第45話 レーリア効果



「わたくしも驚きましたわ。お元気そうでなによりですけれど……ビショップ夫人にすら黙っていたということは、レーリア様はよほど情報の漏洩を懸念していたのでしょうね。その意図するところはやはり――」


 グロリアの台詞を継ぎつつ、母がひとり言のように何か言葉を紡いでいたが、金管の高らかなファンファーレが響き渡り、かき消されてしまう。


「ミリアルド・イル・エントール殿下、アーメンガート・ルクウォーツ侯爵令嬢、ご入場ー!」


 高らかに発せられた声と共に、一際華やかな旋律があたりを支配すると、吹き抜けのホールの中二階のバルコニーから一組の男女が現れた。

 未来の王太子夫妻である。


 白地に金糸銀糸の装飾が施された、絢爛な盛装に身を包んだミリアルドは、顔立ちも体格も四年前に見た時よりも随分成長しており、ゲームに登場する姿とそう変わらない。

 アーメンガートも、まだ幼い雰囲気を残しながらも、同じ歳とは思えないほど大人びていて、清楚可憐な風貌の中から得も言われぬ色香が滲み出ている。


 彼女がまとうデビュタントドレスには、無数の真珠やダイヤモンドが縫い付けられていて、シャンデリアの明かりを反射してキラキラと輝いている。そこだけCGの特殊エフェクトでもかかっているみたいだ。

 王家が作らせたものだろうから、宝石市場では価値のないルースと呼ばれるくず石を使っているとは思えない。間違いなくアクセサリーにも使える一級品だ。それを惜しげもなく使用しているのだから、想像をはるかに超える、国家予算級の価格に違いない。


(あ、あれ、ナンボするんやろ……ウチやったら恐ろしいて、よう着ぃひんわ)


 養殖真珠も人工ダイヤモンドもない世界で、あの一着がいくらするのか。

 令嬢稼業より社長業がメインのジゼルは、相場を思い出しつつ脳内でそろばんを弾いたが……すぐに桁数が半端じゃなくなったのでやめた。


 もしあのドレスをアンと同じくらいにでも汚そうものなら、首が胴体から物理的にさよならしそうだ。

 他人事なのにゾッとする。


 だが、それを用意するだけの価値があることも理解している。


 これはアーメンガートの社交界デビューと、ミリアルドとの婚約発表を兼ねた、一大イベントである。

 ルクウォーツ侯爵家という後ろ盾があっても、アーメンガートが元男爵令嬢だというのは消えることのない事実であり、第一印象で周囲を完膚なきまでに圧倒する必要がある。


 令嬢にとってドレスは戦闘服というが、それは単純に意中の男性を落とすための道具である以上に、家格や資産を可視化したパラメーターでもある。

 高価で豪奢なものをまとうことで他者との格の違いを示し、同性同士のヒエラルキーの上下を決定するものでもある。


 ジゼルはそんなくだらないことにお金を使うなど、大変不毛だと思うのだが、そういう贅沢な無駄遣いで経済が回っているのだから、世の中帳尻が合うようにできているものだと感心してしまう。


(これやったら、アーメンガートの一人勝ちやな)


 公爵令嬢のジゼルでさえ、高級な布地を使っていても宝石は縫い付けていない。

 アンを含めたデビュタントらしい数人の令嬢も言わずもがなで、他の一般参加の令嬢も夫人も、もちろんあれほどの贅を尽くしたドレスを着ている者はいない。

 ジセルの試算では、あの一着だけで王都に屋敷を構えられる。それをポンと出せる貴族がいるなら、お目にかかりたいものだ。


 おまけに、爵位順に呼ばれるのがしきたりのデビューイベントで、公爵令嬢よりあとから侯爵令嬢が出てきたという演出により、王太子の婚約者として王族側に丁重に扱われていると、本命と目されたジゼルよりも格上であると、説明せずとも大々的に知らしめるつもりなのだろう。

 なかなか計算高い。


 だが……周囲の反応は鈍かった。


 二人を温かい拍手で迎えてはいるが、みんなどこか上の空というか、空気が浮足立っているというか――それを彼らも階上から感じているのか、少し訝しげな様子ながらも、拍手に応えるように笑顔で手を振り、仲睦まじそうに腕を組んでゆっくりと階段を降りてくる。


(まさか、あのお妃様のせいか?)


 何年も公の場に姿を見せていないレーリアが、予告も先触れもなく現れたばかりか、ジゼルと話をするだけのために登場し、用が済めばさっさと去って行った。


 おそらくあの二人は、入場の位置からしてレーリアの飛び入り参加を知らない。

 そもそも、呼ばれる直前まで人目を避ける位置でキャッキャウフフとイチャついていたので、会場のざわめきすら耳に入っていなかった、というオチもつくのだが、今はどうでもいいことで。


 予想外の出来事に呆気にとられ、誰しもまだ正常な思考が戻っているとは言い難いし……禁色をまとうこの国の“正当な王妃”が祝福を授けたのが、一介の公爵令嬢で未来の王太子妃ではないという事実もまた、彼ら彼女らを混乱させていることだろう。


 貴族たちはみんな、アーメンガートが婚約者に内定していることだけでなく、長い間王太子の宮で暮らしていることも知っている。

 いかにミリアルドの実母であるバーバラと、日頃から懇意にしているとはいえ、四年も王宮内にいながらも正室レーリアとの交流をおろそかにし、この晴れの日に声をかける価値もないと思われているとなれば、アーメンガートの王族入りを快く思わない一派も出てくるだろう。

 特に、バーバラを支持しない層は要注意だ。


 無論、年若い令嬢だからと大目に見てくれる者が大多数だろうし、ここからいくらでも巻き返しは計れるが……ひとつ、彼女の経歴に消えない汚点が付いたことは否めない。

 それを時の流れと共に懐かしい笑い話に変えられるか、黒歴史として語り継がれてしまうかは、今後の彼女の努力次第だ。


(せやけど、なんでお妃様はそんなことしはったんやろ……殿下に甘やかされとるらしいアーメンガートを、谷底に突き落として鍛えるためやろうか? それとも――)


 ジゼルの立場からすれば、悪意を持って仕組まれたといえるこの舞踏会に、体を張って物申してくれたのか。


 だが、そんなフォローをしてもらえるほど、レーリアと接点があるわけではない。

 グロリアを通じて湯の花を献上したし、その効能で体の具合は随分といいようだが、それだけのことで病み上がりの体を押してまで、会場に乗り込んでくるとは考えにくい。


 突飛ではあるが、やはり前者の推測が一番しっくりくるか――と疑問を残しつつも自分を納得させているジゼルには、真実が見えていなかった。


 王宮内の独自の情報網と、不肖の息子からの報告で、アーメンガートらの企みを察知したレーリアは、即喧嘩を売られたと捉えた。

 なにしろ、いずれは嫁にもらうつもりの令嬢を、公の場で貶めようというのだ。

 いずれ義母となる身しては、黙って見過ごすわけにはいかない。


「ふははは! わらわの恩人兼未来の義娘むすめに手を出すとは、なんと愚かな!」


 と魔王のごとき邪悪な笑みを浮かべて、今回の策を弄したという。


 そういうやばい部分は二人の息子にも遺伝しているが、随分マイルドな度合いで発現しており、正室付きの侍女は安心しているとかいないとか。


 そもそも、彼女は正妃というお堅いポジションにいながらも、面白いことや突拍子もないことを好む型破りな人物でもある。時代がかった口調もその一端だ。


 ただ未来の義娘を助けるという意味合いだけではなく、病を緩和させたという恩義も、もちろん感じている。

 しかしそれ以上に、貴族令嬢という枠にとらわれず活躍するジゼルを好ましく思っていたからこそ、自ら乗り出して場をかき乱すトリックスターを演じたのだ。


 そんな舞台裏を知らないジゼルは、微妙な空気に包まれた会場へと降りてくるカップルを、周りに倣って拍手しながら目で追っていた。


 その後、二人は赤絨毯の上を歩いて両陛下の元へ向かい、深くこうべを垂れる。

 アーメンガートもジゼルが行ったような形ばかりの宣誓を行い、フレデリックの口からミリアルドの婚約者であることが告げられ、再び会場内には拍手が沸き起こる。


 その頃にはレーリアのもたらした激震は薄れ、少しずつ元の温度が戻りつつあったが……彼らが当初予定していた効果が十分に得られなかったことは、言うまでもない。

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