第36話 クレーマー出現?

 ロゼッタを交えた冬のオフシーズンは、賑やかに楽しく過ぎていった。

 予定通りポルカ村へ行って新築の別荘で温泉を満喫し、夜な夜な母を交えてパジャマパーティーを開いては、くだらない女子トークで遅くまで盛り上がり……時には兄との恋愛模様を影からこっそり見守ったり、お忍びデートをお膳立てしたりと、これまでにないイベントが盛りだくさんで、充実した日々だった。


 とっくの昔に悪役令嬢という役柄から脱却したジゼルは、今やすっかりヒロインの親友ポジションの気分である。


 恋に奥手なツンデレ女子と、飄々とした草食系男子の恋路は、甘い空気は漂っているのに絶妙な距離感があって、傍から見ていると「中学生か!」と突っ込みたくなるほど、ピュアでじれったい。

 今時の中高生向け少女漫画でも、もうちょっと進んでるなと思うレベルだ。


 それはそれで面白いというか萌えるのだが、ジゼル的にはもうちょっとアダルトな展開を期待していたのに。

 なんとも肩すかしだ。


 ロゼッタの父アーノルドが、娘を送り出す際に「清く正しいお付き合いを」と血走った目で二人に言い含めていたし、事あるごとにそんな感じの呪いの手紙が届けられたというのだから、娘を取られた父親の怨念がそうさせたのかもしれないが。


(……もしかして、お父ちゃんもウチが婚約したら、ああなるんやろうか?)


 来るかどうかも分からない未来への不安がよぎるが、それは今考えるべき問題ではない。


 なにしろ現在ジゼルは、リアルに書類に埋もれている。

 王都への出発を控えた今、領地にいる間に済ませてしまわないといけない仕事が、文字通り山と積まれているのだ。これを置いていくわけにもいかず、半泣きになりながら社長業務をこなしていた。


 いつも通りの意見書や報告書に目を通して判を捺し、今期の決算書に不備がないか確かめ、更なる路線拡大のための各種計画書をまとめ、その他イベント企画……遊んでいる合間にもコツコツ処理していたつもりだが、ジェイコブが欠けてしまったのが大きな誤算だった。


(……まさか、ブサネコ・カンパニー初の育休申請がジェイコブさんとか、予想外すぎるわ……)


 ホワイト企業を目指すブサネコ・カンパニーでは、育児休暇も福利厚生の一環として組み込んである。

 この育休申請は年明け早々に出され、その時は「ジェイコブさんって、結婚してはったん!?」と大変失礼な発言を面と向かって飛ばしてしまい、「してますが、何か?」と憮然として返された。


 あとで平謝りして、いつもの飴ちゃんと出産祝いを献上したことは、記憶に新しい。

 仕事人間のイメージが強すぎて、家庭のにおいどころか女性の気配すらなく、育児に興味があるとも思えなかったが、本当に人は見かけによらない。偏見はよくないといういい例だ。

 ひょっとしたら奥さんが相当な鬼嫁なのかもしれないが、それは知らぬが仏だろう。


 上司が率先してそういう制度を利用してくれれば、下も心置きなく休みが取れるというもので、彼の英断には感謝するべきなのだろうが、タイミングだけは悪かった。

 いや、現実を直視せずサボっていたジゼルも悪いのだが。


 ともかく、そういうわけで主戦力のジェイコブが抜けて困っていたら、父や兄にも手伝ってもらえることになったが、これはさながら“家族総出で夏休みの宿題をやっている図”である。


 前世の小学生時代も、毎回最終日に泣きながらやっていたが、誰も手伝ってくれなかった。

 親なりに子供のためを思って、心を鬼にしていたのかもしれないが、当時はなんて薄情なのかと嘆いたものだ。まさに親の心子知らずである。


 だが、自業自得でそんな煮え湯を飲まされたにも関わらず、学習せずに毎年同じ過ちを繰り返していた自分は、相当なアホだった――などと黒歴史を振り返っているうちに、彼らの手伝いのおかげもあって、どうにかこうにか終わりも見えてきた。


「……ねぇ、ジゼル。このスタンプラリーって何?」


 処理済みの書類をまとめていた兄が、ふと目に留まった企画書を見て、おもむろに尋ねてきた。


「ああ、それ? 一日乗車券とセットでついてくる台紙に、各停留所に置いてあるスタンプを捺して回って、全部集めたらオモチャやお菓子の景品に引き換えられるっちゅー、子供向けのイベントや」


 スタンプラリーは、乗り物系としては定番の集客イベントである。

 日本人が想像するバスや電車と異なり、乗合馬車は精算や客待ちのため五、六分の停車時間があるので、スタンプを捺すくらいの時間は取れる。


「へぇ、楽しそうだね。景品次第だけど、大人でも参加してくれるんじゃない?」

「そう? お兄ちゃんやったら、何もらえるならやる?」

「うーん……ジゼルの等身大人形?」

「いいな、それ! 私も欲しいぞ!」


 兄が真面目な顔でお馬鹿な発言すると、父も真顔で食いつき気味に同意する。


 この二人の思考回路はどうなっているのか。

 そもそもブサ猫令嬢の等身大人形って、理科室にある人体模型並みに怖くないだろうか。夜中に見たら間違いなくホラーだ。絶叫からの失神一択だ。


「二人ともおかしいやろ!? ていうか、それ作ったとしてもナンボかかると思っとるんや! イベントとして採算合わへんわ!」

「「えー、残念」」

「そないなことでハモらんといて……」


 彼らに訊いた自分が馬鹿だったが、公爵家の未来は大丈夫なのか――と頭を抱えていると、ノックが聞こえたのちにテッドが入ってきた。


「ジゼル様。乗合馬車事務局の職員が、トラブル解決のために、至急お嬢様にお目通りしたいとのことです」

「え、ウチに?」


 何故、と首をひねるのと同時に、ジェイコブの不在を思い出す。


 これまではそういう対応をすべて彼に任せていたが、現在育休中であり、総責任者であるジゼルにお鉢が回ってきたのだろう。ジェイコブもこのような事態を見越して、ジゼルが領地にいる間に育休を取ることにしたのか。

 ともあれ、トラブルと一言で言いつつも、わざわざ公爵邸まで足を運んできたのだから、あまりよくない状態なのだろう。


 想定できるクレームやトラブルに関しては、前もって対処方法をマニュアル化していたし、経営を始めてから発生した案件についても、その都度解決経過をフローチャート化して残している。

 それで対処しきれないということは、これまで起きたことのない事件が起きたということだ。


「トラブルって、何があったんや?」

「くわしくは聞いていませんが、どうやら、異国の行商人の荷馬車と接触したそうで」


 テッドの落ち着き払っている様子から、双方とも重篤な怪我や損害を被っている風ではないが、ともかく当事者から話を聞かねばならないだろう。


「分かった。ほんならすぐに出かけるわ」

「出かけるって、現場へですか?」

「わざわざ職員がウチのところまで来るってことは、相手さんが『責任者出せ!』って言うてはるんやろ? 経緯を聞くだけなら馬車の中でもできるし、向こうとの話がこじれる前にウチが出ていかんと、ややこしなるやん。悪いけど、ウチ出かけてくるわ」


 目の前の書類にパンッと判を捺して決裁済の箱に放り投げると、ジゼルはひょいと立ち上がる。


「ちょ、ジゼル……!」

「心配せんでも、護衛はちゃんと連れていくから。テッド、馬車の支度と社員のところに伝言頼むで。あ、お父ちゃんもお兄ちゃんも、適当なところで切り上げてええよ。ウチが帰ってからするから」


 ジゼルはそうまくし立てて仕事部屋から駆け出し、手の空いていそうな侍女に手伝わせて身支度を整えると、一直線に玄関へと向かう。

 玄関ホールにはテッドと一緒に、所在なさげな様子で立ち尽くす一人の職員がいて、ジゼルの姿を見とめると最敬礼の角度で頭を下げてきた。


「も、申し訳ありません、ジゼル様のお手を煩わせるなど……!」


 目の前に現れた冷や汗が滲むバーコード頭に、不意に“冴えない中間管理職”という単語が浮かんだが、「アカン、アカン」小さくかぶりを振って打ち消すと、恐縮し切った社員の気持ちをほぐすようにニコリと笑う。


「構へんよ。これもウチの仕事や。くわしい話は道すがら聞くけど、まあまあひとまず、飴ちゃんでも食べて落ち着いてや」


 いつものように飴玉を渡して、テッドを伴い馬車へ乗り込んでしばし黙って揺られていたが、そのうちに糖分の精神安定効果が表れてきたのか、職員からポツポツと事情を聞くことができた。


 事の始まりは、前方を行く乗合馬車を無理に追い抜こうとした行商人の馬車が、すれ違いざまに接触したことだった。車体の幅を見誤ったせいだろう。


 幸いにもどちらにも怪我人は出ず、せいぜい車体同士がこすれて、小さな傷が入ったくらいで済んだ。

 そのため現場の乗務員たちは、お互いに修理代を出し合うことで穏便に解決しようとしたようなのだが……ここで問題が生じた。


 交渉の場で商人らは「あの接触事故のせいで破損した商品を、責任を取って買い取れ」と迫ってきたそうだ。


「……それって、当たり屋やないの?」

「ええ、私どももそう思いました」


 素人目に見ても詐欺と分かる彼らの手口は、ガラス製品や陶器などが割れたというありがちなものではなく、予想斜め上の”毛皮”だった。

 異国の珍しい猛獣の毛皮が、何枚も出てきたらしい。中には頭もついているものもあったとかで、一部からは悲鳴も上がったという。


 だが、毛皮がどうしてただの接触事故で傷物になったか、どう見ても理解できない。

 相手の馬車を転倒させ商品に砂や泥がついたというわけでもないし、他の荷物が接触の衝撃で崩れて破れたり汚れたりしたわけでもない。


 こちらに明らかな過失があるわけでもなく、客観的に分かる欠陥がないので、買取という選択肢はありえない。

あからさまな詐欺師を相手にしたくなかったので、あちらに少し上乗せした修理代だけ払って「はい、さようなら」と流したかったようだが、向こうはガンとして譲らない。

「責任者を出せ」とゴネまくり、現在に至るとのこと。

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