第41話 塞翁が馬?
「さて、どうしたものか……」
眩しい朝日が差し込む爽やかな朝――にもかかわらず、ハイマン家にはお通夜のような重い空気が漂っていた。
ついさっきまで、温かな食事と他愛ない会話で朝食を囲み、そろそろ解散しようかというタイミングで、王宮からの書状が朝一番の速達で届いたのだ。
“春の舞踏会”への招待状である。
王宮でもシーズンを通して大小さまざまな催し物が開催されるが、特に中でも春、夏、秋の計三回大規模な夜会を舞踏会と称し、それはそれは盛大に執り行う。
そのうちの第一回目が春の舞踏会で、公爵家も王家に連なるものとして毎回招待されており、こうして招待状が来ることもいつものことではあるが……ただ、その開催日が最悪だった。
ジゼルのデビューとなる夜会――つまりはジゼルの誕生日と日時が被っているのだ。
すでに夜会に関わる様々な手配が済んでおり、招待状も送ってしまったあとで、さらに悪いことに招待客のほとんどは上級貴族で、ハイマン家と同じく舞踏会の常連客。
一貴族主催の夜会と、王宮主催の舞踏会――それが同日同刻に行われるとするなら、誰もが後者に行くしかない。
それが臣下として当然のことであり、よっぽどの理由がない限り、行かなければ不敬と取られても不思議はない。
そもそもこちらも他と同様に、否応なしに参加せざるを得ない立場だから、予定していたの夜会は中止ないし延期せざるを得ないだろう。
おまけにここにある招待状には、まだ正式にデビューしていないジゼルの名も書かれており、実質的にここでデビューさせろという王命が下されたも同然。
一介の令嬢の社交界デビューに王家が口を挟むなど、普通ならあり得ないが……今回の舞踏会の“目玉”にその理由がありそうだ。
「……どうやらこの舞踏会、アーメンガート嬢の社交界デビューを飾ると同時に、王太子の婚約者としてのお披露目も兼ねているようだな。ここにそう書いてある」
食器が片付けられ、ガランとしたテーブルの上に置かれた招待状を、トントンと指先で突きつつ、父は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「そこにジゼルちゃんを呼びつけるということは、実質的にアーメンガート嬢の方がジゼルちゃんより上だって、周りに知らしめるつもりなのね。小賢しくも有効な策だわ」
母は普段と変わらない穏やかな表情をしているが、ブリザードの幻覚が見えるくらいオーラが冷え切っている。
相当なお怒りだ。
まあ、気持ちは分からなくはない。
王太子妃最有力候補だったジゼルを巧妙な手練手管で押しのけ、ミリアルドの寵愛を勝ち取った成り上がりの元男爵令嬢が、今度は王家の権力を笠に着てジゼルを呼びつけ、華々しくデビューを飾り、王太子の婚約者として彼の隣に並ぶというのだ。
十中八九、アーメンガートはジゼルに対しマウントを取りに来ている。
無論それが彼女自身の思惑ではなく、彼女を擁立するルクウォーツ侯爵家や、彼女を一族に迎える王家の意向だろうし、これからの社交界の地位を確立するには、母の言う通り有効な手段ではある。
ただ、問題なのは公爵家の夜会の日程に、わざわざ被せてきたことだ。
ジゼルのデビューが誕生日に行われることは、公爵家と親しい間柄なら誰もが知っているし、事前に情報を仕入れることは容易い。
こちらに先んじてお触れを出すこともできたはずなのに、あえてどこからも文句の出ない“後出しジャンケン”で勝ちを奪い、公爵家の面子を潰そうとしていることは想像に難くない。
無論、それしきで潰れるほどハイマン家の面の皮は薄くないが。
(ひょっとして、ウチは敵認定されとる……?)
アーメンガートは十中八九転生者だから、悪役令嬢が自分の恋路の邪魔をしないよう、出てこようとする杭を出る前に打っておこうという算段なのか。
そんなことしなくても、ミリアルドには微塵の興味もないのだが。
「……それにしても、舞踏会ほど大規模な催しに関することが、アーノルド殿が知らなかったはずはないよね? ジゼルのデビューだけならまだしも、今回の夜会は僕とロゼッタとの婚約発表の場も兼ねてたわけだし、日時が被れば困るのはあちらだって同じなのに、どうして一言もなかったのかな?」
珍しく兄が非難がましい口調になっているが、それも致し方ないことだ。
宰相ならそのあたりの采配に関与していないはずもないし、少なくとも情報が耳に入る立場だったはず。それを黙っていたのは、ジゼルの兄としてもロゼッタの婚約者としても、裏切られたような感覚になるのは当然だろう。
兄の気持ちを慮ってか、両親はそれを注意することはなかったが、代わりにアーノルドを擁護する言葉を述べる。
「まあ、お前の言うことももっともだが、わけもなくアーノルド殿が秘匿していたとは考えにくい。彼がロゼッタ嬢を悲しませることはしないはずだからね」
「お母様もそう思うわ。殿下や陛下に堅く口止めされていたとしても、のちのちご夫人の不興を買うことを鑑みれば、黙っているという選択肢は取りません」
「確かにグロリアさんを怒らせたら、絶対ただでは済まんよな……」
美しくも苛烈な侯爵夫人を思い出しつつ、あのいかにも尻に敷かれていそうなアーノルドが、たとえ王命であったとしても、夫人を怒らせるような真似はしない。断言できる。
つまりアーノルドは、内容はともかく日時までは本当に知らなかったのだ。
意図的に隠されたのだろう。嘘を伝えたのか、子細を伝えなかっただけかは定かではないが。
公表こそされていないが、ハイマン公爵家とビショップ侯爵家が婚姻により繋がることは、王家側にはすでに知られていること。アーノルドから正確な日時を伝えられたら、今回の企みが阻止されてしまう。
少し調べれば分かることだろうが、宰相の仕事は多岐に渡るし、娘の嫁入り準備に余念がない多忙な時期に、彼が指揮監督を取るわけではない舞踏会のことを気にするほど暇でもない。
「ていうか、このことをロゼッタが知ったら……」
思い出す四年前のお茶会。
正義感の強さで突っ走り、アーメンガートを一目で見初めたミリアルドにはっきり物申し、不敬罪を突き付けられた過去は忘れたくても忘れられない。
まさかとは思うが、再び同じ過ちを繰り返すのでは――とジゼルが肝を冷やした時、
「失礼します。ロゼッタ様がお見えになっておりますが……」
なにやら朝から疲れた様子の使用人が、こちらの取り次ぎを求めてきた。
急な知らせに大慌ての上怒りで冷静さに欠いたロゼッタへの対応で、体力ゲージが著しく減少しているようだ。
しかし、その勢いで王宮に突撃しなくてよかった。
下手に騒げば彼女自身が罪に問われるどころか、ビショップ家がお取り潰しなんて惨劇が待っていただろう。
(セーフ! こっちに駆け込んでくれて正解やで、ロゼッタ!)
彼女の性格をよく知る兄も同じようなことを考えたのか、困り顔をしながらもほっとした様子で「僕が対応するから」といって席を立ち、待たせているだろう応接室の方へと歩いて行った。
兄ならうまく宥めてくれるだろう。婚約者だし。
「……それで。我々の参加は決定事項だとしても、予定してた夜会はどうする?」
兄を見送ったのち、おもむろに父が母に問いかけた。
「ひとまずは中止でしょうか。延期してもいいけど、懇意の方から誘われている催し物が多いから、直近の予定を組みなおすのは厳しいですわ。皆様も同じような都合でしょうし、察してくれると思いますけど、一応そのお知らせもしておかないと」
公爵家の催し物を取り仕切る女主人は、そうため息混じりに答える。
ジゼルとしては、王家やアーメンガートの思惑がどうだろうと知ったことではないし、女同士のマウントの取り合いにも興味がないし、デビューがどこになろうと一向に構わない。
しかし、今日まで家族が自分のために尽力してくれたことが無駄になるのは悲しい。
(うーん、せっかくみんなが一生懸命準備してくれたし、食品ロスも痛いし、なんとかでけへんかなぁ……?)
何かいい手はないかと頭を捻っていると――ふと名案が浮かんだ。
「せやった! ウチは社長やったわ!」
*****
「……まさか、商人ばかりを集めたパーティーをやろうとは。いつものことながら、お嬢様は予想斜め上の発想を行きますよね」
翌日。
父に頼んで貸してもらった名簿を脇に置き、せっせと招待状をしたためているジゼルを眺めながら、テッドは呆れとも感心ともとれる声色でつぶやいた。
ジゼルは潰れるはずだった夜会を、ブサネコ・カンパニー主催のパーティーに切り替え、王都の商人たちを招待することにしたのだ。
元々ベイルードで確固たる実績ができれば、いずれは王都進出も視野に入れていたので、少し早いが今のうちに顔を売って、コネを作っておこうという算段である。
ジェイコブからは、自社予算だけで新規路線を開拓するのは難しいと言われているので、今回もまた出資者を募る必要がある。
領地のように好き勝手できないので、恩を売ってのクラウドファンディングという裏技は使えないと仮定すれば、年に何回かはこういう場を設けて接待したりプレゼンしたりと、コツコツとした根回しが不可欠だ。
もちろん、舞踏会には参加せざるを得ないので日程はずらしてあるが、貴族相手ほど招待客の都合を気にしなくてもいいし、食材も多くを無駄にせずに済む。
「せやけど、別に招待するんは商人さんだけやないで。お母ちゃんに頼んで、来るはずやった参加者さんに今回の集まりのことを書いてもろうてるから、来れる人は来はるわ。多分な」
社交とは貴族同士の繋がりが重要視されがちであるが、商人とのコネも決して軽視はできない。
カネとコネで顔を繋いでおけば、新商品や流行品をいち早く手に入れられるし、商人独自のネットワークからもたらされる迅速にして正確な情報も耳に入り、よりうまく社交界で立ち回ることができる。
直接商売をしているジゼルだけでなく、他の家族にも参加してくれる貴族にも利のある話であり、豪商などが貴族邸宅に招待されることがあるのはそのためだ。
「ま、これが塞翁が馬っちゅーヤツやな」
ちょっと得意げに言ってみれば、テッドが「さすがお嬢様です」と白々しい声で褒めつつ、意地の悪い笑みを浮かべた。
「ですが、王宮でデビューとなれば、一瞬の気のゆるみが命取りですよ。さぞ厳しく家庭教師にしごかれるでしょう。余計な予定をねじ込んだことを、後悔しなければいいですね」
「うぐっ……」
これから始まるスパルタ講習を想像し、呻きを上げるジゼルだった。
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