第38話 郷愁の再会

 ムサカはしばし逡巡したように、天井を眺めていたが……ややあって「この街の話でハないンダガ」と前置きして、ベイルードの近隣領で商売をしていた時に、メインの商品だった特産品の高級茶葉を悪質な手で奪われた話をしてくれた。


 富裕層相手にする商会と聞いてこれ幸いと尋ね、あの手この手で売り込むが「味が分からないと検討もできない」と言われ、試飲させることになった。


 しかし、これが裏目に出た。

 出されたお茶には“白い埃”のようなものが浮いていて、それに店主が激怒したのだ。


「こんな不潔なものを高値で売っているのか! 悪徳商人として憲兵に突き出されたくなければ、この場で茶葉を全部捨てて立ち去れ! ワシらが責任をもって処分してやるから、ありがたく思えよ!」


 そう言って、従業員たちに積み荷の茶葉の箱を言葉通り全部運び出させ、どこかに持ち去ったという。

 もちろんムサカも黙って見ていたわけではなく、埃の正体もきちんと説明したし、小間使いたちと一緒に止めようとしたが、数の暴力に押し切られて、むざむざと根こそぎ奪われてしまったそうだ。


 あとに残ったのは、こちらに売りつけようとした毛皮だけ。

 だが、それはどこへ行っても売れなかった。

 しかし、売って儲けを出さなければ、故郷へ帰る資金もない。


 不良在庫を抱えたまま当てもない旅を続け、これまでの商売で得た金も底を尽きかけ、ほとほと困り果てていたところ……今回の接触事故が起きた。

 初めは賠償のことで頭が真っ白になったそうだが、逆転の発想で金を巻き上げる算段と考えたようだ。


「なんとも悪辣ですね。あちらは絶対に毛茸もうじのことを知ってた上で、『いいカモが来た』とばかりに犯行に及んだのでしょう。もし毛茸が出ずとも、味や色に難癖をつけて同じようなことをしたでしょうが」


 毛茸はお茶の葉の新芽に生えている産毛のこと。

 茶葉の状態では分かりにくいが、淹れた時に水面にそれらが浮かび、白っぽい埃のように見えるのだ。


 だた決して体に害はないし、むしろ良質で新鮮な証であるので、よほど潔癖な人でない限り貴族でも普通に飲まれているし、お茶会でも喜ばれる高級品の証である。


「犯行て……まあ、犯罪は犯罪やな。イチャモンつけて略奪したモンを、高値で売ろうって腹積もりやろうし」


 悪徳商人はどっちだと、強く問い詰めたい案件である。


「それより、その話がホンマやったら大問題やわ。すぐにお父ちゃんと組合長さんに連絡して」


 職員らに指示を出して公爵邸と商工組合に向かわせ、急ぎ調査してもらい、注意喚起をしてもらうことにする。

 件の商会はこれから、ガンドール帝国産の茶葉を大々的に売り出すだろう。もちろん、さも正規に仕入れたかのような価格で。ボロ儲け確実だ。


 ムサカの言い方ではかなり大量にせしめたようなので、社交シーズンの需要を狙って、王都まで足を延ばす可能性も高い。

 何も知らない間に、犯罪の片棒を担がされるなどごめんだ。


「……オレの話を、信じるのカ?」

「信じる信じへん以前に、ムサカさんがそないな嘘をついても、なんの得にもならへんでしょう? 自分の首絞めるだけやわ」


 ジゼルの背後には公爵家という大きな権力があり、それを敵に回すようなことをすればどうなるかは、今しがたテッドに脅されて骨身にしみたばかりのはず。

 嘘がばれる前に逃げればいいはいえ、金欠状態では逃亡も潜伏も難しく、異国人というだけで目立つからすぐに捕まるだろう。それくらいの計算ができないほど、落ちぶれてはいないとジゼルは思う。


 子供らしく無垢に「信じる」と言われるよりも、よっぽど説得力のある言葉に、ムサカはしばし惚けたようにジゼルを見つめたのち、深々と布の巻かれた頭を下げた。


「すまナイ。ありがト」

「いやいや、お礼とかええですよ。商売人としても貴族としても、そないな悪徳商会は見過ごせませんからね。キッチリ報いは受けてもらいましょ」


 問い詰めたところで、知らぬ存ぜぬを通されるだろうが、「あの商会は違法に入手した茶葉を売買している」と方々に触れ回れば、良心のあるものならば買ったりしないし、店の評判そのものが落ちれば茶葉以外の商売も滞るだろう。


 直接裁きは下せずとも、巡る因果で相応の報いは受けるはずだ。

 あるいは破滅の過程で馬脚を現し、本当に法の裁きを受けることになるかもしれない。


「それはそうと。せっかくやし、その余りモンの商品とやらを見せてもらいましょか。貴族やからこそ分かる価値があるかもしれんし、ウチが気に入ったモンがあればこの場で買わせてもらいますわ」

「また人の好い顔をして……」

「別に義理買いはせぇへんよ。安い買い物やないんやし、そこまでお人好しやあらへんわ」


 ムサカの出身を知って、彼の所有する毛皮がなんなのか、ジゼルにはおおよそ予想がついている。あくまで現世の知識からの推測なので、ひょっとしたら外れている可能性もあるが、運がよければアレに違いない。


 ワクワクしながらムサカに案内されてやって来たのは、事務局の裏手に停めてあった、行商人用荷馬車だった。

 頑丈で無骨な造りの車体は、乗合馬車ほどではないがかなりの大型で、ここに大量の茶葉が積まれており、その多くが不当に奪われたのだとすれば、許しがたいことである。


 馬車の傍では、まだ子供と呼べるような年頃の異国の少年が三人、不安そうな表情で寄り添い合いながら、体を丸めるような三角座りしていた。

 おそらくムスカの身の回りの世話をしたり、商売の手伝いをしたりする小間使いなのだろう。


 踏んだり蹴ったりな目になったせいか疲労の色が濃く、やつれた感じがする。

 だが、そんな状況でも服も体も清潔に保たれており、下働きとはいえ待遇はよさそうだ。

 ムサカはいい主なのだろう。


 その証拠に、ムサカの姿を見とめるとほっとしたように駆けてきて、異国の言葉でペラペラとなにやらまくし立てている。時々力なくお腹を押さえているので、きっとみんな空腹なのだろう。

 懐が厳しいから、食事もロクに採れていないに違いない。


 そっと護衛の一人を呼んで、お菓子を買いに行かせた。

 腹が減ってそうな子を見過ごせないのは、オバチャンの性だ。


 ムサカはそんな少年たち一人一人に優しく声をかけてやりながら、荷台を指さしながら指示を出している。

 商品を持って来いと言っているようで、ほどなくして大きな敷布が地面の上に広げられ、そこにフカフカとした毛皮が並んでいく。


 聞いていた通り、頭ごと商品化されたものもあり、成人男性であっても見慣れない猛獣に、悲鳴を上げたくなる気持ちも分かるし、購買意欲も下がってしまうだろう。


 それを見て、ジゼルは息を飲んだ。

 もちろん恐れからではない。予想が的中したからだ。


(やっぱり! ヒョウや! ヒョウ柄や! ついにキタで、コレ!)


 右を見ても左を見ても、黄色地に花の形にも似た茶色っぽい斑点が広がる、大阪のオバチャンのマストアイテムであるヒョウ柄、というかヒョウの毛皮がズラズラと並べられていく。

 時々虎も出てきたが、ヒョウ率が高い。


 島藤未央だった頃もそれなりには好きだったが、堂々と着るのは恥ずかしかったし、あまり似合わなかったので、ワンポイントになるファーグッズをいろいろと収集していた。


 しかし、母や祖母は一味も二味も違った。

 彼女らはアニマル柄を愛する、筋金入りの大阪のオバチャンだった。


 パーマの白髪を紫に染め、ヒョウ柄にヒョウの顔がドンッと描かれたTシャツに、ラメ入りのシマウマ柄のズボンを合わせ、パッションピンクのワニ革のバッグを引っ提げる、超攻めたファッションをペアルックにしていたあの親子は、ローカルテレビ番組で『これぞ大阪のオカン!』と取り上げられたほど派手派手だった。


 生きていた頃は、父と一緒に恥ずかしがったり、笑い転げたりしたものだが――


(お母ちゃんもお父ちゃんもおばあちゃんも、ウチが死んでどない思ったんやろ……今でも元気にしとるやろうか……)


 さっきまで感動の再会に脳内はお祭り騒ぎだったのに、かつての家族の顔が脳裏をよぎると、今更ながら間抜けな死因で一人ぽっくり死んだことが、重くのしかかる。


 時間の流れが同じであれば、九十を超えていた祖母はすでに亡くなっているだろうが、母と父はまだ存命だろう。

 雨の日にマンホールで滑って転んで死んだなんて、肉親からしたら笑えない話だが、きっと大阪人の性で「ホンマにあの子は、最期までアホな子やったわ」と笑い話にしてくれているはずだ。


 そうあってほしいという、希望的観測ではあるが。


「……お嬢様?」


 急に黙りこくったジゼルに、テッドが訝しげに声をかけてきた。

 半歩後ろにいたので、気落ちした顔は見られていないだろうが、変な詮索をされたくないので、あえてのんびりとした口調で返す。


「んー、なんや?」

「いえ、やけに静かなので、またよからぬことを考えているのではないかと」

「よからぬってなんやの。いつもウチが何かやらかしてるみたいな言い方、やめてぇな。こんな派手な柄モンは普通では売れへんやろうなって、思ってただけや」


 嘘は言っていない。

 寒さが厳しいエントールでは、防寒具を作るのに毛皮は必需品で、少々高値でも仕立て屋に持ち込めば買い取ってもらえるはずだが……この派手な模様では多くの人の趣味に合わないから、そうそう売れないだろう。


「まあ確かに、柄物は着る人を選びますからね。でも、なんとなくお嬢様には似合いそうですよ。ほら、同じ耳ついてますし」

「これは耳ちゃうわ!」


 猫耳お団子と獣の頭についている耳を交互に指さされ、思わず突っ込んだが、ヒョウ柄が似合うと言われて悪い気はしない。

 この毛皮で作ったドレスを着る勇気はないが、コートやケープならまだいいだろう。室内では脱ぐんだし。


 ……なんだかヒョウ柄のコートを着ている自分を想像すると、セレブ感よりも悪役感が増長されるが、実際に悪役令嬢役だから仕方がない。


 だが、まだ成長期のジゼルが今から服を仕立てても、すぐに着れなくなるだろう。

 毛皮だけまとめ買いしておく手もあるが、痛まないようこまめに手入れする必要があるので、それはそれで面倒をかけることになる。


 となると……ムサカには悪いが、在庫一斉処分は難しそうだ。

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