕様変更を余儀なくされて調整に忙しかったが、母や侍女頭の見事な采配のおかげで、すべて滞りなく終わった。
食事や飲み物を並べる大テーブルがいくつか置かれ、ところどころに休憩スペースを設けた、よくあるビュッフェ形式ではあるが……一部珍しいものがあった。
テントの下に組み立て式のかまどと鉄板がいくつか設置された、屋台にも似た調理スペースだ。
そこには公爵家で腕を振るう料理人たちが陣取り、一人一人の注文に合わせて軽食やスイーツをその場で作り、盛りつけて振る舞っている。
現代日本のホテルで行われるビュッフェでは、シェフ自らが調理を担当するコーナーは珍しくないが、この世界の大規模なパーティーで出される料理といえば、飲み物以外温かいものが出てこないのが普通だ。
それに、財のある商人たちにとって、プロの料理人が作った食事そのものは珍しいものではないが、こうした調理現場を見ることは少ないせいもあってか、来客たちは一様に驚いていた。
「まあ、ここでは出来たてのお食事がいただけますの?」
「はい。簡単なものではありますが、お客様の好みに合わせて、当家の料理人が調理させていただきます」
「それはいいな! では、半熟のスクランブルエッグや、茹でたてのソーセージもできるのかな?」
「ええ、ご用意できますよ。少々お待ちください」
「温かいスープもあるのね。少し体が冷えてきたからちょうどいいわ。でも、立食でどうしていただくのかしら?」
「こちらの小さなカップに入れさせてもらいますので、お茶と同じように召し上がっていただけます」
「ねぇ、このパフェって何?」
「小さなグラスの中に、生クリームや果物を入れた涼しげなお菓子ですよ。ここに並んでいる、お好きなトッピングを選んでください」
貴族の庭園には似つかわしくない設備に興味を惹かれ、あるいは湯気や煙に乗ったいい匂いにつられてやってきた客らは、テントの傍に控える使用人たちにあれこれ質問しながら、お品書きの黒板を見ながら注文する。
そして、プロの料理人たちの鮮やかな手並みに喝采を送りつつ、出来たての料理に舌鼓を打った。
「うふふ、パンケーキはやっぱり焼きたてが一番よね。果物のソースも温かくて美味しいわ」
「このオムレツ、中からトロッとチーズがとろけてる……絶品だ!」
「……ねぇ、あの右から二番目のシェフ、いけてない?」
「そうねぇ、確かにカッコイイけど、私の好みはその隣ね」
と、ところどころで料理の感想以外の感想も飛び交っているが……その手の話題が一番盛り上がっているのは別の区画だった。
「ちょっと何、あの使用人……すっごい美青年じゃない?」
「いっそ神々しいわね。本当に使用人なのかしら?」
「ひょっとして、こちらのご令息ではなくて?」
「いえ、ハンス様とは先ほど父とご挨拶しましたわ。そちらは残念ながら、婚約者の方と一緒でしたけど」
親の付き合いで来ている年頃の令嬢たちの視線を独占しているのは、大きなローストビーフの塊を切り分け、客に配っているテッドだった。
今日はトレードマークとなっている燕尾ジャケットではなく、白シャツの上から黒いベストとエプロンを着ている。他の給仕係と同じ服装ではあるが、だからといって周囲に埋没することはなく、地が無駄にイケメンなので何を着ても目立っていた。
「独身かしら……?」
「きっと独身でしょう、まだ若そうだし……」
「……ローストビーフいただきに行こうかしら?」
「その前にお化粧直しをしなきゃ……」
「あ、私も……」
こういうところに親と一緒に顔を出す令嬢たちの一番の目的は、もちろん商売ではなく貴族の嫁として見初められることだ。中には自立や実家への支援のために、侍女として雇ってもらおうと顔を売る者もいるが、あくまで少数派である。
自由恋愛が主流になりつつあるといっても、平民が貴族嫡男と結婚できるなど夢物語ではあるが、次男三男であれば実現可能なことであり、令息側も自立するだけの財や地位が見込めない場合、商家の令嬢と婚姻を結んで婿に入ることを望む者もいるので、お互い利害が一致しているといえる。
またそれと同じくらい、貴族の使用人との結婚を夢見る令嬢も少なくない。
特に家業を継ぐ人手は足りていて、よそへ嫁ぐことになる場合は、その傾向が顕著だ。
使用人ともなれば、自分たちと同じ平民出がほとんどだし、令息であっても爵位に無関係なスペア以下。普通に貴族令息を狙うより、はるかにハードルが下がる上に、貴族宅に勤めている以上教養の高いエリートなのは確実で、自慢できる伴侶になるのは間違いない。
おまけに、誰が見ても美男子と判断されるテッドは、適齢期の令嬢たちからすれば格好の獲物だ。白羽の矢が立つのは自明の理だ。
これがどこぞの令息なら「どうせ婚約者がいるんでしょ」といじけて終わりだが、使用人だったら「自分たちにもワンチャンあるかも」と思うのは無理からぬ話だ。
だが、彼女たちは知らなかった。
使用人として振る舞っているこの青年が、実はこの国の二大ボンクラ王子と噂される片割れであり、主として仕えているここの公爵令嬢の婿として内定してることを。
まあ、主自体がそのどちらも知らないことなので、当然のことではあるが――この罪作りなイケメン従者は、今日だけで何人もの無辜の令嬢たちのアプローチを、うさん臭い笑顔でバッタバッタと切り伏せていったのだった。
(……ホンマに、テッドをウチの傍におらさんでよかったわ……)
あえなく玉砕し、肩を落として去って行く令嬢たちを遠くから眺めながら、ジゼルは己の英断に安堵の吐息を漏らしていた。
今、ジゼルはあちこちに出向いては、名刺と飴玉を配り歩き、ブサネコ・カンパニーの名前を売り込んでいる真っ最中だ。
ただ挨拶するだけなら楽だが、乗合馬車に興味を示した人たちに小冊子を渡し、事業内容を説明していく過程もあるので、なかなか大変である。
一人では到底回しきれないと端から分かっていたので、領地からジェイコブを召喚して手伝わせているが、それでも息つく間もない忙しさだ。
先日の舞踏会でも、方々から声をかけられててんやわんやしたが、今回はこちらからグイグイ声をかけていかねばならず、気力も体力もごっそり奪われていく。
合間合間に小休止を入れてはいるが、商人たちの顔と名前を忘れないよう、暇を見つけてはこっそり氏名と似顔絵をメモに走り書きして、侍女たちに預けるという作業を挟んでいるので、正直まともな休憩になっていなかった。
貴族名鑑のような、姿絵付きの名簿があればよかったのだが、ないので自力で頑張るしかない。
なので、ぶっちゃけ、超がつくほど忙しい。
役員としても管財人としても優秀なジェイコブがいてもなお、猫の手も借りたいほどで、できることなら秘書も兼ねるテッドにもサポートをお願いしたかったが……彼がいては商談すら始まらない予感がして傍付きを外したのは、我ながら本当に英断だったと思う。
従者が可愛らしい令嬢たちを袖にしまくる現場を間近にするのも、こんなブサ猫がイケメンの主だと知られるのも、どちらも申し訳なさ過ぎていたたまれない。
特に後者は、のちに陰でどんな誹謗中傷が飛び交うか、分かったものではない。
女の嫉妬は恐ろしい。特に色恋が絡むと、身分差など関係なく災厄に襲われる。
身分差といえば、主従の恋愛も庶民にとっては大いに萌える展開であり、歳が近いゆえに下手な勘繰りをされて誤解されては困る。
こっちとら特別な好意がないのに、変な勘違いをされて嫉妬の牙を剥かれては、とんだとばっちりである。
(ウチの身の安全のためにも、さっさとテッドには身を固めてもらわんと……)
こういう場合、雇用主である父にお願いすべきなのだろうか。それとも主である自分がお膳立てすべきなのか。
今度侍女頭にでも聞いてみるか――と頭の隅で考えながら、さっきまで話に興じていた商人と別れを告げる。
客と一定の距離ができたところで、すかさず気の利く侍女たちが、飲み物とお菓子を持ってきてくれたので、次の戦いに備えて腹ごしらえをすることにした。
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