第7話 女狐、コンコン♪
それからしばらく、食事を楽しみながら他愛ないおしゃべりに花を咲かせていたが、ちょうど会話の切れ目に男性陣の言葉が飛び込んできた。
「……ところで、あの噂は本当ですか? ミリアルド殿下が、その……」
「ケネス殿のお耳にも入っておりましたか。なんとも情けないお話ですが……」
ミリアルドがどうしたのだろうか?
ジゼルの視線を感じて二人が声を潜めてしまい、肝心の内容が分からない。
その代わりロゼッタがこちらに身を寄せ、扇で隠しながら耳打ちをする。
「殿下がルクウォーツ嬢のせいで、随分腑抜けてしまったというお話ですわ。片時も離れたくないのか、自分の宮に住まわせて豪奢な生活をさせ、毎日のように宝石やドレスを贈っているとか。おまけに、暇さえあれば逢引をしているせいで、勉学も滞りがちだと教育係が嘆いているそうですわよ」
「うひゃあ……言(ゆ)うたらアレやけど、女で身を亡ぼす典型やん」
「身も蓋もありませんが、まさにそうですわね。両陛下は今のところ、一時的な恋の熱病だと静観されていますが、長く続くようでは……――」
それ以上は推して知るべしと言わんばかりに、ロゼッタはパチンと音を立てて扇を閉め、姿勢を正してジャムの乗ったクッキーを口に運ぶ。
それがミリアルドの一方的な執着なのか、アーメンガートが唆しているのか、屋敷の外をほとんど知らないジゼルには判断しかねるが……本当に一過性の症状であることを祈るばかりだ。
「ロゼッタ、社交界デビューもまだやのに情報通やね」
「そ、それほどでもありません。たまたま王妃様……正室のレーリア様と母が幼い頃からの親友で、時々一緒にお見舞いに行きますの。その時に小耳にはさんだ程度です」
褒められたのが嬉しかったのか、ロゼッタは少し頬を赤らめつつも謙遜して答える。
正室は病弱で表舞台には出ず、もっぱら自分の宮で静養しているのだったか。
病状は思わしくなく、田舎の離宮に下がることも検討されているようだが、自分が王宮から消えることで側室の独壇場になることは、正室のプライドが許さないだろう。
それに、不謹慎な話だが、ミリアルドの身に何かあれば、資質はどうあれ二人の息子のどちらかが王位を継ぐことになる。
その時に後見として自分がいてやらねばという、母親としての気負いもあるかもしれない。
「……せやけど、それやったらなおのこと、レーリア様はやり切れんやろうなぁ。ストレスは病気にもようないし、具合が悪うならんか心配やわ」
息子たちより優秀だからという理由で、側室の子に王太子の座を譲ったのに、女にうつつを抜かし堕落した暮らしをしてるのだ。ままならない身の上も加わって、さぞ悔しい思いをしているだろう。
と、ジゼルは考えていたのだが、
「ジゼル様はお優しいのですね。ですが、そのようなお気遣いは不要でしょう」
「どういうこと?」
「さすが正室と申し上げるべきか、この状況を逆手に取り、側室とミリアルド様を蹴お……失礼、立場を逆転させようとお考えのようで、むしろ水を得た魚のように生き生きとしていらっしゃいますわ」
「さ、さよか……」
蹴落とすと言いかけたのは空耳だろうか?
権謀術数渦巻く王宮で権力を握っていた女性は、病で床に臥せてなお心は折れていなかったようだ。お元気そうでなによりだが、権力争いの延長で国が滅びないかは心配である。
まあ、正室が何を企んでいようといまいと、ミリアルドとアーメンガートをこのまま放置すれば、国家存亡の危機は変わらないのだが。
古今東西、美女に溺れた暗君が国を亡ぼす物語は数知れず、実際に忌まわしい歴史として刻まれている。転生者であればそれくらいの知識と分別はあるだろうが、享楽に耽り視野狭窄に陥っているなら話は別だ。
(転生ヒロイン悪女説なんて“ラノベあるある”は、ホンマ洒落にならんで)
ふと脳裏に思い描いたアーメンガートに、ふさふさした狐の耳と、何股にも分かれた尻尾が生えた。そしてあの可愛らしい声で「コン♪」と鳴いた。
殷を滅ぼした妲己にしかり、後白河法皇を誑かそうとした玉藻の前にしかり、経国の美女とは得てして“女狐”として描かれるせいだろう。
(まあ、そのうちどっちかの目が覚めるやろ)
彼らの意識改革で軌道修正できればいいが、そのせいで婚約破棄だのザマァ劇だのが起きたとしたら……ロクでもない未来を想像しかけたジゼルだが、傾けたカップの軽さにはたと我に返る。
考え事をしながら、いつの間にか飲み干していたようだ。
そんな時、カートを引いたテッドが現れた。
「お嬢様、お茶のお代わりはいかがしますか?」
「ん? ああ、ほなもらうわ……って、テッドは今日の給仕係とちゃうやろ?」
「おや、そうでしたか。確認不足で失礼しました」
うっかりという風体で目を見開き、丁重に頭を下げるテッドだが、どうも胡散臭い。
テッドは初日こそぎこちない雰囲気だったが、すこぶる要領がいいのか一度覚えたことはすぐにマスターしたし、空気を読むことに長けているのか絶妙なタイミングで現れる。
ちょうどこのように。
おまけに貴族令息らしい横柄で尊大な言動は露ほども見せず、むしろ使用人らしい控えめで慇懃な振る舞いが板についており、本当に行儀見習いなど不要なくらいよく出来た少年である。
……だからこそ胡散臭い。
彼ほど有能な人物が、何故幼い令嬢の従者に甘んじているのか。
そこには父の采配が大きく絡んでいるとは思うが、世間知らずのジゼルには思惑は計り知れない。
とはいえ、彼が自分にとって害がないことだけは確かで、短い付き合いだと思えばそれもどうでもいい話だが。
「まあ、ええわ。とにかく、ウチのお茶を淹れてくれたら下がって――どないしたん、ロゼッタ? それに宰相さんも」
ビショップ親子が目を丸くして、ティーポッドを傾けるテッドを凝視している。
二人とも心なしか顔が引きつっているが、その視線を受けても彼は動揺する素振り一つなく、使用人の鑑のような一礼してカートを押して去っていく。
「ケネス殿……彼は……」
「……数日前より、遠縁の子息を行儀見習いとして預かっておりまして」
「遠縁……そうですか……なるほど……」
アーノルドと父の受け答えが、やけにぎこちない。
「ジゼル様、お困りのことがあれば、すぐに私にご相談くださいませ」
おまけに、ロゼッタまで変な忠告をしてくる。
その真意は分からないながらも、彼女の圧に押されてうなずくしかなかった。
*****
「なぁ、テッド。ジブン、何モンなん?」
ビショップ親子の帰宅後。
自室に戻り、ゆったりとしたワンピースに着替えたジゼルは、花瓶に差した花の手入れをするテッドの後姿におもむろに問いかける。
あの二人の驚き方は尋常ではなかった。
まるで見てはいけないものを見てしまった顔だった。
そこに明らかな負の感情は見受けられなかったが、ただの貴族令息を見る目ではないことは確かだ。
彼は枯れた花や葉を摘みながら目線だけで主を振り返り、切れ長の瞳を細めると、「秘密です」とお茶目に笑って見せた。
その表情は、青春時代に見たアニメに出てくるキャラにそっくりだった。
時に敵となりつつも場合によっては味方にもなる、ある意味おいしいポジションのキャラだった。
(……一番信用したらアカンタイプやな)
アニメと現実を混同するのはよくないが、用心するに越したことはない。
実態が知れないゆえに、警戒心と同時に好奇心も刺激されるが……知らぬが仏、触らぬ神に祟りなし、である。
どうせ突っ込んでも答えてはくれないだろうし、「さよか」と軽く流すことにした。
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