第42話  隣のカオスちゃん 

 自邸のパーティーと舞踏会の準備を並行しつつ、いつもの社長業務と詰込み型令嬢教育に忙殺される日々を送ること半月と少し――ついに社交界デビューの夜が来た。


 ジゼルは今、会場近くの控室で鏡台の前に座り、化粧や髪形などの身支度の最終調整をしてもらっている。 


 王宮でのデビュタントの扱いは、通常とは異なる。

 身分が下の者から個別に名前を読み上げられ、用意されたレッドカーペットの上を歩き、国王と王妃へ拝謁するという、壮大な序章が待っている。さながらハリウッドスターだ。


 それが終われば、両陛下のファーストダンスののちに父親と踊り、挨拶回りをしながら人脈を作ったり、宮廷料理人のご馳走に舌鼓を打ったりする。

 後半は一般的な流れだが、前半の精神的負担が半端ではない。


(ふう……なんや緊張するわぁ……)


 鏡に映る自分をぼんやり眺めながら、ジゼルは心の中でひとりごちる。

 ハレの日でもブレない猫耳お団子だが、ナチュラルに見えるしっかりメイクで、そばかすがすっかり見えなくなったり、ぺちゃんこの鼻が陰影によって高く見えたり、ブサ猫顔が少しだけ美猫化した。


 プロの技術に感心しきるばかりだが、それよりも脳内を占めるのは、今日をどうやって乗り切るかだ。


 人前に出ることも目立つことも嫌いではないとはいえ、自分が貴族令嬢として異色の存在である自覚はある。悪目立ちをしたり、自分が何かやらかしたりすれば、恥をかくのは家族だ。


 色物扱いされないよう大阪弁を封印することも考えたが、これほどの規模の催し物なら、きっと以前からの知り合いも多く参加するだろうし、今さらお嬢様言葉を使ったところで違和感しかない。


 だいたい、大阪人に限らず方言使用者というものは、標準語をしゃべっているつもりでも案外訛りのイントネーションが出るので、逆にあか抜けない感じが出てしまう。それならいっそ、初めから訛っている方が潔い。


 となると、出来るだけおとなしくして出しゃばらず、何があってもおほほと笑って流す『出来る淑女スタイル』が一番無難か――と考えつつ、ストールに視線を落とした。


 お針子たちが最大速度で仕上げてくれた特注のヒョウ柄ストールは、透け感のある布で仕立てられており、羽織り物というより羽衣に似た装飾品のようなアイテムだ。

 ゆったりと羽織りつつ、左肩のあたりで大ぶりのコサージュを使い留めていると、華美な刺繍や装飾の少ないシンプルなドレスによく映える。


 ただ、近くで見ると奇抜な模様だと分かるが、白一色という制約の元、生地と糸の濃淡だけで表現されているので、遠目には花柄にも見えるのはちょっと残念ではある。


(まあ、デビュタントやからしゃぁないけど、次からはもうちょい派手な色で作ってもらわなアカンな)


 スタンダードな黄色と黒も派手でいいが、ピンクや水色などのパステルカラーでもいい。

 フェミニンな色合いなら、勇猛な印象の虎柄も可愛く着こなせるに違いない。


 刺繍だからこそのカラーバリエーションを想像して気を紛らわせていると、傍のソファーに腰かけていた両親が、微笑ましそうに笑うのが鏡越しに見えた。


 兄はここにいない。ロゼッタと一緒に先に会場入りしている。

 美人の婚約者を紹介するついでに、お互いのろけまくっているに違いない――とジゼルは思うが、実際には少し違う。


 あの二人は無自覚にラブラブっぷりを見せつけつつ、「ジゼルに何かあれば自分たちが黙っていないぞ」と、集まった貴族連中に言外に圧をかけまくっていたが、ここにいるジゼルが知るよしもない。


「うふふ、緊張しているジゼルちゃんも可愛いけれど、そんなにカチコチにならなくても大丈夫よ。若いうちの失敗は成長の糧ですもの」

「そうだとも。何があっても私たちが守ってあげるから、ジゼルはいつも通りにしていればいい」

「お父ちゃん、お母ちゃん……!」


 頼もしい両親に感動したのも束の間、


「お母様もジゼルちゃんの年頃は、はしゃいでドレスの裾を踏んづけて顔からこけたり、持っていたお料理のお皿をひっくり返して他人様にぶちまけたり、まあ恥ずかしいことをいろいろやったものよ。でも、こうして何事もなかったかのように社交界に顔を出せるんだから、安心して失敗していらっしゃい」

「……お母ちゃん、意外とお転婆さんやったんやね……」


 絵にかいたような淑女の母が、存外ダイナミックな粗相をしているのを聞き、『失敗は成長の糧』という言葉の重みをひしひしと感じる。人に歴史ありとは、このことか。

 幼い時分にジセルがお転婆だったのを黙認していたのも、親馬鹿というだけでなく、過去の自分と重ねていたのかもしれない。


 ふとしんみりとした気持ちになったが、それを遮るように隣室から少女の小さな悲鳴が聞こえてきた。

 続けて、男性の怒号が響いてくる。

 さすが王宮、しっかりとした造りのおかげで壁が分厚いのか、隣室の出来事であってもやり取りそのものは聞こえないが、何かトラブルがあったのは明白だ。


 思わず腰を浮かせたジゼルを父は手で制し、傍に控えていた王宮の侍女に様子を見に行かせる。

 侍女は数分もしないうちに戻って来て、隣室で起きたことについて教えてくれた。


「化粧直しを担当していた者が、手を滑らせて筆を落とし、ご令嬢のドレスに紅を付けてしまったようです。汚れ自体はわずかなようですが、ご令嬢はショックで泣き崩れ、お父上もそれで大層お怒りで……」


 デビュタントドレスはウエディングドレスと同様に、一生に一度の晴れ舞台で着る大事な一張羅だ。汚されたら泣きたくなる気持ちも分かるし、用意した親が激怒するのも当然だろう。

 笑って許せとまではいわないが……ずっと怒鳴り散らしているのは問題だ。


 不手際をした侍女に叱責が必要とはいえ、一方的に責め立てるのは建設的ではない。

 ただ、激怒する父親を止めようにも、注意できる立場の人間がいないのだろう。

 それを感じ取った父が、ソファーから腰を上げた。


「では、私が取りなそう」

「あ、ウチも行くわ。歳近いモンがおる方が、その子も落ち着くやろ」


 そう理由をつけて父と共に隣室を訪れ、ドアを開けてもらうと――そこはドのつく修羅場だった。


「なんてことをしてくれたんだ! お前のせいで、アンの晴れ舞台が台無しじゃないか! どう責任を取ってくれるつもりだ!?」


 青筋を立てて怒号を発する初老の男性。


「申し訳……申し訳ありません!」


 這いつくばりながら必死に謝罪を口にする侍女。


「ひっく……どうしよう……ひっく、ひっく……」


 ドレスがしわになるのも構わずソファーに丸まって座って、しゃくり上げながら泣く少女。


「……めっちゃカオスやな」

「あ、ああ……」


 父と顔を見合わせ、どこから手を付けていいものか悩んだが、ただ謝るしかできない侍女に業を煮やしたらしい老紳士が、勢いよく杖を振り上げたのを見て、矢も楯もたまらず飛び出す。


「わー、アカンアカン! 暴力反対ー!」

「ま、待て、ジゼル!」


 大声で駆け込んで来た第三者を視界に捉え、老紳士は杖を上空に上げたまま停止し……父を見てギョッと目を見開いた。


「ハ、ハイマン公爵……!」

「あなたは確か、コーカス伯爵だったな」


 貴族名鑑と地理歴史を叩きこまれたジゼルも、その名前には覚えがあった。

 王宮でこれといった役職には就いていないが、豊かな鉱脈に恵まれた鉄鋼業の盛んな地域を治めており、中堅どころの中ではかなり有力な貴族である。


 だが、当主にしてはやや年が行き過ぎている。

 そこにいる少女も、娘というよりも孫という方が違和感がない。

 そんなジゼルの疑問をくみ取るように、父の台詞が続く。


「ああ、いや。正確には前伯爵か。すでに息子に家督を譲って隠居したはずだが……末の娘のデビューがまだだったのか」


 随分年の離れた父と娘だが、末っ子なら分からなくはない。年齢的に孫も同然の感覚だし、目の中に入れても痛くないほど溺愛するのも当然だろう。

 ひょっとしたら若い妾との子なのだろうかとも邪推するが、そこは詮索しないのが大人だ。


「娘の晴れ舞台を汚された卿のお怒りはよく分かるが、そこの侍女を責めても何も解決しない。それより、早くドレスについた紅をシミ抜きさせて、ご令嬢を慰めて差し上げるのが建設的だ」

「あ、は、はい……」


 自分より格上の相手から諭され、ようやく冷静になったコーカス氏は、ゆるゆると杖を下ろして父にこうべを垂れる。


 今まで床に這いつくばっていた侍女も、恐る恐る青白い顔を上げ、同僚たちに慰められつつ下がっていった。

 あの様子ではもう今日は仕事にならないだろうし、当事者が居残っていると逆にややこしい事態にもなる。

 ……これから上司からもまた絞られるかもしれないが、それは自業自得だ。


 彼女と入れ違いになるように、小箱を抱えた侍女がすかさず入って来た。

 シアンと呼ばれていた令嬢の元へ向かうと、優しく肩に触れながら声をかける。


「お嬢様、すぐにドレスのシミを落としますので……」


 騒ぎが起こってすぐに、化粧落としの道具を用意していたようだが、コーカス氏の剣幕に入るに入れなかったのだろう。


 涙をぬぐいつつ、アンと呼ばれていた令嬢が緩慢な動きで顔を上げると、妖精を思わせるような美少女だった。

 泣き腫らした目が痛々しいが、その儚さがより美しさを際立てている。

 これだけ可愛ければ、溺愛したくなる気持ちも分かろうというものだ。


「……これ、元通りになる? 真っ白になる?」


 年の割には幼いしゃべり方をするのが気になったが、ワンポイント程度ではあるが、胸元にベッタリとついた紅の跡を見れば、繊細な令嬢ならショックを受けるのもやむなしで、一時的に混乱しているせいかもしれない。


「最善は尽くしますが、真っ白になるかどうかの保証はできません。落ちきれない場合は、シミを隠す装飾品をお貸ししますので、それでご了承くださいませ」


 すがるように問うてくるアンに、侍女は表情を動かさず事実を述べたが、その答えが気に入らなかったのか、きっぱりと不服を口にする。


「ヤダ! 真っ白にならなきゃヤダ! 真っ白にして!」

「こ、こら、アン。困らせてはいけないよ」

「イヤだったらイヤだもん! 真っ白じゃなきゃイヤなんだもん! できないなら帰る! こんなトコ帰るー!」


 父親が宥めるのも訊かず、今度こそ年端のいかない子供のように頬を膨らませ、手足をバタバタさせながら駄々をこねて、ワンワンと喚く。


 まるでイヤイヤ期の幼子のようだ。


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