第43話 美猫令嬢、爆誕!?

 純粋培養の箱入り娘すぎて精神的に幼い部分があったとしても、さすがにこれはコーカス家の教育方針を疑うしかない。一斉に集まる視線に、コーカス氏は委縮したように肩をすぼめ、ため息混じりに答える。


「この子は生まれつき心の成長が著しく遅くて……医者にかかったところで治るものでもなく、厳しく教育しても逆効果で……社交界には出すまいと思っていたのだが、妻がどうしてもというので……」

「ということは、アン嬢はご夫人の産んだ唯一のお子なのか。それならデビューを強行し、正当な後継者探しをさせようとしても不思議ではないが……それがご息女のためかどうかは、私の口からはなんともいえないな」


 父の反応で複雑なコーカス家の事情を垣間見たが、懸命にもジゼルは口をつぐんだ。

 出自も分からぬ拾い子の自分が、人様のお家事情に首を突っ込める立場ではない。


 ……のちに聞いた話だが、コーカス氏はなかなか子宝に恵まれず、跡取りとして分家から養子を取ったらしい。だが、彼が成人して後継者教育がひと段落ついた時、夫人の懐妊が発覚してアンが生まれた。


 通常であれば家に女児しかおらずとも、婿を迎えてその男を当主に据えれば問題ないが、今さらその養子を不要と放り出すわけにもいかないし、コーカス氏も高齢で彼女の成長と結婚を待って家督を譲る余裕もない。

 ゆえにアンは伯爵家唯一の直系でありながら、よそへ嫁ぐ道を余儀なくされた。


 しかし、それに夫人は反発している。養子はコーカス氏からすれば親戚であるが、彼女からすれば赤の他人である。比較すれば我が子が可愛いのは当然で、それが長年の不妊の末に授かった子であればなおのことだ。


 なので夫人は、一旦養子に当主を継がせるものの、アンが然るべき男と婚姻を結べば放り出す算段を立てていた。


 コーカス氏はそれを窘めつつも、妻の気持ちが分かるだけに強く止めることはできなかったが……いつまで経っても娘の精神が幼いままで、結婚どころかデビューすら危ういことに気づき、すっぱりと未練を断ち切った。


 だが、夫人は諦めなかった。

 自身の余命が長くないと医者から宣告されたせいもあり、自分が生きている間に愛娘に確固たる後ろ盾を与えようと、伯爵家を継がせることに執着した。


 そして彼女は夫の反対を押し切り、アンの社交界デビューを強行した。

 “正当な”次期当主となるべき伴侶を探すために。


 そんな家庭事情は今のジゼルの知るところではなかったが、関わった以上アンを放っておくことができなかった。小さな子供の相手は、孤児院の子たち相手で慣れている。

 アンの傍にしゃがんで目線より少し下に来るようにして、ゆっくりと優しく話しかけてみる。


「こんにちは。ウチはジゼルっていいます。ちょっと訊きたいことがあるんやけど――」


 ジゼルと目が合うと、アンは不機嫌な様子から一転して「あ、猫さん!」とはしゃいだ声を上げ、猫耳お団子を無遠慮に掴んでクシャクシャにする。

 ムサカのように豚認定してくるのも困りものだが、たとえ猫と認識されていても、この撫で方としていかがなものかと思うが……子供のやることに目くじらを立てるほど狭量ではない。


「あはは、アンは元気やねぇ」


 しかし、コーカス氏は公爵令嬢の御髪を乱した娘に、大慌てで注意しながら引きはがす。


「あああ……アン、やめなさい……!」

「えーなんでー? 猫さん、いっぱいナデナデしたいー!」

「残念やけど、ウチは猫さんやのうて人間さんやねん。アンは、人間さんにもこんな風にナデナデするんか?」

「……しない。ママに怒られる」


 ジゼルが猫ではないと知って不満げに唇を尖らせながらも、おとなしく手を引っ込めてくれた。これでようやく話ができそうだ。


「アンはええ子やね。そんなアンに一つ質問があるんや。答えてくれる?」

「なあに?」

「アンはなんでドレスが真っ白やないとアカンって言ってるん? 白が好きなん?」


 もう少しご機嫌を取ってから本題に入りたいところだが、会場入りの時間が近づいている。サクッと彼女の本音を聞き出して、この場を収めないといけない。

 また取り付く島もないイヤイヤが発動したらどうしようと思ったが、褒められて気をよくしたらしいアンは素直に答えてくれた。


「だってママが、デビューの時は真っ白なドレスじゃなきゃダメって言ったの。アン、本当は、パパがくれたピンクのドレスが着たかったのに、パパがみんなに笑われるから我慢しなさいって言ってたもん……だから、真っ白じゃなかったらダメなの」


「そっかぁ、アンはお父ちゃんとお母ちゃんのために、真っ白なドレスがよかったんやな。真っ白やないと、お父ちゃんが笑われるから、帰らなアカンと思っとったんやな」

「うん……」

「アン……」


 どれだけ幼い子供でも、意外と大人の顔色や都合を理解しているものだ。アンの場合は心が幼いだけで、相応の人生経験があるから余計に聡いのだろう。


 それと同時に確固たる意志を持っており、譲れない何かがあるものだ。でも、大人を説得できるだけの語彙がないから、否定されれば駄々をこねて押し通すしかない。

 それが大人を困らせることになり、つい頭ごなしに叱ってしまう原因になりがちだ。


 ジゼルのように赤の他人なら冷静に聞き出せるが、身近な人間であれば「またか」とうんざりして、聞く耳を持たない場合もある。悲しいすれ違いだと思う。

 でも、気づいたところからやり直せばいいのだ。


「大丈夫だよ、アン。これくらいでパパは笑われたりしないさ。アンは何も悪くないんだから、堂々としていればいい。だから、おねえさんの言う通り、そのシミを落としてもらうね。ずっと置いておくと取れなくなる。汚れたままだとパパもママも悲しいし、アンだって嫌だろう?」


 父親から頭を撫でながらそう諭され、アンはばつ悪そうにうつむきつつ、ややあってコクリとうなずいた。


「うん……ごめんなさい……」

「いいんだよ。アンの気持ちに気づいてやれなくて、すまなかったね。さ、もう本当に時間がない。急いで支度をしてもらおう」


 アンを立たせて鏡台の前に座らせると、侍女たちが駆け寄って素早く作業にかかる――よりも前に、ジゼルもずずいと背を押されて隣に座らせられる。


「おおう?」

「そちらのお嬢様も、すぐに御髪を整えさせてもらいますね」


 言うが早いか、クシャクシャになったお団子を解いて櫛を入れ、瞬く間に猫耳型に整形していく。

 そうそう見かけない髪型のはずなのに、なぜこんなに手際がいいのか謎だ。王宮に勤める侍女は、レアなヘアアレンジすら極めているのか。


「アンも猫さんがいい! 猫さんにして!」


 ジゼルがポカンとしている間にハイスピードで元に戻り、それを見ていたアンがはしゃいだ声を上げておねだりする。

 侍女はクスクスと笑いながら「かしこまりました」といい、アンの頭にも猫耳お団子をこしらえていく。


 ふてぶてしいブサ猫のジゼルとは違い、庇護欲をそそる可愛い美猫が出来上がっていく。

 個性の一つが真似されて、ちょっと面白くない気持ちになるが……


(せやけど、猫耳のアンはめっちゃ萌えるわ! 可愛いから許す!)


 可愛いは正義である。


 ヘアメイクが仕上がることには、アンの涙で崩れてしまった化粧も元通りになり、紅のシミもすっかり薄くなっていた。

 だが、やはり完全には消えなかった。

 色生地なら目立たなかっただろうが、白い生地ではどうしても浮いてしまう。


 しょんぼりとするアンに、侍女はジゼルがしているのとよく似たコサージュを探し、シミの上に飾った。


「まあ、こうしていると姉妹のようね!」


 いつの間にかお邪魔していた母が、楽しそうに手を叩く。

 猫耳とコサージュがおそろいなだけで、ブサ猫と美猫を姉妹にしてしまっていいものかと、ジゼルは苦笑したが、アンはキャッキャと笑いながら「じゃあ、アンがお姉さんね!」などとのたまう。

 それは聞き捨てならない。


「えー、ウチの方が絶対お姉ちゃんやろ! ウチはアンみたいに、プンプン怒ったり、メソメソ泣いたりせぇへんで?」

「アン、怒ってもないし、泣いてないもん!」

「ホンマかいなー?」

「本当だもん!」


 デビュタント同士のじゃれ合いを、コーカス氏は不敬になりやしないかと初めはハラハラしていたが、どうやら杞憂で終わりそうだと悟って、ほっと息をつく。

 ハイマン夫妻は二人のやり取りを微笑ましそうに眺めているし、ジゼルも歳に似合わない幼い心を持つアンのことを、見下すでも憐れむでもなく、姉妹や友人のように対等に接している。


「……噂とは、本当に当てにならないものですね」


 ボソリとつぶやかれたコーカス氏の台詞は、アンとくだらない言い合いを続けるジゼルの耳には入らなかったが、両親はきっちりと拾い上げた。


「と、言いますと?」

「ああ、いや……な、なんでもありません」


 ははは、と乾いた笑みを張り付けてごまかす老紳士に、両親は顔を見合わせつつ、「きっとアーメンガート側から流された、例の黒い話題だろうな」と視線で語り合った。


 二人とも出先でそんな噂を耳にするたびににこやかに否定してきたし、ハンスやロゼッタを始めとした親衛隊の力も借り、可能な限り払拭したつもりだったが、一度流れた噂は簡単には一掃できないらしい。


 すでに隠居したコーカス氏の耳に入ることがなかっただけとも思われるが、こちらの否定を上書きするように、しつこく言いふらす連中がいる可能性も否定できない。

 ジゼルを守るためにも、一層注意しなければ――と二人が気を引き締めたところで、会場入りを告げる係員がやって来た。


「アン・コーカス様、大広間へどうぞ」


 爵位の下の者から呼ばれるので、伯爵令嬢のアンの方が必然的に先だが、それを知らないらしいアンは胸を張って言い放つ。


「ほら、アンの方が先に呼ばれたからお姉ちゃんだよ!」


 まだ『どちらが姉か』の議論が続いていたらしい。

 さすがにジゼルも付き合い切れなくなってきたのか「はいはい。せやね、アンお姉ちゃん」と投げやり気味に折れた。


 勝ってさらにご機嫌になったアンは、ニコニコ笑顔でコーカス氏の元へ駆け寄って腕を取る。


「行こ、パパ!」

「あ、ああ……それでは、私たちはお先に。今回のお礼とお詫びは、後日必ず……」

「バイバイ、ジゼル! また遊んであげるね!」


 白くなった頭を深々と下げるコーカス氏と、お姉ちゃんぶった物言いで手を振るアンの対比がすごいが、突っ込む気力もなくジゼルは手を振り返して伯爵親娘を見送った。

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