第46話  親衛隊、暗躍する?


 婚約発表の余韻が冷めぬうちにダンスの時間となり、フレデリックとバーバラのファーストダンスを鑑賞したあと、ジゼルも父と共に踊った。


 練習の甲斐あって足を踏むような真似はしなかったが、うっかり何度かよろめきそうになり、父に恥をかかせたのではとヒヤヒヤしたが、実際に彼は役得しか感じていなかっただろう。

 バランスを保つため慌ててしがみつくたび、彼はだらしなくデレデレしていた。時と場所をわきまえない親馬鹿ぶりを遠目に見ていた母が、夫に生温かい視線を送っていたりもした。


 しかし、そのどちらも、正確にステップを踏むことにだけ注力していたジゼルが気づくことはなく……また他の観衆から見とがめられることもなかった。

 ホールの中央で養父ルクウォーツ侯爵と踊るアーメンガートに、ほとんどの人間が釘付けだったからだ。


 彼女の優雅で洗練されたダンススキルもさることながら、豪奢なドレスが動きに合わせてキラキラと輝き、自然と目が奪われるのだ。

 運がいいのか悪いのか、侯爵がよくも悪くも凡庸な容姿をしているので、特に彼女の美貌が際立ったことも影響している。

 ある意味ドレスよりも立派な引き立て役として機能していたが……そんな悲しい事実はさておき。


「ご覧になって、アーメンガート様のお姿。素晴らしいダンスではないですこと?」

「本当、なんてお美しいのかしら……! きっと、厳しい妃教育の賜物ですわね」

「それにドレスが虹色に輝いていて、とても幻想的ですわ。まるでおとぎ話の妖精のようですこと……」


「素敵よね……このようなドレスを用意していただけるなんて、殿下だけでなく両陛下にも愛されているのですね」

「羨ましいですわ」

「あのようなお方が未来の王妃となられれば、この国は安泰ですわね」


 惚けたようにアーメンガートを見つめる人たちの傍で、聞えよがしのおしゃべりに興じるのは、ルクウォーツ侯爵が養女の支持者として根回し工作をした、下級貴族の令嬢たちだ。

 実家への援助や好条件の縁談を餌に抱きこみ、アーメンガートの社交界での地位を盤石にするための“下働き”をさせている。


 このように、男爵令嬢上がりの王太子妃に対して肯定的な意見をささやき合い、遠くから周囲に吹き込むのが主な仕事だが、他にも重要な任務も仰せつかっている。

 あたりを油断なく見回したあと、今度は声のトーンと音量を一段低くして、内緒話でもするようにコソコソと身を寄せ合う。


「それに比べて……ハイマン嬢はなんてみっともないのでしょう」

「ブクブク肥え太ってて、見苦しいったらありませんわ」

「おまけにダンスも下手で、まるで救いようがありませんわね」

「まったくです。三歳児でも、もっとうまく踊りますわ」

「ハイマン嬢が王太子妃に選ばれなくて、本当によかったです。あの方が国母の国なんて耐えられませんもの」


「――ねぇ、なんの話をしてるの? 僕も混ぜてほしいなぁ」


 突然気配もなく男性の声が割り込んできて、令嬢たちは飛び上がらんばかりに驚き振り返ると、そこにはハンスとロゼッタがそろって佇んでいた。


「ま、まあっ……ハ、ハンス様……」

「ビショップ嬢も……」


 ハンスはいつも通りに、人のよさそうな表情で笑っている……ように見えて、まとっているオーラは氷点下。ロゼッタに関しては、ギリギリ淑女として許される表情を取り繕っているが、般若覚醒一歩手前なのは一目瞭然だった。


 聞かれていた。間違いなく聞かれていた。


 この二人は、ジゼルを敬愛する者同士でファンクラブだか親衛隊だかを結成しており、アーメンガート派にとって要注意人物ツートップだ。

 それぞれの権力もさることながら、組織力もネットワークも強力で、どれだけ方々の催し物でジゼルのネガティブキャンペーンを行っても、あっという間に火消しされてしまう。


 別に本気でアーメンガートを崇めているわけではないし、やったことが報われない不毛さに嫌気が差し、すぐにでもこの派閥を抜けしたいと思うが、すでに引けないところまで来ている。


 元々家計が芳しくない家ばかりだったし、援助が打ち切られては暮らしが立ちゆかない。それに、賄賂で得たあぶく銭で贅沢の味を覚えてしまった今、かつての質素な生活に戻るなど拷問に等しい。

 たとえそれを我慢できたとしても、離反したことで侯爵からなんらかの制裁を受けたら、結局貴族としての地位を失うことになりかねない。男爵や子爵程度など有象無象の一部であり、簡単に切り捨てられる駒だという自覚くらいはある。


 ゆえに、渋々ルクウォーツ侯爵に従うしかなかったが……彼よりも敵に回してはまずい相手に露見してしまった。絶体絶命の危機だ。


「ご、ごきげんよう、お二方……」

「と、殿方にはつまらぬ、乙女同士の噂話ですので……」

「あ、そうそう! このたびはご婚約、お、おめでとうございます!」

「お似合いのカップルだと、わたくしたちの間でも評判ですわ!」

「では、わたくしたちはこれで……」


 令嬢たちはベラベラとまくし立て、その場からそそくさと立ち去ろうとしたが、すぐそばに待機していた親衛隊たちに退路を塞がれてしまう。


「な……なんの真似ですの?」

「君たちは確か、タリー子爵令嬢、トレス子爵令嬢、ヒューゴ男爵令嬢、だったね? 学園で何度か見かけた程度だけど、覚えているよ」

「ひっ……!」


 しっかり名前を言い当てられ、令嬢たちの顔から血が引き、喉の奥を引きつらせた。

 彼女たちはデビューしたての頃、彼の言う通り王立学園で開かれていたほぼ婚活目的の催し物で、ハンスに熱烈アプローチをしていた玉の輿狙いの肉食系令嬢の一員だった。


 押しても引いてもなびかないし、色仕掛けものらりくらりとかわすばかりか、隙あらば妹の自慢話ばかりしてくるハンスに、彼女たちは早々にターゲットを変更したので、すでに忘れられているとばかり思っていたのだが……現実は甘くなかった。


 名前が知られていなければ、どうにかしらを切り通して、この場を逃げ出せば終わりだったが、身元が割れている以上逃げの一手すら無駄だ。


「ああ。そのお名前でしたら、私も存じておりますわ。どこのどなたかまでは存じませんが、近頃困窮する下級貴族に、親切に援助してくださる方がいらっしゃるそうで……その御仁のおかげで傾きかけた財政が立ち直ったとか。ようございましたね」

「ひぃ……!」


 おまけに、宰相の娘から暗にルクウォーツ侯爵との関係を指摘され、卒倒しそうになる。

 もう詰んだ。おしまいだ。

 令嬢たちは言葉もなくガックリとうなだれたが、二人は彼女らにとどめを刺すことはなかった。


「私たちはあなた方のすべてを否定し、断罪するつもりはありませんわ。どこの誰を支持ししようと、どなたから賄賂を受け取ろうと、咎めるつもりも関与するつもりもありません。ジゼル様を悪しざまに罵ることは、個人的に許しがたいことですが……多少のことは社交界の因習として、受け入れねばならないでしょう」


「そうだね。ジゼルに直接危害を加えるなら別だけど、噂話程度なら僕たちで守ってあげられるし。それに、社交界は誰しも無傷ではいられない場所だ。いわれのない中傷や悪意とどう折り合いをつけて生きるか、ジゼル自身が学ばなきゃいけない部分でもある」


 この二人だけでなく家族も親衛隊の令嬢たちも、皆ジゼルが傷つくことなく健やかに社交界を渡っていけることを祈っているし、何かあれば全力で守る所存ではあるが――それにも限界があることを、薄々感じてはいた。


 ロゼッタのように、結婚を視野に入れる年頃の令嬢も増えた。他家に輿入れすれば自由は少なくなり、ジゼルとの接点も減る。

 騎士や軍人など嫁いだ相手によっては、社交界と縁遠くなることもあるし、子を産み育てる段になれば、優先順位も気持ちの上でも確実にジゼルは後回しになる。

 誰しもいつまでも彼女の傍にはいられないし、彼女を最優先にすることはできない。


 ハンスやロゼッタは家族として近い距離にいられるが、年月が経れば他と同じように、これまで通りジゼルを一番に動くことはできなくなる。

 両親とて先に逝くことは確実なのだし……伴侶候補テッドに今一つ信用がならないのも問題だ。


 職務には忠実だし、親愛程度の感情はあるようだが、何があっても彼女を守ってくれそうにない、いざという時にあてにならない、というのがハンスの見解である。


 なら、自分たちはただジゼルに迫る危険や悪意を排除することよりも、そこにどうやって対処するかを教え学ばせることの方が、本当の意味で守ることに繋がるのかもしれない……と、先日の集会で意見をまとめた。


 もしも以前のままだったら――勉強嫌いで天真爛漫なだけのジゼルだったら、そんな大胆な舵切りはしなかったが、今のジゼルは見た目よりずっと自立した大人だ。自分で自分を守る術を身に着け、たくましく社交界を渡っていくに違いない。


 だから今回、アーメンガート派の令嬢たちをこうして囲っているのは、糾弾するためではない。


「ロゼッタの言った通り、どこで何をしようと君たちの勝手だ。ジゼルと個人的な関わりを持つことも止めないし、暴力的な手段に出ない限り、訴えることも制裁を加えることもない。ハイマン家の名において約束し、仲間内にも徹底させよう。ただし、君たちの行動すべてが僕たちに筒抜けだということは、覚えておいて」


 なんのペナルティもないとはいえ、敵側の総大将にバレバレの嫌がらせをするなんて、自分の汚点を惜しげもなく晒しているのも同義で、あまりにも滑稽で不毛で……それでいて、針のむしろに座すような心地になる。

 物理的には無傷でも、精神的なダメージは計り知れない。

 そもそも、逐一行動を監視されているということだから、女性の身からすれば気味が悪くて仕方がない。


 さりとて、今ここで趣旨替えをしてもルクウォーツ侯爵の不興を買い、実家に悪影響が出るのは必至だし、そう簡単にハンスたちが受け入れてくれるとも思えない。


 八方塞がりだ。完全に詰んでいる。

 いっそここでとどめを刺してくれた方がマシな、寛大なようで残酷な裁きを下された令嬢たちは、アーメンガートのサポートは続行しつつも、ジゼルに対するネガティブキャンペーンからは、そっと手を引いたという。

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