第4話 ブサ猫萌え、炸裂!

「――ホンマに、ホンマに、申し訳ありませんでしたぁ!」


 主催者不在のお茶会を再開すべく、すっかり冷めてしまったお茶を淹れ直している間、ジゼルは自分のやらかしを清算すべく、ロゼッタの前でお手本のような土下座を披露していた。


「他所さんのお嬢さんに手ぇ上げたばっかりか、ウチみたいなブッサイクでケッタイな女の取り巻きとか言うてもうて、ホンマすんません! 他のお嬢さんらも勘違いせんといてくださいね! ウチがその場を収めるためについた、勝手な嘘なんですわ!」


 高貴な人間に跪くことはあっても、この国に土下座の文化はない。

 真摯に謝罪されていることは分かるが、あまりに奇怪な行動に、ロゼッタは再度戸惑いを覚える。


 豊かで広大な領地を治める侯爵家の長女として、この国を支える敏腕宰相の娘として、物心つく前から様々な人物と接してきたロゼッタだが、彼女のような人間は初めてだ。


 親にだってぶたれたことはないし、あんな風に怒鳴られたこともない。


 王太子から不敬罪を言い渡された時もかなりのショックを受けたが、それ以上にジゼルの言動の方が予想外過ぎて、怒りも悲しみも何もかもが吹っ飛んでしまった。


 そもそも、噂で聞いていたジゼル・ハイマンとは天と地ほどもかけ離れている。

 品格も知性もなく、親の権力で傍若無人に振る舞う傲慢な少女――そう伝え聞いていたが、実際には全然違う。


 確かに、突然手を上げられたり怒鳴られたりという面だけ見れば、その形容は正しいのかもしれない。

 しかし、そのあとジゼルは、まるで不出来な我が子を庇う母のように、なりふり構わず王太子に頭を下げて不敬罪を撤回させた。

 身から出た錆だと、所詮は他人事だと、見て見ぬふりをすればいいのに、知り合いとも呼べないロゼッタのために、自分が悪役の泥をかぶることを厭わず助けてくれた。


 もしあの時彼女が立ち上がらなければ、ロゼッタは二度と社交界の敷居をまたぐことは許されなかっただろう。まさに命の恩人だ。


(この方は……話し方も行動も型破りで、おおよそ淑女らしいとは言えないのに……何故かしら、とても惹かれるものがあるわ。お父様が『ハイマン嬢が王太子妃になるのはほぼ決定事項』とおっしゃっていたのも、あながち嘘ではなかったということね)


 今年十四になるロゼッタは、幼少期から厳しい令嬢教育を受けてきたが、王太子妃を目指すよう強要されたことはほとんどない。

 今回の婚約者選びに際しても「お前は数合わせのようなものだ」と言われ、むしろ「あまり目立つな」とまで釘を刺されていた。


 だから、ハイマン家と王家の間ですでに密約が交わされており、このお茶会はあくまで公平性の演出のためだと思っていた。

 その予想は当たらずとも遠からずで、公爵家の後ろ盾を欲した側室は、「後で好きなだけ側室や愛妾を囲っていいから、正室には絶対にジゼルを選ぶように」とミリアルドによく言い含ませていた。


 しかし、正義感の強いロゼッタがそんな茶番を認めるわけもなく、自分がミリアルドに気に入られて悪評高い令嬢の鼻っ柱を折ってやる気満々だったが……実際は、ぽっと出のアーメンガートが横からすべてを掻っ攫われ、それを糾弾したことにより窮地に立たされ、叩き潰すつもりだったジゼルに救われた。


 なんとも皮肉な結末であるが、噂を鵜呑みにして勝手に敵愾心を抱いていた自分の方が、よっぽど傲慢だったと恥じ入るばかりだ。


「どうか顔を上げてください、ハイマン嬢。私はあなたのおかげで救われたのです。こちらが感謝することはあっても、あなたが謝罪されることは何もありません」

「ホンマに? 怒ってへん?」


 ほっとしつつもまだ不安を滲ませた目で、ジゼルはロゼッタを見上げる。


 不細工な猫を彷彿とさせる顔なのに、こうして上目遣いでじっと見つめられると、無性に「可愛い!」と叫んで撫で回したくなる、危ない衝動に駆られる。

 なまじ相手が年下なだけに庇護欲がそそられ、いっそ抱きしめたいとすら思う。


 二人のやり取りを遠巻きにしていた令嬢たちも、ブサ猫独特の魅力に撃ち抜かれ、そこここで“キュン死に”が発生していた。


 ジゼルが家族から溺愛されるわけも、彼女の人好きのする朗らかな性格に加え、このブサ猫愛が極まった結果なのだが、本人はまったく気づいていない。


(わ、私としたことが、なんて破廉恥な!)


 これを日本人は“萌え”と呼ぶが、この国にはそのような表現はない。

 思わずジゼルに伸ばしそうになった手を引っ込め、ロゼッタは新たに芽生えた感情にドギマギしつつも、貴族令嬢の矜持を守るべく平静を取り繕う。


「え、ええ。もちろんです。それより、公爵令嬢がいつまでもそのような格好をしているつもりです?」


 隠し切れない動揺から、いつもにもまして高飛車な物言いになり、まずいと思って助け起こすべく手を差し出す。


「ありがとさん……よいしょっと」


 ニコリと笑ってジゼルが出された手を掴むと――絶妙な柔らかさと弾力を絹の手袋越しでも感じ、再びロゼッタは悶絶することになる。


(んまあ、なんてプニプニなの! ず、ずっと触っていたい!)


 猫の肉球のごとき魔性の誘惑を理性でねじ伏せ、ドレスについた芝生を落とすジゼルの横で、コホンと軽く咳払いをする。


「こ、今回はたまたまうまくいきましたけど、下手をしていたらあなたまで罰せられるところでしたわ。今後は無鉄砲な行動は慎んでくださいませ」

「いやぁ、ホンマそれな。我ながらアホなことしたって反省しとります」


 助けた相手に小姑のような注意されても嫌な顔一つせず、「あはは、えらいすんません」と苦笑し、恥ずかしそうに後頭部をかくジゼル。


 きちんとお礼と謝罪をしないといけないのに、逆に説教するなどお門違いだ。

 一呼吸入れて気合を入れ直し、ロゼッタは今度こそと口を開いた。


「……その様子では、ちゃんとお分かりいただけていないようですわね。仕方がありませんので、このロゼッタ・ビショップがしっかりお傍で教育させてもらいますわ! どうぞお覚悟を!」


 やっぱり思いとは裏腹の発言をしてしまい、自己嫌悪に陥って気が遠くなるロゼッタだが、ジゼルは何故かキラキラした目を向けてくる。


「え、ウチをビショップ嬢の取り巻きにしてくれるのん!?」

「逆です、逆! この私が、ハイマン嬢の取り巻きになって差し上げようというのです! ありがたく思ってくださいませ!」

「え、えええ!? ウチなんかとつるんどっても、なんも得はな――」


「まあ! ビショップ嬢、抜け駆けはいけませんわ!」

「わたくしもハイマン嬢に侍りとうございます!」

「え、あ、う、お!?」


 それまで二人のやり取りを微笑ましく見守っていた令嬢たちだが、ロゼッタの取り巻き宣言に急に色めき立ち、我も我もと立ち上がってジゼルに詰めかける。

 追っかけに囲まれる超人気アイドル……というよりも、主婦に狙われるタイムバーゲン最後の一品だ。


「な、なんやよう分からんけど……誰か助けてぇ!」


 その叫びを聞きつけた侍女たちによって令嬢らは遠ざけられたが、ひょんなことから自称取り巻きを一度に八人も得てしまったジゼルは、本人無自覚のうちに愛され系悪役令嬢の一歩を踏み出した。


*****


 そんなカオスな一幕を経てお茶会は再開され、王太子の婚約者を選ぶ会を改め、上級貴族令嬢たちの女子会が始まった。


 本来ならミリアルドの婚約者の座を狙う者として、全員がライバル同士だったはずだが、すでに争う理由もなく和気あいあいとした雰囲気に包まれている。


 しかし、どの令嬢も社交界デビューはまだだし、よほど親密な家同士でない限りお互いたいした接点もないので、自己紹介から始まり、当たり障りのない話が終われば、自然と話題は泥棒猫……もとい、本日の主役のアーメンガートに移っていく。


「……それにしても、ルクウォーツ嬢は実に幸運でしたわね」

「運よく走れるだけの距離のところで馬車が動かなくなり、運よく遅刻しても会場に通してもらい、運よく殿下の目に留まったのですからね」

「神の祝福を受けていらっしゃるのでしょう」


 傍に控える侍女たちに告げ口されてはいけないので、あからさまな悪口は避けているが、そこに含まれる悪意や嫉妬はあまり隠せていない。


 ジゼルはいない人間の悪口を言うことは性に合わないので黙ってはいるが、正直彼女には好感を持っていないし、なんならこれが周到に仕組まれた作戦だったとすら思っている。


 令嬢らの言葉通り、アーメンガートは運がよすぎた。

 ドレスに合わせるようなヒールでは、多少体力があっても長距離は走れないし、そもそも招待状があったところで、供もつけず一人でやって来た泥だらけの子供をホイホイ王宮の中に入れてくれるとは思えない。


 事前に入念な調査や根回しが必要なのは想像に難くない。

 もちろん、ルクウォーツ侯爵の力があれば簡単なことだ。


 次期国王の外戚の座を得るためなら、多少の綱渡りはするだろう。露見したところで大した罪にもならないので、侯爵の地位が揺らぐことない。

 ただ、元男爵令嬢の養女にそこまでする義理があるのか、という問題はあるが……遠縁というだけで義務もないのにわざわざ迎え入れたくらいだし、何か特別な絆があるのかもしれない。


(まあ、ウチが考えたところで詮無い話や。もう終わったことやしな)


 ヒロインとメインヒーローが結ばれて、めでたしめでたし。

 それでいいじゃないか、とジゼルは結論づけて、目の前の焼き菓子を頬張った。


(んー! サックサクのクッキー、うま! チョコとかナッツとか入ってるのもええけど、やっぱホンマにええもんはプレーンが一番やで!)


 甘いものを食べていれば、些細なモヤモヤはすぐに吹き飛ぶ。

 至福の表情でクッキーを咀嚼するジゼルを見ながら、令嬢たちは「癒されますわ!」「可愛いです!」とささやき合い、アーメンガートのことなどすっかり忘れキャッキャと萌えを共有し合っていた。


 そうしてお茶会は和やかに過ぎていき、お開きとなった。

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