第44話  招かれざるサプライズゲスト

 アンたちを見送ってまもなく、ジゼルにも声がかかった。

 ひと息つく間もなく侍女から水だけ一杯もらい、別ルートで会場へ向かう母とはその場で別れ、父にエスコートされて長い廊下を歩く。


 アンの相手をしたことでいい意味で気が抜けて心に余裕はできたが、大勢の見守る中、最高権力者である国王夫妻と拝謁するのだから、緊張が皆無になるわけではない。

 会場である大広間と廊下を遮る分厚い扉を前に、ジゼルはゴクリと唾を飲み込んだ。


「大丈夫だよ、ジゼル。ただお行儀よく挨拶して、陛下からのお言葉を賜るだけだ。ダンスも何度も練習して完璧だっただろう? それより、ご馳走のことを考えていたらどうだい? 毎年新メニューが出てくるから、お父様も楽しみにしているんだ」

「お、お父ちゃん……ウチはそないに食いしん坊とちゃうで?」


 緊張をほぐしてくれようとしているのだろうが、そんなに食い意地が張っていると思われているのは心外だ。

 いや、人並み以上に張っているからこそ、このむっちりボディがいつまで経っても改善されないのだが……今は緊張とコルセットで胃が圧迫されているので、食欲もかなり減退している。


 新メニューという響きは女子として気になるが、あまり食べ物について考えたくない状態だ。

 しかし、父は意に介さずカラカラと笑う。


「なに、恥ずかしがることはないぞ。なんでも美味しそうに食べるジゼルは、世界一可愛いからな」


 そんなダイエットサプリのCMみたいなことを言われても、とつい半眼になるが、そうこうしているうちに、あちら側からジゼルの名を読み上げる朗々とした男性の声が聞こえてきて、分厚い扉が音を立てて開く。


 細い隙間が生まれた瞬間、煌々と輝くシャンデリアの光と、優美な旋律が漏れてきた。

 そこから徐々に、荘厳ともいえる内装と、これから歩む真紅の花道が見え、やがて着飾った紳士淑女たちの姿が立ち並ぶ。

 眼前に広がるおとぎ話のように煌びやかな世界に、視覚も聴覚もキャパオーバーしそうになるが、こんなところで怖気づいているわけにもいかない。


「さて、行こうか。ジゼル」

「うん」


 差し出された父の手を取ると、音と光の洪水へ向かって、ゆっくりと小さな一歩を踏み出した。


 緊張と高揚感で胸がドキドキと高鳴り、頭がクラクラする。

 淑女らしい微笑みをキープしつつ、ふらつかないように歩くのが精一杯で、周囲に意識を向ける余裕もなかったが、おそらくそれが正解だった。


 家族とロゼッタを始めとした親衛隊の令嬢たちが最前列に陣取り、「尊い……!」とそろって感嘆の吐息を漏らしていた様を見たら、ドン引きしたことだろう。

 実際にその周りにいた者たちは、しっかりドン引きしていた。

 知らぬが仏とはよく言ったものだ。


 そんな学校行事にありがちな珍現象が視界外で展開されているのをよそに、ジゼルは何段も高いところにしつらえられた玉座の前に、寄り添うように並ぶ国王夫妻に目を奪われていた。


 一人はエントールの現国王フレデリック・イル・エントール。

 白銀の髪と群青の瞳はまごうことなきミリアルドの父親であるが、軍人然とした四角く厳めしい顔つきをしている。ファーのついたマントを羽織ると王としての威厳が倍増するが、息子とは顔立ちはあまり似ていない。


 その隣にいるのは、王太子の母として、病に臥せりがちな正室の代役として、現在王妃と同等の権力を持つ側室バーバラ・エントール。

 情熱的な赤毛とは裏腹に、怜悧な光を宿す灰褐色の瞳の持ち主で、ミリアルドが彼女に似たのは間違いない。


 畏まった式典の割には妙に近い距離感のこの二人、一説によれば若い時分から恋人同士であったものの、身分差によって結婚が許されなかったらしい。

 フレデリックがレーリアと政略的に結ばれ、第一王子が生まれたのちに側室として迎え入れられたバーバラは、持ち前の美貌と知恵を駆使して王宮での地位を確立し、正室の大病という後押しもあって、こうして愛する人の隣に立つ権利を得たという。


 波乱万丈とはこのことか……と考えていると、父が立ち止まってこうべを垂れたので、それに倣ってジゼルも膝を折って顔を伏せる。


「ジゼル・ハイマン。汝はこの国を担う尊き血を引く者として、いついかなる時も国民に尽くし、王家に忠誠を捧げることを誓うか?」

「……はい、誓います」

「よろしい。これより、汝を栄えあるエントール王国の貴族の一員として認める」


 形ばかりの短い儀式を終え、湧き起こる拍手にほっとするのも束の間。

 ゆっくりと顔を上げようとした時、おもむろに玉座の後ろから声が響いてきた。


「陛下。わらわからも一言、この者によろしいじゃろうか?」


 やけに時代がかった口調での問いかけと、そこから現れた人物が意外だったせいか、紳士淑女の間から驚愕のどよめきが広がる。


「レ、レーリア……!」

「な、何故こちらに……!?」


 国王夫妻も狼狽した様子であることから、完全に予定外のことだったのだろう。

 久しく表舞台に出ることのなかったはずの正室の名に、父もジゼルも驚いて反射的に顔を上げると、そこには露出の一切ない深い紫色のドレス――王家の血を引く者、あるいはにのみに許された色をまとう、謎めいたの女性がいた。


 元の色が分からないほど真っ白な髪と、顔の上半分をすっぽりと隠す、色とりどりの宝石が散りばめられた仮面をつけており、不気味でありながらも神秘的な雰囲気を放っている。

 病の影響で、顔や体のいたるところに疱瘡ができたと聞いたことがあるので、肌を隠すようなドレスと仮面が必要なのだろう。


 レーリアは長らく臥せっていたとは思えないほどしっかりとした、それでいて優雅な足取りで玉座へ上る。


 彼女と懇意にしているグロリアから、湯の花を使った入浴をするようになってから、具合が以前よりよくなったという報告を受けおり、ついこの間もポルカ村から送られていたものをいくらか譲ったところだが……これほど回復しているとは予想外だった。

 今日はたまたま体調がいい日なだけ、というオチかもしれないが、それも湯治の効果の下地があってこそだろう。


 温泉の効能に感心するジゼルをよそに、レーリアは自然な流れでフレデリックの傍に立つ。

 夫婦仲はともかく事実上彼の正妻なのだから当たり前のことだが、バーバラのように仲睦まじげに寄り添うことはなく、むしろ夫など添え物だと言わんばかりに一歩も二歩も前に出ている。


 かなり気の強い女性のようだ。

 グロリアとは”類友”なのかもしれない。


 レーリアは紅の引かれた唇で三日月型の弧を描きながら、来客たちを壇上から鷹揚に見下ろす。

 ゾッとするほど美しく、有無を言わさぬカリスマ性を感じる仕草だ。


「わらわはレーリア・エントール。知っての通り、手のつけようのない二人の愚息と、病でままならぬ体を持つ、形ばかりの妃である」


 予測不可能だった闖入者に、二の句が告げられず茫然と佇むばかりの夫婦を差し置いて、堂々とした振る舞いで言葉を紡ぐレーリア。


「このまま日の目を見ることもなく、宮の奥でひっそりと儚くなることもやむなしと思うておったが……ジゼル・ハイマンよりの献上品によってこの命を繋ぎ、こうして公の場に顔を出せるまでになった。礼を言うぞ」

「も……もったいないお言葉でございます……」


 国の名だたる貴族が集まる中、正室であるレーリアからお褒めと感謝の言葉をかけられ、ジゼルは頭が真っ白になり、喉がカラカラになったが、どうにかそれだけ絞り出して、父と共に頭を下げた。

 レーリアはそれを見ながら、ドレスと同色に染められた羽扇で口元を覆いつつ、喉の奥でクツクツと笑った。


「そう畏まらずともよい。わらわの恩人は、エントール王国にとっても恩人である。ところで、そなたの身に着けているストールじゃが、見慣れぬ柄をしておるのう。よい柄じゃ。近頃はそういうものが流行っているのか?」


 遠目にこれを花柄ではないと見抜くとは、どれだけ目がいいのか。俯瞰していると見えるものが違うのか。

 それにしても、ヒョウ柄をよい柄と評価するとは……雲の上の人にちょっとだけ親近感を覚えつつも、緊張に固まったまま言葉を紡いだ。


「い、いえ。たまたま入手した異国の獣の毛皮を元に、独自に作らせたものでして……もしお気に召されましたら、ご用命はレビナス・クロースへお願いします」


 つい癖で宣伝まで盛り込んでしまったが、レーリアは気にすることもなく「あの有名な仕立て屋か」と相槌を打ち「今度呼んで聞いてみるかのう」と続けた。


(ええ!? まさか、お妃様を釣り上げてもうた!?)


 一人二人くらい同士が増えるかな、という程度にしか思っていたのに、とんでもない大物がかかった気配がする。

 思いがけない好感触に、歓喜よりも激しい動揺が走るが、顔を伏せているので多分誰にも見られていないはずだ。


「――さて、わらわは部外者ゆえこれにて失礼する。お集りの紳士淑女の諸君、今宵はゆるりと楽しまれよ」


 パチンと音を立てて羽扇を閉じると、レーリアはクルリと踵を返して歩き出したものの――ふと思い出したように立ち止まり、半身だけ振り返る。


「そうそう……確か、本日はそなたの誕生日であったな。おめでとう。そなたのこれから歩む人生に幸があるよう、国を代表して祈っておこう」

「……きょ、恐悦至極にございます……」


 冷や汗をダラダラ流し、恐縮しまくるジゼルを眺めてクスリと笑い、今度こそレーリアは振り返らずに去って行く。

 行きと同じく病の気配など微塵も感じさせない足取りで檀上を降り、玉座の後ろにある扉の向こう側へと消えた。


 この場にいる誰もが彼女をただ無言で見送るしかなく、バタンッと扉が閉まる音で、ようやく我に返るような体たらくだった。


「……もうよい。下がってよいぞ」


 嵐のように現れて去って行った正妻に心を乱されつつも、平静を装いながらジゼルたちに向かって顎をしゃくった。

 親娘は放心状態で顔を上げ、粛々と従って御前をあとにすると、待っていた家族と合流した。母と兄だけでなく、ビショップ家の面々もそろっていて、レーリアの登場に度肝を抜かれていたという。


 場を仕切るはずの王族が腰を抜かすほど驚いていたのだから、宰相も知っているはずもないが、ひょっとしたら親友であるグロリアには、一言くらいあったのではと思ったが、


「いいえ、まったく聞かされてなかったわ」

「グロリアさんも知らんかったんですか?」

「そうよ。少し前に、ジゼルさんから追加でいただいた湯の花をお届けした時も、そんな素振りはまったくなくて……はぁ、“魂消たまげ”るってこういうことなのねぇ……」


 真昼間にオバケでもみたような顔をしながら頬に手を当てて、グロリアはため息混じりのつぶやきを漏らす。


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